第5話 街に出没するエニグマ(後編)

「目撃者たちが見たのは、エニグマの幻覚とは考えられないか?」

「幻覚……?」


 カズラとしては予想外のシンの返答だったのだろう。

 その表情には困惑がありありと浮かんでいた。


「ハハ…ッ!目撃者が揃いも揃って夢幻ゆめまぼろしでも見ていたと?そんな都合の良いことが起こるはず……」

「そのような都合の良いことを引き起こす不可思議な力を、君たち奇石使いは持っているのではないのか?」

「なっ……」


 ポカンと口を開けていたカズラだが、ハッと我に返ると、慌ててシンに問い返した。


「つまり、聖女様は奇石使いの犯行だと?」

「あくまで可能性の話だ。奇石使いが皆、善人というわけではあるまい」

「……」


 キョロキョロとカズラの眼球がせわしなく動いた。シンへの反論が何かないか、探しているようだ。

 そんな中、一人の老齢の男性が手を挙げる。


「聖女様のご意見は筋が通っていると、私はそう思う。二番隊は奇石使いの犯行の線も視野に入れて、今回の事件を捜査してはいかがだろうか?」


 物腰柔らかなその老紳士は八番隊隊長ノギスだった。


 ノギスはシンを聖女だからと必要以上に畏まることはなく、一方で現場を知らない小娘と侮ることもない――公明正大な人物である。

 彼の言葉に、頷く者はちらほらいた。近衛隊長カイルもその一人だ。


 一方で、「しかし、現場の意見というのもありますし…」と否定的な言葉を口にする隊長も見受けられる。

 それらを取りまとめるように、一番隊隊長ヨスガ・キドゥインが提言した。


「聖女様のご意見はごもっともですし、実際に現場で捜査している者の印象が大切だというのも分かります。二番隊は一つの可能性に囚われるのではなく、広い視野で捜査してはいかがでしょうか?」

「……ご提案、ありがとうございます」


 頭を下げるカズラと、シンは視線が一瞬かち合う。

 カズラの目には、怒りの感情が色濃くあった。



 会議の後、シンの執務室でカイルがため息を吐いた。


「あの様子だと、二番隊隊長は奇石使い犯行の線で捜査はしないでしょうね」

「だろうな」


 カイルの意見に、シンは事も無げに頷く。そこに失望の色はない。


 隊長会議に参加して、どれだけシンが意見を口にしようとも、それが活かされる方が少ないのだ。

 たとえシンが正しかろうと、なかろと、小娘の意見だと見くびられることは多い。おまけに、毎回カズラがそのような場の雰囲気を助長していた。


 ただ、この点に際して、シン自身も反省しないわけではなかった。


――私の態度にも問題があるのだろうな…。


 シンは、己が論理性や合理性を重視するあまり、相手の面子めんつや心情を軽視しがちであることを自覚していた。人の気持ちの機微に疎いのだ。


 現在、シンはカンナギ家に対抗できる有力者を味方にできず、逃げの一手しか残されていない状況だ。

 しかし、もし己が人心掌握術に長けていたら、今とは異なる結果になっていたのではないか。彼はそう思う。


 もっとも、シンとしてはいつだって、その時でき得る最善を努めてきたつもりである。反省はすれども、後悔はしない。

 今回の件も、あっさり思考を切り替えて、シンは自らの執務に取り組んだ。



 隊長会議からしばらく経った頃、近衛隊長のカイルがシンにこう報告してきた。


「例の連続殺人事件ですが、被害者たちに対して、恨みを持つ者がそれぞれいたようですよ」

「そうなのか?」


 六件の殺人事件の被害者は、各々誰かに恨まれていた。

 普通の捜査ならば、そのような恨みを抱いている人物――殺害動機のある者は容疑者の筆頭にあげられる。だが、二番隊はエニグマの犯行と頭から決めてかかっていたため、これまで被害者について詳しい捜査は行っていなかった。


「被害者について調べたということは……つまり、二番隊は捜査方針を改めたのか?」


 あの伯父カズラが?

