無才令嬢と天才魔導士公爵の曰く付き結婚
水野絵名
第1話 曰く付き者同士の結婚①
「ノーラ様。もうすぐアルディオン公爵邸の敷地内に入るそうです」
侍女からの呼びかけに、ノーラはゆっくりと顔を上げた。その動きにつられて、腰まで長さのある黒髪がふわりと揺れる。深紫色の瞳を窓の外に向けて、ノーラは低い声で呟いた。
「そう。いよいよね」
まるで戦場へ向かうかのような、険しい表情。そんなノーラとは対照的に、ガタゴトと揺れる馬車の外に広がるのは、緑豊かで穏やかな空気を感じさせる広大な土地だ。
魔法文明に支えられるこのイデルタ王国で、最も魔法に通じていると言われる、由緒正しきアルディオン公爵家が代々収める領地――そして、ノーラがこれから暮らすことになる土地である。
初めて訪れる上、何の恨みもない土地なのだが、表情を緩めることが出来ないままノーラはそれを眺める。
「……上手くやらないとね」
膝の上に置いた拳を、ぎゅっと握りしめる。
「アルディオン公爵家の人たちには、何が何でも隠さないと。私のこの、問題だらけの体質のことは」
二ヶ月前に実家で父と交わした会話を思い返しながら、ノーラはそっと目を伏せた。
******************
「……お父様。今、何と仰いました?」
魔導士名門一族の一つとして知られるミディレイ侯爵家の、屋敷内のある一室。そこへ父デイドンから珍しく呼び出されたノーラは、顔色を変えずに衝撃的な言葉を放った父に対し、震える声で聞き返した。
「今……何か信じられないようなお言葉を聞いた気が」
「だから、お前の結婚が決まったと言っている。二ヶ月後だ」
「結婚……、二ヶ月後⁉︎」
声がひっくり返った。だが父は全く気にする素振りもなく、傍で控える執事のハラハラした様子も見ないふりをして続ける。
「そうだ。先方とはすでに話が進んでいるから、お前はおとなしく指示を待っていなさい」
「いや……ちょ、ちょっと待ってください」
どこからツッコんだらいいのかわからないが、とりあえず「わかりました」で済ませていい話でないことは断言出来るので、今すぐ部屋を追い出されそうな空気を無視してノーラは踏ん張る。
「……あの、お父様。私の記憶が正しければ、私は生涯結婚をせず、ずっとこの侯爵家で暮らしていくのだと言い付けられていたはずですが」
ノーラはその身にある問題を抱えている。それゆえに存在を秘匿され、結婚どころか社交界に出ることも許されず、表向きは〝病弱な令嬢〟という設定で屋敷の中でひっそりと暮らすことを命じられ、十八年間生きてきたのだ。
それなのに突然、結婚だなんて。
「私とて、お前のように不出来な娘を嫁に送り出したいとは思っていない。だが事情が変わったのだ。亡くなった友の遺言――『息子の結婚相手を決めてやりたかった』という願いを、叶えてやらなくてはならなくなった」
不出来な娘と呼ばれるのには慣れているので、そこは聞き流す。そんなことよりも、自分に結婚の話が持ち上がっているという事実の方が重大事件なのだ。
「遺言……って、ですが私では……」
「仕方ないだろう。我が家にはもうお前しか残っていない」
確かにミディレイ家で残っている未婚の娘は、三女の自分だけだ。二人の姉はもうとっくにお嫁に行ってしまったのだから。だがそれにしたって、無謀すぎる。
「私の体質のことを、相手方はご存知なのですか?」
「知らぬ。お前のことは、ただの病弱な令嬢と認識している」
(いやそれ、絶対まずいですよね)
ノーラが渋い顔をしていると、父が溜め息を吐いた。
「だが、知らぬままで問題ない。お前の結婚相手はアルディオン家の――……」
「ア、アルディオン⁉︎」
その名に驚いてビクッと飛び跳ねてしまい、足がカーペットに躓く。
「きゃっ」
「ノーラ様!」
そのまま重心を崩して倒れそうになったノーラに、執事が手を伸ばす。その様子を視界の隅で確認したノーラはヒヤリとした。
(駄目、
しかし、倒れていく身体で即座に避けることも出来ず、ノーラは執事に支えられるかたちになってしまった。
その瞬間、ぐにゃりと視界が歪み、不快感がどっと胸に込み上げた。
「……うっ」
「……!」
ノーラと執事が呻いたのは同時だった。ドタン、と大きな音を立て、二人して床に倒れ込む。
――やってしまった。すぐにそう悟り、執事からさっと身体を離す。
「ご、ごめんなさい!」
「いえ、わたくしは……大丈夫で……」
老齢の執事がゆっくりと身を起こすと、父はノーラではなく執事の方へ手を差し伸べた。
「大丈夫か。医者を呼ぶか?」
「いいえ、一瞬のことでしたから問題はございません。それよりもノーラ様の方が……」
そこでようやく父は実の娘を振り返った。心配どころか叱られそうな雰囲気に、ノーラはバッと頭を下げる。
「お騒がせして申し訳ありません」
「……まったく、お前は相変わらず……」
父が面倒くさそうに息を吐く。ノーラに対して塩対応なのは今に始まったことではないから気にしない。けれど、これだけは言っておきたかった。
「……お父様。こんな私に、アルディオン家へ嫁げと?」
アルディオン公爵家。その家名はとても有名なので知っている。王国一の魔導士名門と呼ばれている家門の名だ。
しかし、だからこそこの縁談がまとまった理由がわからなかった。
胸に残る不快感と、力が抜けたように座り込んだままの執事を見ながら呟く。
「こんな……私のような、魔法の才能が全くない娘が、アルディオン家へ嫁ぐだなんて」
――魔法の才能がない。魔法が扱えない。魔力の類が身体に合わず、それを持つ人や物に触れるとおかしな現象を引き起こしてしまう体質。それがノーラの抱える問題なのだ。
そしてそれは、このイデルタ王国の貴族の家に生まれた者にとって、致命的な問題があることを意味しているのだった。
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