ニセモノの聖女はかく祈る
猫野早良
第1話 ニセモノの聖女
この世界は常に異界からの侵入者『エニグマ』に狙われていた。
エニグマは、闇そのものを
この異形の化け物――エニグマから人々を守るのが、『聖女』と『奇石使い』だった。
聖女は祈りを捧げることで、この世界に『結界』を張り、エニグマの侵入を防ぐ。人々の
しかし、そんな結界も万全ではない。どうしても、結界には小さな隙間ができてしまい、その間隙を縫うように侵入してくるエニグマは存在した。これらに対処するのが、『奇石』を操る奇石使いだ。
奇石は摩訶不思議な《まかふしぎ》な力を秘めている宝石で、これと契約した人間は奇石使いと呼ばれる。彼らは奇石の力を借りることで、エニグマと戦うのだ。
つまり、エニグマに対する『盾』が聖女の結界ならば、奇石使いは『剣』の役割を果たしていた。
そして、聖女を頂点とした世界最大の国教組織スーノ聖教会は、教会専属の奇石使い『
*
世界の中央に位置するコハク国。
その都メイセイにあるウヌア大聖堂は、スーノ聖教会の総本山だ。
コハク国に王はいない。国家元首的役割は、スーノ聖教会の
豪華絢爛な造りのウヌア大聖堂の北側にあるのが聖女の住まう宮殿である。その一室に、当代の聖女――イオが一人佇んでいた。
銀に輝く真っすぐな髪、人形のように整った顔立ち。女性にしては少し背が高く、体には余分な肉がない。ほっそりとした体型で見目麗しいが、少し瘦せすぎているようにも見えた。
この美しい少女は今年で15歳になる。
イオが自室で一人休んでいると、突然部屋の扉が乱暴に開かれた。この国の頂点に君臨するイオに対して、ノックもなしに部屋へ
「何かご用ですか?お母さま」
イオは冷ややかな視線を相手に向けた。
お母さまと呼ばれたその女性は、銀色の真っすぐな長い髪と年齢を感じさせない美貌を有しており、一目でイオと血縁関係にあることが分かった。
女性はフンと鼻をならすと、形の良い唇を歪めて言う。
「お前にそう呼ばれるたび、ゾッとするわ。本当に耳障りよ」
「それは、それは。申し訳ございません、アイラ様」
イオは
「このっ……ニセモノがっ!」
吐き捨てるようにアイラが言う。
対外的に、イオはアイラの娘ということになっているが、アイラの口調は少なくとも実の娘に向けるようなものではない。事実、この場で睨み合う二人は
イオは全てを偽って生きている。
具体的にどこに虚偽があるのかと問われれば、『名前』『性別』『出自』だ。
イオの本当の名前はシン――男である。
そして、『シン』の母親はアイラの双子の姉、今は亡きセイラだった。
シンは聖女の身代わり――つまり、ニセモノの聖女である。
本来ならば女性しかなれない『聖女』の身代わり役を、どうして男のシンが果たしているかと言えば、それにはもちろん事情があった。
聖女の最も重要な役割は、この世界を守る結界を維持すること。それには並外れた『霊力』が必要不可欠である。
霊力は森羅万象に宿るすべての
そして、この霊脈という膨大なエネルギーを操るのに、並外れた霊力が必要だった。逆説的に、結界を維持する聖女は、常人ならざる量の霊力をその身に宿していることになる。聖女の身代わりを務めるシンも、常識を超えた霊力を保有していた。
さて、シンの叔母に当たるアイラには娘がいる。その
ただし、本物のイオには欠点があった。彼女は身体が弱かったのだ。結界の維持という過酷なお勤めをこなすような体力が、彼女にはなかった。
しかし、イオの親やその親族――カンナギ家は目の前に吊り下げられた『聖女の座』をどうしても諦められなかったのである。
聖女はコハク国の国家元首的存在であり、同時にスーノ聖教会の
それ故に、カンナギ家の当主らは、どうしてもイオを聖女の座に据えたかった。転がり込んできた
そこでカンナギ家の者たちは思いついた。イオが健康に成長するまで、誰かを『身代わり』にできないか――と。
それで、目を付けたのがシンだった。
シンは男だが、母親そっくりの美貌を持ち、少女でも十分通用する容姿をしていた。母親同士が一卵性双生児であることもあって、シンとイオはよく似ている。
何よりも、シンはイオ以上の膨大な霊力を有していた。
シンをイオの身代わりに仕立て上げよう――そう、カンナギ家の当主らは取り決めた。
母親を亡くし、父親もおらず、後ろ盾のないシンには、その一族の決定に
そうして、シンはイオの身代わり役となった。
名前を偽り、性別を偽って、彼はニセモノの聖女になったのだ。
もちろん、聖女が偽物で、あまつさえ男だなんて世間にバレてしまっては一大事である。これはカンナギ家だけの秘密であり、枢機卿をはじめとした他の者たちに知られるわけにはいかない極秘事項だった。
そのため、シンは身の回りの世話をする侍女をほとんどつけず、自らの体を隠した。できるだけ男らしい体にならないよう栄養を制限して、その成長を遅らせた。
そのかいあってか、15歳になった今も、シンの秘密は露見していない。しかし、それもそろそろ限界だろう。いつまでも誤魔化しきれるものではない。
一方、本物のイオはと言うと……
「姉に似て、ますます生意気になっていくわね。いい?お前はあくまでイオの身代わりなのよ?」
シンと睨み合っていたアイラだったが、不意に笑みを浮かべた。
「あの子もずいぶんと健康になったわ。もうすぐ、お前の役割も終わり。私もお前の忌々しい顔を見なくて済むわ。あぁ!せいせいする!」
彼女の言葉が強がりではないことを、シンは知っていた。実際、イオの身体は成長するに従って、丈夫になっているようだった。
おそらく交代の日は近いだろう、とシンは推測する。
そして、イオとの交代と同時に、カンナギ家は己を始末するつもりだろうと。
シンとイオは容姿がよく似ているとはいえ、周りの人間がこの入れ替わりに気付かないはずがない。身近であればあるほど、話し方や接し方で分かってしまう。
だから、交代に際して、カンナギ家の者は「シンがイオの影武者であった」と公表するだろう。結界の維持そのものを行っていたのはイオだが、人前に出るときは用心のため影武者を使っていた――そう言い繕う。実際、権力者が影武者を立てることは珍しくない。
もちろん、シンに近しかった者たちは、それが本当か
そして無事、イオは聖女の座に収まる。
一方、用済みとなったシンは余計な情報が漏れないよう、口封じされる。
このことを、シンは少なくとも三年以上前から覚悟していた。
もちろん、シンも黙って殺されるつもりはなかった。さんざん聖女としてこき使われた上、殺されるなんて冗談ではない。
だから、カンナギ家に対抗するための力をつけようと彼は動いていた。例えば、枢機卿に名を連ねるような家門を味方に引き入れようとした。
しかし、その目論見はカンナギ家の妨害にあい、実現しなかった。故に、シンに残された手札はあと一つ。
――逃げよう。
シンはその機を伺っていた。
利用されるだけ利用され、おめおめと殺されてなるものか。
そんな彼の覚悟を知らないアイラは言う。
「あと少しなんだから、くれぐれも問題を起こすんじゃないわよっ!」
絶対に生き残る――そう固く誓い、シンは拳を握りしめた。
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