 そう意外に思ってシンが聞くと、カイルは首を左右に振った。


「この件を調べていたのは初動捜査をしていた警察隊です。エニグマの犯行が高いということで、捜査権限が二番隊に移りましたが、警察隊の方も独自に調べを進めていたようで」

「そうだったのか?しかし、そんなこと会議では……」

「どうも二番隊が、警察隊からの情報提供をシャットアウトしていたようです。横から茶々を入れられると思ったのか。まぁ、二番隊隊長はプライドの高いお方ですから」

「……」


 シンは苦虫を噛み潰したような顔になった。あの無能……と胸中で悪態を吐く。


「……把握した。それで、この情報はどうやって?カイル隊長が警察隊に問い合わせたのか?」

「いや、私ではなくユイト隊員が…」

「はぁ?ユイト?」


 どうしてここでユイトの名前が出てくるのだと、シンは驚いた。


「どうしてユイトが?そもそも、彼女は隊長会議の内容なんて知らないはずだろう?」

「ハハ……それは……」


 シンの問いかけにカイルは目を泳がせた。

 どうやらカイル自身が、隊長会議での一件をユイトに話してしまったようだ。

 会議の内容は口外無用と決められているわけではないが、一隊員にぺらぺら話して良いものでもない。


――それにしても、カイル隊長には珍しいことだな。


 基本的に口が堅い男だ。その彼から会議の内容を聞き出すなんて、ユイトは存外に相手の懐に入るのが上手いのかもしれなかった。


 ばつの悪そうな顔をしながら、カイルは話を続けた。


「それで事件のことや聖女様の意見を知ったユイトは、知り合いの警察隊に会ってきたようで…」

「警察隊に知り合いがいるのか?」

「みたいですね。意外に、顔が広いようです」


 そこでユイトは、被害者に恨みを持つ者――容疑者たちの情報を耳にした。

 しかし、彼らには全員、事件当時にアリバイがしっかりあるという。そこで、警察隊の捜査はとん挫しているらしかった。


「全員にアリバイ?」


 シンは眉間にしわを寄せた。

 少しのではないかと不審に思い、ある結論にたどり着いた。


「その容疑者たちが、被害者の殺害を誰かに依頼した。その実行犯が奇石使いというわけか……」

「はい。ユイトもそう考えたようです。それで彼女は、容疑者たちの共通点を警察隊と共に探ったらしく……」

「なっ…いつの間に?」


 シンは最近のユイトの様子を思い返す。

 毎日、その姿を確認していたわけではないが、普通に近衛隊員として働いているようだったが……?


「それが…退勤した後や休日に動いていたみたいですね」

「どうして、そこまでする?」


 どうにも腑に落ちない様子のシンに対して、返ってきたのは意外なほどシンプルな答えだった。


「正しいと思ったから――だそうです」

「なに…?」

「聖女様の意見が正しいと思ったから、行動に移したということでしょう。二番隊がエニグマしか追っていない以上、このままでは事件はいつまで経っても解決せず、また被害者が増える可能性もありますから」

「……」


 シンは押し黙る。


 今回のユイトの行動は、越権行為と見なされる可能性があった。ともすれば、二番隊から不興を買いかねない。

 犯人を特定できなければ骨折り損のくたびれ儲けだ。

 逆に、上手く犯人を特定できたとしても、その手柄を二番隊に横取りされることも十分考えられる。


 正直なところ、今回のことが守護者内でのユイトの評価に繋がるかはなはだ疑問であり、あまり選択ではないのは確かだった。

 それがユイトには分からないのか、それとも承知の上でやっているのか――なんとなくシンは後者のような気がした。


 己の利になりそうにもないことに、ユイトは自らの休みを潰してまで動いている。それはなぜか。

 おそらく、「他人のため」に他ならないだろう。


 「誰かのために動く」というのはシンにはない感覚である。

 彼の行動は全て「義務」や「責任」、そして自分自身への「利益」に裏打ちされているからだ。

 一方、ユイトは、義務や利益がないにもかかわらず、自発的な意思で他人のために動ける種類の人間のようだ。


「聖女様、どうかされましたか?」

「いいや。何でもない。それで、何か分かったことがあるのか?」

「はい。それが…、容疑者たちが共通して通っていた飲食店があったらしく……」

「なんだと?」


 つまり、そこで容疑者たちは奇石使いに殺人の依頼をしている可能性がある。


「その店の名は?」

「北西地区にある『こまどり亭』という酒場です」


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