第4話 街に出没するエニグマ(前編)
「第四班、エニグマの第三陣を掃討完了いたしました」
「よし!では、第五班の援護に回れっ!」
「はっ!」
明るい満月の光の下、『聖域』の森で大規模な戦闘が行われていた。次から次へと襲い掛かって来るエニグマたちを、近衛隊が全力をもって迎え撃つ。
今夜は月に一度の『祈りの儀』。
異界からのエニグマの侵攻が激しくなるため、聖女は都から離れた『聖域』の神殿で祈りを神に捧げ、結界を強化しなければならなかった。
森の中で異彩を放つ、金色の装飾を施された荘厳な雰囲気の神殿。
その中に一人閉じこもり、霊脈を操って結界の強化に務めていたシンは、やっと役目を終え、外へと出てきた。
その息は荒く、足取りは不安定。儀式の過酷さが伺える。
「聖女様」
「……大事ない」
駆け寄る近衛隊長カイルを片手で制しつつ、シンは目の前の光景に目をやった。
霊脈と聖女の霊力に惹きつけられてやってくるエニグマたち。それらから近衛隊員たちが、全身全霊をかけて聖女を守っている。
この『祈りの儀』での護衛が、聖女の身辺警護を請け負う近衛隊の最重要かつ最も危険な任務だった。
『祈りの儀』を終えても、まだエニグマの猛攻は止まらないようだ。
その中で必死に戦う近衛隊員たち。シンの目はその中に、ある人物の姿を自然と探していた。
すると、シンから向かって左手の隊員たち数名が、巨大な猪のようなエニグマに苦戦しているのが映った。
体長四メートル以上あろうかというエニグマは、その巨体で突進し、周りの木々をなぎ倒していく。
もし、人間があの突進をまともに受ければ、命はない。ごくごくシンプルな攻撃だが、その破壊力ゆえに、中々隊員たちは手を出せないようだった。
再度、エニグマは突進攻撃を仕掛けようと走り出す――と、そのとき。不意にエニグマがバランスを崩し転倒した。
いったい何事かと思い、シンが目を
ソレは粘着性の糸のようなものだった。
糸がべったりとエニグマの足に絡みつき、地面に足を縫い付けてしまっている。エニグマは起き上がろうともがくが、糸の強度が余程高いのか、引きちぎることができない。
その場で暴れ狂う大猪のエニグマ。
そうこうしているうちに、シュルシュルと新たな糸が現れ、エニグマの身体を覆った。糸がエニグマをがんじがらめにし、捕らえていく。
もはやエニグマは身体を動かすことさえ困難な状態だった。この好機を逃す手はなく、隊員たちはいっせいに攻撃を仕掛ける。
――この糸は……。
シンは辺りを探し、そして例のエニグマ近くの樹上に目的の人物を発見した。
思った通り、そこには黒髪の少女の姿がある――ユイトだ。
彼女が己の奇石の能力を使って、エニグマを拘束したのは明白だった。
自然と、シンの口元に笑みが浮かぶ。カイルから聞いてはいたが、やはり彼女は優秀だと思った。
ユイトは上手く近衛隊になじんでいた。
彼女は人好きする性格らしく、良識のある隊員とはスッと打ち解け合えたようだ。
女性かつ若いユイトに好奇の目を向ける輩もいたが、共に仕事をすれば、彼女が実力で近衛隊員にのし上がったことは明らかだ。それにユイトの人柄の良さも加わって、いつしか彼女は近衛隊に受け入れられていた。
中庭での一件――四人の隊員たちがよってたかってユイト一人を
初対面の時と同様、ユイトはシンに対しても物怖じしなかった。
例えば、廊下などですれ違えば、にこりと笑って明るく挨拶される。そこに妙な思惑や媚は含まれていない。
同年代の若者から、そのように接されることのなかったシンには新鮮だった。
挨拶ついでに、シンがユイトと話すようになるまでに、そう時間はかからなかった。
長々と何かを話すわけではない、ほんの短い会話だが、その際に彼女が向けてくる笑顔がシンには心地良かった。
打算や下心、恐れの含まれていない、単純な好意の笑み。
それはカンナギ家に利用され続け、権謀術数の渦巻く大人の世界に生きてきたシンにとって、何物にも代えがたいように思われた。
*
一番隊から十番隊までの守護者の隊長らが集まって行われる定例会議。そこに、シンの姿もあった。
今は当たり前のように隊長会議に出席しているシンだが、それに至るまでには色々と苦労があった。
シンは守護者が抱える業務に積極的に意見し、自身の存在価値を隊長らに知らしめようとしたのだ。
そうすることで、守護者内で己の影響力を強め、カンナギ家を牽制しようと目論んだ。
その努力の甲斐あって、シンは隊長会議に参加できるようになった――だが、今となってはこれも無意味なことだ。
なぜなら、シンは『逃げる』と決めてしまったから。
