とこやさん

仁城 琳

とこやさん

うちのクラスには変わった子がいる。とても髪が長いのだ。手入れされているらしく清潔感はあるのだが、括っているのを解けば床を引き摺るだろうと言うくらいには長い。ロングヘアなんてもんじゃない。他の学年の子にまで知られるくらいうちの学校では変わった子だった。そんな変わった風貌から何となく遠巻きにされる彼女だが話してみると、なんてことは無い普通の子だ。なぜ私がこの子と話すのか、それはただ入学した時にたまたま隣の席になったから。壁際の席になった私の隣はこの子だけだった。入学当時から今まであった誰よりも長い髪を持つ子に話し掛けるのは少し躊躇いがあったが、友達を作りたかった私は積極的に話し掛けた。入学から二年。何の因果か三年間同じクラスになった私たちは仲が良かった。自分が周りから「変わった子」という目で見られている事を自覚している彼女は、気を使ってか自分からは私に話し掛けてこなかったが、私が話し掛けた時に長い前髪の間から見える嬉しそうな笑顔はとても可愛い。最初は話し掛けるのを躊躇わせるくらいに長かった髪の毛はさらに長く伸び、特に彼女に何か言われた訳では無かったが理由を尋ねることは禁句であるように思われて、気になっていたが聞くことは出来なかった。しかし、もうすぐ卒業だ。彼女とは別の高校に行くことになる。聞きたい。皆に好奇の目で見られてもそこまで髪を伸ばすのか。どうして髪を切らないのか。そして、今日、私は彼女に髪を伸ばす理由を聞くことを決意したのだ。

「おはよう。」

「...あ、おはよう。」

「あのね、聞きたいことがあるんだ。」

「うん、どうしたの?」

「あのさ、どうして髪を伸ばしてるの?その...言いにくいんだけどさ、髪のこと、みんな変わったものを見るような目でみるでしょう。あなたは変わった子なんかじゃないのに。それで...その...気になって...。」

私は変だなんて思ってないのよ。言い足そうとして言ってしまえば、私も髪が長いことを変だと思っています、と言っているようなものではないか、と考えてしまい最後の方はしどろもどろになってしまった。彼女の長い前髪の中から覗く目が私をじっと見ている。嫌な気持ちにさせてしまっただろうか。これがきっかけで彼女に嫌われてしまったら、嫌だな。数秒しか経っていないはずなのに何時間も思案したかのように頭の中を色んな気持ちがぐるぐると回る。ぐるぐると回って、結論が出る。謝ろう。

「ご、ごめん!気を悪くしたなら...!」

「ううん。うん、じゃあ、聞いてくれる?」

「え。いいの?」

「うん。その...気分のいい話では無いかもしれないから、こちらこそ気分を悪くさせてしまうかもしれないけど...いい?」

「う、うん。」

この学校でこの子とこうやって普通に話せるのは私だけ。この子と秘密を共有できるのも、私だけ。私は優越感で気分が高揚するのを感じた。心臓がドキドキと高鳴る。「うん。」と答えた声は震えていなかっただろうか。上擦ってはいなかっただろうか。

「私が髪を切らない理由。聞いて?」


私が小学生の時なんだけど。私ね、引っ越してきたの。この中学の学区内の小学校じゃなかった。だから入学した時にあなたが声をかけてくれたこと、本当に嬉しかった。ひとりぼっちになるんじゃないかって不安だったから。あ、話が逸れちゃった。それでね、小学生の時なんだけど、二年生の時かな。通学路に床屋さんがあったの。あの時にはもうお店は閉まってたんだけど、ガラスの窓から中が見えるの。朝でも昼でも夕方でも。薄暗いお店の中が窓から見えるの。それでね、そこにマネキンがあったの。ほら、美容師さんの練習用の頭だけのマネキン。あれね。でも私、小さかったからそんなものがあるの知らなくて、すごく怖かったの。友達と読んだ怖い話の本に出てきた首だけのお化けみたいで。いつもあの床屋さんの前を通る時は走ってた。お母さんにあのお店、首だけのお化けがいるのって言ったら、美容師さんが髪の毛を切る練習に使う偽物の頭よって笑われて。お化けじゃないんだって分かったけどやっぱりどうしても怖かったの。私、お姉ちゃんがいるんだけど、その時高学年だったし私みたいに怖がってなくて、偽物なんかが怖いんだって笑われたけど、偽物って分かってもどうしても怖かったの。その頃からかな、嫌な夢を見るようになったの。その床屋さんの前に私ひとりで立ってるの。そうしたら首がこっちを向いて、おばさんが「たすけて」って言うの。首だけのおばさんが。目を見開いて、その目がすごく血走ってて。首だけになった切り口から血がダラダラ出てて。それが私の目をじっと見て、「たすけて」って言うの。ガラスの窓越しなのにハッキリ聞こえてすごく不気味だった。今でも覚えてるの。...あ、それでね、その夢を頻繁に見るようになって、もっと床屋さんの前を通るのが怖くなっちゃったの。帰りもお姉ちゃんを待ってて一緒に帰ってもらってたっけ。それからしばらくしてその床屋さんのおじさんが逮捕されたの。奥さんを殺したんだって。それでね、その殺した奥さんの首を...首をね...はぁ...はぁ...。ごめん。大丈夫。んん。奥さんの首を、切り落として。うん。どうしてかは分からない。もしかしたらニュースで言ってたのかもしれないけど、それよりもね、あのね、殺された、殺された奥さんが、私の夢に出てきたおばさんで、はぁ...大丈夫...大丈夫だから...、それでね、それからトラウマで床屋さんも、美容室も行けなくなって。あの首だけのマネキンがあったらどうしようって。また「たすけて」って私に言ってきたらって。思って...。「たすけて」って、はぁはぁ...私にさ...はぁ...私に...言ってたのかなって...思うと...はぁ...はぁはぁ...思うとさ...!無理だよ!そんなの!気付かないじゃない!はぁはぁ...!なんで?なんで!なんで私なの!?はぁはぁ...気持ち悪い...!あの顔が頭から離れないの...!はぁはぁ...はぁ...いや...いや...いやいやいや!見ないで!!私助けられない!気付けなかったの、恨んでるの!?見ないでよ!ごめんなさい!はぁはぁっごめんなさいごめんなさい!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!


