第6話 曰く付き者同士の結婚⑥
「挨拶が遅くなってすまない。俺がこのアルディオン家の当主、ロイド・アルディオンだ」
たいへんぶっきらぼうに言い放たれたことで一瞬反応が遅れてしまったが、ノーラも挨拶をしなくてはと慌てて寝台から降りようとする。
「あ、私は……」
傍で控えていたハンナが心配して止めようとしたが、意外にもそれを止めさせたのはロイドだった。
「しまった、もう八分経ってしまう。戻らなければ」
「えっ」
「ロイド様⁉︎」
「うるさいな、ウォル。今は魔導力学の実験中だと言っただろう。八分で結果が出るから、それまでには戻るとも話したはずだ」
「その八分に研究室からここへの移動時間も入っていたんですか⁉︎」
「当然だ。さて、戻るぞ」
「ちょっ、ロイド様!」
目の前で繰り広げられる主従の会話に、ノーラは思わず、淑女らしからぬ様子で口をポカンと開けてしまった。その隙にハンナがノーラの身体を支え、寝台に戻そうとする。
(え、えぇっと……)
なんだかよくわからないが、引き止める必要もないしいいか、とどうにか頭の中でまとめたところで、部屋を出て行こうとしていたロイドが不意にこちらを振り返った。
(!)
濁りのない、透き通る青い瞳に見据えられてドキッとする。
(な、何……?)
流れるような動作で足を動かし、ロイドが寝台へ近付いてきた。
「え、あの」
「よく見ると顔色が悪いな」
「だからそうお伝えしたでしょう!」
ウォルが「も〜」と頭を抱える。
(そりゃあ、あなたが部屋に入ってきましたから)
ロイドが来た時から感じていたのだ。昼間に会った使用人たち総勢数十名が束になっても敵わないくらい、とてつもない濃度の魔力を。
だからもちろん顔色も悪いはずだ。
「魔力に敏感な体質だと聞いたが、この地の魔力に酔ったということか?」
今度はビクッと身体が跳ねる。
「そ……そうです。お恥ずかしいことに身体があまり丈夫ではないので、それもあってこのような……」
大丈夫。ここまでは表向きの理由として、すでにハンナが説明してくれている話だから。
それ以上詮索されないようにと願っていると、ロイドが「ふむ」と顎に手を当てた。
そしておもむろに右手を上げ、瞬時に魔法を発動した。
「⁉︎」
白く眩しい光。光の属性であることを証明する目も眩むような輝く魔力が、ノーラの前で発動されたのだ。
(えっ、これまさか……⁉︎)
まずい。明らかに自分に向かって魔法が行使されようとしている状況に、ノーラは逃げようと身を捩る。
(今のこの状態でさらに魔力に触れちゃったら、倒れるどころじゃ済まないかもしれない……!)
だが、逃げ切る前に発光する魔力はロイドの手を離れ、ノーラの胸元に吸い込まれてしまった。
「……っ!」
思わず目を瞑る。瞼を閉じる前、一瞬視界がぐにゃりと歪んだ――が、それだけだった。
(……え?)
しんと静まり返る室内。いつもみたいに不快感が迫り上がってくることはない。恐る恐る目を開けてみるが、視界はたいへん良好だ。
(あれ……? 気持ち悪く……ならない?)
ほんの少し視界に異変が起こったが、それだけだ。確かに魔法がノーラの身体に触れ、さらには吸い込まれていったというのに、悪化するどころかむしろ――……。
(不快感が……消えた⁉︎)
アルディオン公爵領に入ってからずっとノーラに付きまとい、さらには今まさに増していた不快感や怠さが、嘘みたいに消えている。ノーラは戸惑い、言葉を失った。
「…………」
(どういうこと? 何が起こってるの?)
