17話
昭和六十三年初頭、私の父だった人は、私が務める会社の社長へと、認識を変える事になった。
その再会は、未だによく覚えているし、正に青天の霹靂のような感覚だった。
……まずもって考えるだろうか、初めて行ったバイト先で、自分の父親が同じ同僚として働いているなどと。ましてやその父は元父である。
当然だが、それは向こうにとっても同じだったようで、まさか未だ未成年であるはずの我が息子が、自分が居る職場に同じような格好をして、別の業者の車から降りてくるなど、想像なんて出来ようはずもなかっただろう。
そうして、互いにお見合い状態になること数秒、思わず私は「おとん!?」と仕事場で間抜けな声を上げ、その場にいた他の職人さん達の視線を独り占めしてしまう。
「……まさかお前が、高校辞めて働いてるとはなぁ。しかも俺と同じ仕事は……」
倉庫から出て少し離れた場所にある喫茶店。そこに同業の人たちは朝の情報交換や、仕事のことなどの話で毎朝集まっている。無論理由はそれだけではない。皆さんも家電量販店などでの買い物経験があればおわかりだと思うが、特に設置工事などが含まれる場合、当日の朝に何時頃に伺いますと言う「事前連絡」を受けたことがお有りだろう。普通、量販店の配送など、倉庫出しの場合は店の社員などが行うため、配送センター内から直接電話する。……今、と言うか他店や最近の事情は、どう変わったのかはわからないが、この時代、そのセンターにはそこまで沢山の電話回線がなかった。それに私達のような所謂「下請け業者」が社員を差し置いて、会社の電話回線を占有するなど出来るわけもなく……。そこで、朝の訪問連絡はもっぱら、喫茶店に置かれた赤い公衆電話を使っていたのである。……つまり、朝の忙しい事務作業場に、我ら業者はいる場所がなかった。
――後に、この事は業者の連中で直訴され、配送センターの移設とともに、業者専用の事務所も建てられる事になった。(その際の業者の会長は一番の古株である親父殿だった)
業者が一箇所に固まって席を占拠し、私達も自分の社員たちで固まる中、向かいに座る父が他の親方と話しながら私のことを話す。少し居心地が悪かったが、私以外の人はみな成人で、一番年が近い人でも22歳。「電気屋」さんだと言うのに均整の取れた体つきをしており、力こぶを作れば当時の私が両手を使わないと回らぬほどに太い。それは当然父にしてもそうであり、まだ四十後半だった彼は見た目だけでは「三十過ぎ」と言われていた。
……そんな見るからに強そうな人たちの中、独りぽっちゃりとした「子供」体型を残す私が居る。
そんな状況で、吠えることなど出来るだろうか? いやいや流石に万が一にも出来るわけがない。まかり間違えて吠えた所で「アハハハハ! 可愛らしいのぅ」で終わりである。……実際、一度父があまりに構うので、五月蝿いと言った所、そう言われて周りの爆笑を誘ったのだから。
ただ……当時の事を父に聞いてみた所、内心ではかなり嬉しかったと話してくれた。家族としての私達は終わってしまったが、息子として同じ道を歩んだ私がとても眩く見えたらしい。
――当の本人は、給与の為の選択だったのだが。
それからの日々は、確かに苦行に近しいものを感じた。エアコン設置業者とは言うが所謂「電気工事屋」とは少し違う。あぁ、確かに設置場所に電源がなかったり、その家の総電気容量が足りない場合はそちらの工事も行うが、主に設置業者はエアコンを取り付ける為、ある程度の大工知識が必要だった。
現在、所謂一般建築に於いてエアコン取り付けはほぼ必須となり、故にそのための設備や加工が行われている。壁の内側に材があったり、室内外機を繋ぐための配管を通す貫通穴が開いていたり、壁の高い場所に専用コンセントが設置されていたり。あらかじめ想定され、その場所に収まるよう設計されていたりする。マンションなどを見ればそれは顕著で、構造上梁が通っていたりする為に、配管が室内に見えたりすることは有るが、貫通穴は開いている。……ごく稀に開いていない場合もあるが、新築住宅、特に注文建築の場合や、何らかの理由で開けていない場合も有るので、確約はできない。
……が、昭和のこの時代、やっとエアコンが一家に一台となり始めた頃に。そんな物が有る方が稀なわけで。木造建築や下手をすれば土壁、果てはブロック造の家屋すら建っている。「建売住宅」が流行り始めたのが最近だった当時、一戸建てと言えば日本家屋が標準で、所謂「長屋連戸住宅」や木造平屋などが平均的な『家』だった。「マンション」よりも「アパート」が多く、そんなアパートの壁は『スレート壁』すら存在していた。
……故にエアコン設置の第一関門は、その住宅の電気容量確認に始まり、壁材の確認、設置場所の選定……などなど、まさかと思うほどに建築知識が必要とされた。
――にも関わらず。……にも関わらず! 当時の職人さんという奴らは! 「……見て盗め」とかほざきよる! 工具の呼び名は好き勝手に言うし、少しでも持ってくるのが遅いと平気で小突いて来る。挙げ句、梯子を「スライダー」等と横文字で呼ぶくせに、互い違いを『テレコ』……いや、
アイツらは絶対に『我儘カッコつけ』野郎だと、心の中でいつも罵っていた。
そんな昭和六十三年、忙しくも苦しく。……でも何故か今思えばクスクスと笑えてしまう年は過ぎていった。
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