第2話 曰く付き者同士の結婚②
というのも、貴族であれば魔法を扱えるのが当然だからだ。イデルタ国民の九割は多かれ少なかれ生まれつき魔力を保有しているのだが、中でも王族と貴族は必ずその力を持っており、しかも先天的に強大な魔力を備えて生まれてくることが多かった。
優れた魔法の才能を持つ者は必然的に国家の重要役職に就くことになるため、魔力を持つ血を絶やさぬよう貴族間で婚姻を繰り返してきた結果なのだ。そのおかげで、貴族であれば必ず魔力を授かる仕組みが自然と出来上がっているのだった。
しかし、正当なミディレイ家の血筋であるにも拘らず、なぜかノーラはその力を持たずに生まれてきてしまったのである。両親も祖父母も兄も姉も、家族の誰もがその力を持っているのに、ノーラだけ。
(ほんと、どうしてなのかしらね)
こうなった原因はわからない。幾人もの高名な医師や才能ある魔導士に診てもらっても、皆「原因は不明」と首を振るばかりだった。
全く魔力を持たない身体ならむしろその方が良かった。しかしノーラは微量ではあるが魔力を保有しており、魔力の気配を感じることは出来るのだ。だがどうにも身体と魔法の相性が良くないらしく、一瞬でも魔力に触れ合うと喜ばしくない反応を起こしてしまうのだった。
目の前で立てなくなっている、この執事のように。
(
なぜか、魔力を持つ物や人に触れるとその対象が持つ力を一時的に無効化して、魔道具であれば魔法を発動させないようにし、人であれば魔力を奪い弱らせてしまうのだ。力を奪うと言っても自分のものにするのではなく、単純に無かったことにしてしまうという、何とも傍迷惑な能力なのである。
ついでに自分の具合も悪くなる。毎度、魔法に接すると形容しがたい不快感に襲われるのだ。
今がまさにそうだ。魔力保有者である執事に触れたことで、彼の力を無効化して床に崩れ落ちさせ、自分はもうちょっとで嘔吐しそうだというくらいの気持ち悪さと戦っているのだった。
魔力を受け付けず、無効化する身体。それがノーラの問題だらけの体質なのだった。
(そりゃあ、才能がない――ミディレイ家の無才の令嬢、なんて呼ばれてしまうわよね)
自分のことを最初にそう評したのは、目の前の父だった。それ以降ノーラは家族から厄介者として扱われ、一族の恥だと世間から隠されてきたのである。魔力に触れると体調が悪くなる現象を上手いことかいつまんで利用され、病弱という設定まで勝手に作られて。
ノーラが苦い顔で様々なことを思い返しているうちに、ようやく執事は少し回復したらしい。倒れた時に腰を痛めなかったか、念のため医者に診てもらうと言って部屋を出ていった。
二人きりで残された室内で、父がまた大きく息を吐いて先程の会話の続きを再開する。
「お前が体質に問題を抱えていても、この結婚に支障はない」
(いやいやいや、そんなわけないでしょう)
心の中で全力で否定する。なぜなら相手方があのアルディオン家だからだ。極力魔法から遠ざけられて育ったノーラでも知っている。アルディオン公爵家は、家門の人間が常に高位魔法専門職に就いているくらいに、魔法に関して絶大な才能と知名度と権力を持つ家なのだと。ミディレイ家もかなりの名門で優れた魔導士を多く輩出してきた家だが、アルディオン家は別格なのだ。それだけは自信を持って言える。
(そんな家に私が嫁いだら、今以上に問題になるじゃないの)
実の家族ですら疎むような存在なのに、魔法の才能に溢れる人だらけの家に行ったら、どんな目で見られることか。第一、ミディレイ家の名だって傷付くではないか。
けれどノーラの心配をよそに、父は感情を見せずに続ける。
「これまで通り隠して生活していけばいいのだから、問題などない」
「お嫁に行くのに、隠せるものでしょうか」
さすがにそれは無理でしょうと眉根を寄せるが、父は自信を持って言い放った。
「隠せるだろう。お前の結婚相手は、現当主ロイド・アルディオンなのだからな」
「え? ロイド……」
その名を繰り返し、「あっ」と思い出す。
(……って、あのいろんな意味で有名な⁉︎)
ロイド・アルディオン。その名は、イデルタ国民であれば知らないはずがないほどの、たいへん有名な人物のものだ。社交界から切り離されて育ち、面識のないノーラですら知っているほどの。
(私の記憶が正しければ、超がつくほど天才な魔導士で、超がつくほど変わり者だって有名な人だったはず……。確か、『魔法研究と結婚する』と公言したこともあるんじゃなかった? ……って、あれ……)
その時、ふいに悟った。なぜ自分が花嫁に選ばれたのか。相手があのロイドであるなら、恐らくそういうことだろう。だから父は「問題ない」と言ったのだ。
ノーラの思考の動きを察したのか、父がこちらを見ていた視線を逸らした。
