第10話
*この回を読む前に。
ここからは少し、私にとって暗い、そして黒い歴史が綴られる事になります。もし、そう言ったものが受け付けないという方は、どうぞ読み飛ばしてください。
……このお話はあくまで私にとっての『過去』であり『備忘録』である。
――昭和五十八年、少し大振りな詰め襟学生服に窮屈さを感じ、真っ黒な学生鞄は重い。心身ともに陰鬱な気分のまま、私の中学生活は幕を開けた。
小学校最終学年の三学期に転校し、友人関係を作るのすらまともに出来ぬまま、卒業式を迎えた。……家庭の不和も有るなか、無理矢理に行われた転校は私自身もかなり疲弊し、他者との友好な関係など、結べるはずもなかった。母は離婚が決まって就職活動に奔走していたし、父などはいつの間にかその痕跡すら見つけられないほど、まるで煙のようになくなっていた。父がお気に入りだった酒類が収められたウォールナットで出来たキャビネットは、飲めない母がいつの間にか空にしており、何も入っていないガラス扉の向こうには、埃が薄っすらと積もり始めていた。食事は弁当や惣菜が増え、妹が「あれが食べたい。お父さんは?」等といえば母の顔は歪み、いつもチャンネル争いで騒いでいた夕飯時は、私が黙り出したこともあって、静かに妹の好きなテレビが映っているだけの時間となっている。
十年以上パート勤務程度だった母は、慣れない病院の助手作業員という仕事に疲れているのか、いつも疲れた顔をしており、いつの間に吸うようになったのか、いつからか、家には煙草の灰皿が食卓テーブルの隅に置かれるようになっていた。
――呆気ない。
その日まで。
自分にまさかそんな状況が起きるなんて、考えたこともなかった。
寝て起きれば、母は笑っていて。妹となにかの童謡を口ずさみながら朝食の準備をしていて、父は黙って食卓に座り、新聞を広げて難しい顔をしている。顔を洗って食卓に向かえば、皆が座っており「おはよう」と声を掛け合って、「いただきます!」と妹の大きな声で、いつもの一日が始まる……はずだったのに。
煩いアラームの音で目を覚ますと、妹がまだ隣で眠っており、ふと顔を上げると母はもう仕事に出かけたのだろう、がらんとした家の雰囲気が感じられ、なぜか少しの不安を覚える。だが現実は待ってくれず、慌てて妹を起こし、バタバタと朝の準備を済ませて、菓子パンを二人でもそもそ食べ、鍵をポケットに確認して家を出る。
道すがら、通学路で同級生や友人たちが声を掛け合い、昨日のテレビの話題や雑誌の話をする中、一人重い鞄を持ち直し、長い道行きを踏みしめていく。自宅から学校までは徒歩で約十五分。私の通う中学は、三つの小学校からの生徒が通っていた。当時は未だベビーブームのおかげもあり、私の学年ではクラスは十一組まで有り、一クラスの生徒数は四十二人程度だった。故に中学校全体の生徒数は千を優に超え、校庭はかなりの広さを誇っている。何しろ全校集会では一処に千何百人が校庭に集まれるのだから。其の為、学年でワンフロアは足りず、校舎は三棟建っており、全てが渡り廊下でつながった、コの字型をしていた。なので校庭は中庭と裏庭で二つあった。
そんな中学生活の始まり……。鬱々とした辛気臭い男と、わざわざ友人になろうとする人間が居るだろうか? もし居るならば、それは余程のお人好しか、唯の空気が読めないやつだろう。
そもそも、周りを見渡せばいくらでも同級の人間が居る。何しろ四百人以上の同い年が居るのだ、そんな変なやつはすぐに空気と化し、誰にも見向きもされずに放って置かれるはず……だった。
――だがこの時代、そうは問屋が卸さない。
昭和五十年後半、それは学生の大きな大きな問題が巻き起こった時代。
『積木くずし』と言う、一大センセーションを巻き起こした小説をご存知だろうか。一人の少女がとあるきっかけで悪の道へ墜ちてしまい、家族を巻き込んで騒動になって行くという、実話を元に描かれたあの物語である。ヤンキーが全盛期を迎え、『ビー・バップ・ハイスクール』が大流行し、『なめ猫』免許証が発売され……不良がトレンドとなり、中学生になるとそう言った先輩に目があっただけで「何メンチ切ってんねん」と殴られる。そんな「ワル」がもてはやされる時代。
そんな最中、私は鬱々とした暗い表情で、友人も作らず、斜に構えて居たのである。
――結果、変に悪目立ちをしてしまい、そんなワル達から初期の『イジメ』を受けることになるのだ。
やっとの思いで中学校の校門を抜け、職員室を横目に通り抜けた先にある階段を登って三階に着く。後は教室で、この重い鞄をやっと下ろせると思って、角を曲がった先にソイツは居た。
クソと思う気持ちが顔に出ていたのだろう。奴は私のその表情を見た途端、嗜虐的な笑顔を見せ、ボンタンズボン(所謂改造ズボン)のポケットから片手を出し、私の腕をひっつかんで逆方向へと引き摺っていく。連れられたのは男子トイレ、当然何人かの生徒が用を足しているが、私とソイツを見た途端、彼らは脱兎のごとくトイレを後にする。
教室の隅の席。一番うしろで私はコソコソと、持ったティッシュで口元を拭う。いつもは腹を蹴ってくるだけなのに、今日に限っては顔に一発入れてきた。お陰で唇が切れてしまい、腫れて出血してしまった。「チクったら、もっとどつきまわすからな」と凄んで奴は自分の教室へ。
――いい加減、限界だ。
――もう、大人しくしているのも嫌になってきた。
――友達が作りたかっただけなのに。
――誰も……誰も俺を『見て』いないなら。
……これ以上、我慢する必要もないな。
翌日、個室になった和式便器に、泣きながら顔を突っ込んでいたアイツの顔は、これ以上無いほどに腫れ上がっていた。
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