驚くあまり固まるノーラと、ロイドの突然の行動に面食らって固まってしまった使用人たち。静かな空気を破ったのは、ウォルの叫び声だった。
「な、何てことをなさるんですかロイド様! 断りもなく勝手にレディへ魔法を行使するなんて!」
その声をキッカケに、ハンナが急いでノーラの背を支え、アンガスとマリエッタも一定の距離のところまで駆け寄ってくる。
「ノーラ様、大丈夫ですか?」
「ご体調が悪化したりは……」
「医者を呼んで参りましょうか」
慌てふためく一同に対し、ノーラもようやく声を取り戻す。
「あ、いえ、それが」
「おい、騒ぐな。何も悪影響のある魔法を使ったわけじゃない」
ロイドが不満そうにウォルを見る。
「いや、もちろんそんなことはなさらないと思ってますけどね、せめて他人へ魔法を行使する場合は説明をしてくださらないと……!」
「あーうるさい。ほら見ろ、良くなったじゃないか、顔色」
皆の視線がノーラに集まる。ノーラはゴクンと唾を飲み、慎重に口を開いた。
「はい。……身体が、楽になりました」
「だろう?」
え、と半信半疑の目を向ける使用人たちの前で、ロイドが当然だと言わんばかりに腰に手を当ててふんぞり返る。
普通であれば「いやそんな偉そうにしなくても」とツッコミたくなるところだが、この一分ほどの間に起きた出来事が衝撃的すぎて、ノーラの頭の中はまだ混乱していた。
(魔力を吸って体調が悪化するどころか、一瞬で身体の状態が回復した……)
魔力に触れて何も起きないなんて、人生で初めての出来事だ。これが、癒しや治癒能力に特化しているという、光属性魔法の力なのだろうか。光魔法に接したのは初めてだから、正直よくわからない。
(それとも……ロイド様自身の力のおかげ?)
イデルタ王国一と言われる天才魔導士。その実力がなせる業だった可能性もある。どちらにせよ、まるで奇跡のような力に、ノーラの胸には熱い感動の波が押し寄せる。
「本当に、良くなったのですか?」
ハンナが念を押すように聞いてくる。ノーラはしっかりと頷いた。
ロイドは満足したのか、今度こそ退室しようとして――もう一度振り返った。
「一応言っておくが、これは一時的な魔法だ。ぐっすり眠れるようにするためのものだからな、明日の朝には切れているだろう。だから少しでも自力で体力を回復出来るよう、今晩はしっかり寝ておけよ」
それだけ言って、部屋を出て行った。ウォルがまた「言い方!」と言いながら追いかけて出て行くのを見ながら、ノーラは黙ったまま身動ぎ出来ずにいた。
そんなノーラの様子を見て、家令と家政婦長はまずいと思ったのだろう。それぞれフォローの言葉を口にし始めた。
「……突然の行動にご気分を害されたら申し訳ありません。旦那様は思ったことをすぐ行動に移されるお方なのです。また、あの通りたいへん研究熱心でいらっしゃり、それ以外の物事や人への配慮が欠けてしまうことが少々、いえ多々ありまして……」
「非常に短い時間ではありましたが、こちらへ顔を出されたというだけでもかなりノーラ様のことを気にしてらっしゃったのだとは思いますが……」
必死なフォローがおかしくなってしまい、ノーラは小さく噴き出した。
「ありがとうございます。お忙しいなか来ていただけただけでも、とても嬉しく思っております」
「え」と二人の声が重なる。
「まさかご挨拶に来ていただけるとは思ってもいませんでした。さらには十分すぎるほどのお心遣いをいただいてしまい、恐れ多いですわ」
アンガスとマリエッタが目を見開く。
「こんなふうに体調のことも気にかけてくださって。ロイド様はとてもお優しい方でもあるのですね」
そのまま二人はあからさまに困惑を宿した顔を見せた。恐らく、ノーラの反応が一般的な貴族令嬢のものではなかったからだろう。どこからどう見てもぞんざいな扱いを受けたとわかるのに、怒るどころか感謝をするとは二人とも思っていなかったに違いない。
だが、ノーラは本当に怒っていないのだ。むしろ――たいへん安心したのである。
(だって、本っっっ当に〝花嫁〟に全く興味がないって感じだったじゃない!)
予想を遥かに上回る魔法研究オタクだと確信した。ここに来たのも、従者にしつこく言われてやっと来たという感じがまた良かった。
(無関心でいてもらえればもらえるほど、私の問題体質がバレる恐れもなくなるもの!)
これならなんとかやっていけるかもしれない。そんな期待が溢れてくる。
みるみるうちに表情が明るくなっていく花嫁とは逆に、アンガスとマリエッタの顔は青ざめていった。
「ノ、ノーラ様……」
「ご無理なさらないでください。全てを改善出来るかはわかりませんが、なるべくご当主にも進言しますので、何かありましたらご意見を……」
「まあ、意見なんてありませんよ。このままで十分、勿体無さすぎるくらいです。改めて、これからどうぞよろしくお願いいたします」
今日一番の笑顔を見せた花嫁に、公爵家の上級使用人たちが危機感を抱いたことは、もちろんノーラは気付かなかった。
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