今更、守護者内での地位向上を図っても意味はない。
――ゼンナ家との関係が悪化しなければ、まだ希望はあったがな……。
近衛隊長カイルの生家であるゼンナ家は、コハク国内で指折りの名家だ。カイルの実父の現当主は枢機卿の一人でもある。
もし、ゼンナ家を味方につけることができれば、シンはカンナギ家に対抗し得る力を手に入れていただろう。
しかし、カンナギ家次期当主のせいで、ゼンナ家とは深い溝ができてしまった。
カイルはこれまでと変わらずシンに接してくれているが、ゼンナ家当主との関係回復は絶望的だ。
――それもこれも、この男のせいだ。
シンは密かに、会議用の円卓机――そのはす向かいに座る中年男性の顔を睨んだ。
二番隊隊長カズラ・カンナギ。
カンナギ本家の跡取り息子で、アイラの兄だ。
妹のアイラと同様、カズラもシンを聖女の身代わりとして利用しているにも関わらず、シンに対して冷淡な態度をとっていた。
さらに、シンが守護者内で発言権を持つことや他の有力者に接近することを恐れ、事あるごとに妨害してきた。
――結局、私はこの男に負けたのだな…。
そう自らの実力不足を悔やんでも今更どうしようもない。
そんな気持ちを振り払い、シンは会議の内容に集中した。
今回の議題の一つに、カズラが隊長を務める二番隊の案件があった。
現在、二番隊はメイセイの都で起こっている連続殺人事件を捜査している。本来、街の治安は警察隊の管轄だが、この事件はエニグマが絡んでいると見られていた。
事件のあらましはこうだ。
ここ最近、街中で殺人事件が六件も連続的に起こっていた。
被害者は皆、刃物のようなもので喉元を掻き切られている。ただし、被害者同士に接点はなく、住んでいる地区や殺された場所もバラバラだ。
殺され方以外に、共通していたのは目撃情報だった。
事件発生の前後の現場付近で、エニグマと思わしき黒い影をまとった生き物の報告例が多数あった。それどころか、実際にエニグマが被害者を手にかける瞬間を目にした者までいた。
それで、警察隊や守護者はこの一連の事件をエニグマの仕業と判断し、二番隊が捜査を受け持つことになったのだ。
エニグマがメイセイの都に潜んでいるとなれば、大問題だ。
二番隊は毎日のように見回りをし、
捜査資料を眺めながら、シンには思うところがあった。カズラへの個人的な恨みも手伝って、彼はその考えを口に出してみる。
シンは挙手をし、発言した。
「そもそもコレは、本当にエニグマの犯行と断じて良いのだろうか?」
皆の視線が一斉にシンに注がれる。
期待、興味、困惑や嫌悪――そこにある感情は様々だ。
「断じるも何も、現に目撃者がいるではありませんか」
そう反論してきたのは二番隊隊長カズラだ。彼は意地の悪い微笑みを口元に浮かべている。
対して、シンも彼を冷ややかに見返した。
「逆に言えば、目撃者がいるだけだろう?この事件の犯行をエニグマと断じるには、いささかおかしな点がある」
「それは何でしょう?」
「被害者が喰われていない」
エニグマが人やその他の生き物を襲う理由は、「喰うため」に他ならない。にもかかわらず、今回の事件における被害者は致命傷になった頸部への傷以外、目立った負傷箇所はない。
そこがおかしいと、シンは指摘した。
「目撃者がいたからでしょう。聖女様はお分かりにならないでしょうが、エニグマの中には警戒心の高いものや臆病なものもいるのです。現場を知る我々からすれば、エニグマに襲われた遺体に喰われた形跡がないのは、あまり多くないケースとは言え、皆無ではありません」
暗に素人は黙っていろ、そう
「その珍しいケースが六件立て続けに起こったのか?」
「……そういう場合もあり得ます。問題のエニグマは余程用心深いやつなのでしょう」
「用心深いのに、六件とも目撃者がいるのだな。そういった性質のエニグマなら、標的が確実に一人のところを狙いそうだが?」
「……」
論理的に指摘されて、思わずカズラは言葉を詰まらせた。すると、周りの隊長らもざわめき始める。
カズラの顔が歪む。そこに先ほどまでの余裕はない。
皆の前で、自分よりも遥か年下の小娘に言い負かされるという状況は、彼のプライドが許さなかった。
カズラは反論を試みる。
「お言葉ですが、聖女様。目撃者は毎回異なり、どの人物もハッキリと答えております。影を
「いいや。目撃者の証言は本当だろう。しかし、その見たモノが真実とは限らない」
「それはどういう意味でしょうか?」
皆の関心がシンへと向けられる中、彼はある可能性を口にした。
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