急に取り乱してしまった彼女を目の前に私は驚いて動けずにいた。そうしているうちにクラスメイトが先生を呼んでくれたのか彼女は保健室に連れていかれた。あの子がおかしくなった時に話していたのが私、とクラスメイトが証言したからか、私は呼び出され何を話していたのか、もしかしていじめでもしているのかと担任から問いただされたが、聞かされた話が衝撃的すぎて言葉が思うように出なかった。なんとか、怖かった事を思い出させてしまったみたいで、と言うと担任はあの子の事情をある程度把握していたのか、これ以上は詮索しないように、と言い含めて私を解放した。その日、彼女が教室に戻ってくることは無かった。翌日、私より先に登校して席に座っていた彼女に謝罪するべきなのか、詮索するなと言われたし何も無かった素振りをすべきなのか、迷った私はひとまず声を掛けてみることにした。

「おはよう。」

「あ、おはよう。」

長い前髪から覗く嬉しそうな彼女の瞳があまりにもいつもと変わらなくて私は困惑した。

「あのね、昨日のことなんだけど...。」

「昨日...?ごめんね、私、昨日体調が悪かったみたいで。なにかあなたに迷惑かけてしまったかな?」

まるであの話をしたことを全く忘れてしまっているような彼女。私は昨日のことは忘れることにした。何も無かった。昨日、私たちは何も無かった。彼女は何も話していないし、私も何も聞いていない。

「ううん、迷惑なんて全然。体調はもう大丈夫?」

「うん。大丈夫。ありがとう。」

「そう、それならよかった。」

彼女は何も話していない。私は何も聞いていない。私は何度も自分に言い聞かせた。


あれから数ヶ月。私たちは中学を卒業し、それぞれ違う高校に進学した。予想外だったのは高校生になってもやり取りを続けていたこと。...尚更あの日のことを忘れることなんてできなかった。彼女と関係を続ける限り。

久しぶりに彼女と会うことになった。高校生になって数ヶ月。お互い新しい環境にも慣れて久しぶりに会いたいね、と言い出したのはどちらからだっただろうか。最後に会った時より髪が伸びているのかな、なんて考えるとふと頭をよぎるのはあの話。忘れろ。忘れるんだ。私は何も聞いていない。しかし待ち合わせ場所に現れた彼女は、別人かと思うほどにバッサリと髪を切っていた。

「久しぶり。変わらないね。」

「久しぶり。あなたは...変わったね。」

彼女がはにかむ。顔を隠していた長髪が無くなったので表情がよく見える。

「どう?似合ってるかな...?」

短くなった髪の先を弄びながら彼女が尋ねる。

「うん。すっごく似合ってる。...その、髪切れるようになったんだね。」

彼女が目を見開く。失言だったかと思わず目を逸らして思考をめぐらせる。指を組んで、組んだ指を何度も組み替える。彼女の顔を見ると感情が抜け落ちたように無表情だ。サッと血の気が引く心地がした。

「...髪を切ってない理由、私、話したっけ...。」

「いや!なんでもない!...その、中学の時伸ばしてたみたいだったから。なにか理由があるのかなって...。」

彼女に笑顔が戻る。

「お姉ちゃんがね、あ、私お姉ちゃんがいるんだけど。美容師になるんだって。練習台になれって、私の髪を切りたがるの。あんたはずっとロングヘアだったからショートにしてみなって切られちゃった。なんだか首元がスッキリして頭も軽くて変な感じ。でもあなたに似合ってるって言ってもらえて嬉しいな。」

「そっか。いいお姉さんだね。」

うん。彼女が嬉しそうに微笑んだ。


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