「……彼は、結婚相手には何も求めていない」
「……」
でしょうね、と心の中で呟く。かの天才魔導士は、魔法研究に執着しすぎて、人間には全く興味がないのだともっぱらの噂なのだ。
「……つまり、誰が――どんな人間が結婚相手でも、気にならないということなのですね」
「そうだ。そもそもこれまでもずっと結婚を拒み続けてきた男だ。だが、先代が亡くなり当主の座を継いだことで、いよいよ結婚をしなくてはならない状況になってしまった」
そりゃそうだ。確か二十歳を過ぎたくらいの歳だったと記憶しているが、大貴族の当主がその歳で未婚というのは些か問題だろう。
「元々、先代――友人のフレデリックから、相談は受けていたのだ。息子の結婚相手を決めてやりたいが、あの性格だから相手を見つけるのが非常に困難だと」
「……」
ロイドが魔法研究にご執心というのは、広く知れ渡っている。それでも、人並外れた才能があり身分も申し分ないのだから、縁談の一つや二つあってもおかしくはなかっただろう。にも拘らずいまだに未婚ということは、本人の性格が相当アレなのかもしれない。まともな貴族令嬢では相手に出来ないということだ。
「そこでお前の名が挙がった。彼の伴侶として、家柄的にも年齢的にもちょうど良いのではないか、と」
「…………」
「もちろん、その点だけが条件ならこの話は受けていない。だが、伴侶に何の興味も示さないであろう彼ならば、お前が嫁いでいこうが問題はないと確信したのだ」
「……そういうことですか」
興味を示されない、つまり接する機会がないのであれば、ロイドにノーラの体質を知られることはない。
「跡継ぎのことも気にする必要はない。数年で次男に当主の座を譲るそうだからな」
「そうなのですか?」
「ロイドは、どうしても魔法研究に生涯を捧げたいのだそうだ。本当は今だって当主の座は引き継ぎたくなかったらしい。だが次男は現在隣国へ留学しており、今すぐ跡継ぎにするのが困難ということで、臨時で彼が当主の座に就いたにすぎないようだ」
「な、なるほど……」
そこまで魔法研究に執着してるのかと若干引きつつ、確かにこれはありがたい話ではあるぞ、と冷静に頭の中でまとめていく。
(当主の妻として世継ぎを産む――つまり、夫婦としての義務をこなす必要もない、と)
となれば、限りなく接することのない夫婦生活を送ることは可能なのかもしれない。ノーラの考えを後押しするように父が付け加える。
「あちらがお前に妻としての役割を求めてくることはない。むしろ放っておいてくれと言うほどだろう。ゆえに彼にとって、お前は都合の良い花嫁ということだ」
酷い言われようだが、ここも聞き流す。
「そうですね。魔導士として優れた方なら私は近付くことも出来ませんし、互いに望む距離感で暮らせるのではないかと」
そう、怖くて近付けない。この体質がどう作用するかわからないからだ。魔力の強い対象であればあるほど、近付くと具合が悪くなるのである。
(……総括すると、これは素晴らしく利害が一致した結婚になるということよね)
仮ではあるが当主となったため結婚をしなくてはならなくなり、可能な限り自身に干渉してこない花嫁を所望するロイド。
対して、可能な限り接触する機会を避けられる相手でないと、嫁ぐことなど到底出来ないノーラ。
互いの抱える少々――いや、だいぶ拗れた問題が、上手いことハマった結婚なのだ。
「……確かに、お互いにとって好都合な結婚なのかもしれませんね。ですが、本当に上手くいくでしょうか。もしもこの体質のことが露見してしまったら――……」
ミディレイ家の体面を保つためにももう少し慎重に……という気持ちで口にしたのだが、今まで感情を表に出すことのなかった父が、そこで初めてわかりやすく顔を歪めた。
「……お前はそんなことも成し遂げられないのか? これまで散々我が家名を脅かしてきておいて、少しは家の役に立とうという気持ちや、向上心すら持てないと?」
「! ……そ、そういうわけでは」
「ならこれしきのこと、こなしてみせろ! お前が初めてミディレイ家の人間として役目を果たせる機会なのだから、誠心誠意努力をしてみないか!」
「は、はい!」
軽く十年ぶりではないかというくらい久しぶりに怒鳴られ、身が竦んだ。勢いで返事までしてしまい、しまったと後悔する。
「あ、えぇと、その――……」
「いいか、もう二度とこの家に帰ってくることは出来ないつもりで嫁ぐのだ。それくらいの強い気持ちでやってみせろ」
「…………わかりました。お父様」
この体質のせいで、自分がどれだけ家族に迷惑をかけたかは痛いほど承知している。だからもう、それ以外の返答は出来なかった。
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