第3話 探偵はたぶん死んでいる ③
「ほんとに死んだんですかね」
先月付で配属になった若い男が、軽い調子で尋ねてくる。
「状況から考えれば、そうだろうな」
発射された弾丸、残された血痕、壊れたフェンス、捜索は長期に及んだが、結局彼女は見つからなかった。
あの出血で初冬の海に落ちたのだ、おそらく生きてはいないだろう。扱いは行方不明のままだが、ほとんどの者が彼女は死んだと考えていた。
「会ってみたかったなあ」
この若者は、彼の――例の事件で死んだ男の後任として
「その件は、口にするなと言われただろう」
事実、事件については
表向きは彼女のプライバシー保護のため、しかし実際は、その内容があまりに危ういものだったからだ。
「……ただの都市伝説かと思ってましたよ」
「それでいいんだよ。ああいうのはな、宇宙人やら幽霊やらと同じで、存在をはっきりさせない方がいいんだ」
「確定無罪、犯罪者殺し、刑法四十一条が生んだ令和の怪物……」
「それ以上言ったら減給だぞ」
「勘弁してください、黙りますから」
笑いながら、彼は自分のデスクに戻った。以前そこに座っていた男は、暴漢から少女を守ろうとして命を落とした――そういうことになっている。
余計なことをするからだ。
少女を連れ去ろうとした
「おまけに容疑者は自殺……か」
事件に巻き込まれた本当の意味での被害者に、私は心のなかで手を合わせた。
「先輩、課長が呼んでますよ」
「ああ、わかった」
用件の予想はついている。事件の後処理、あとは彼女の今後についてだ。
「やはり、死んだことにするそうだ」
頼られるのが嬉しいのだろう。刑事部一課を束ねる男は、明るい声でそう言った。
「……有名になり過ぎましたからね」
ここ最近、彼女に関する情報がインターネットやSNSに出回り始めていた。根拠のない噂話が大半だが、なかには極めて真実に近い危険なネタも含まれていた。
「世間もだが、それ以上に
確かに警察――とりわけ署管内においては、彼女の存在は周知の事実となりつつあった。警察と彼女、両者の目的、行動原理は重なっている。これは仕方のないことだろう。
「ここらで一度リセット、というわけですね」
私の言葉に課長は頷き、その後不機嫌そうに唇を歪めて見せる。
「彼女自身はな、どうでもいいって感じなんだよ。ただ、
政界、財界、裏社会、そしてもちろん警察にも、彼女の支援者――フォロワーはいる。
支援者といっても基本的には見守るだけ、こちらから動くことはない。ましてや彼女の行動に口を出すなど――
「過干渉でしょう。どこのどいつか知りませんが、許されませんよ」
思わず語気が荒くなってしまい、私は課長に頭を下げた。
しかし、彼女に干渉――どころか、その行動に己の意思を反映させようとする者がいるなら、それは絶対に許されないことだ。
彼女は自由でなければならない。彼女が彼女の意思で動くからこそ、我々は職分を放棄し、誇りに泥を塗ってまで、彼女の
「俺たちは、職業柄こうなってしまったわけだが、他の支援者というのは、ほとんどが力のある者――権力者だ。見てるだけ、では気が済まんのさ」
「納得が――」
「してないさ、だから問題ない」
言い切ったその言葉に、思わず笑みが
「……隠蔽は上手くいっています。彼女の死を疑う者はほとんどいないと思われます」
彼女が動くのなら我らが口を出す必要はない。私は私の仕事をすべく、今回の件の報告を始める。
「二重偽装、特に一つ目の印象が強烈だからな。その奥にもう一つ嘘があるとは思わんだろう」
そう、事件は二重に偽装されている。大衆向けの嘘の裏に、警察関係者を主とした、彼女を知る者に向けてのもう一つの嘘がある。
この事件、警察による発表は、身元不明のホームレスによる警察官の殺害と少女に対する殺人未遂だ。
少女は現在行方不明、現場の状況から見て、銃で撃たれた後、海に落ちたと思われる。
尚、容疑者は犯行後、銃を持ったまま逃走、事件発生からおよそ二時間後に、現場から二キロ離れた河原にて遺体で発見されている。死因は拳銃で頭を撃たれたことによる脳挫傷、頭骨内損傷。自殺だろうと推測される。
当然ながらこの話、真実はほとんど含まれていない。
あの日、彼女の機転で我々は生の現場に駆けつけることが出来た。
彼も彼女も生きている。現場はほとんど荒れていない。そんな状況だった。
そのタイミングで駆けつけることが出来たのは、課長のもとに彼女からのメッセージが届いたからだ。
「10分以内に海浜公園跡へと来られたし、パトカーに事情を知る者二名を乗せて、時間優先、サイレンあり、あと課長は下田橋の近くで待機」
発信時刻から推測するに、殺されかけている最中にそれは打たれたものなのだろう。
状況はまるでわからなかったが、彼女からの指示である以上、我らはすぐさま動くしかなかった。
現場をみて、事情はすぐに理解出来た。
「都合のいいようにやるといい」、彼女のそんな言葉を受けて、我々は行動を開始した。
目撃者はいなかった。私は同行した部下とともに、筋書きに合わせて現場をつくり始めた。
ここで頭を悩ませたのは血痕についてだ。あったほうが良い、というよりなければさすがに説得力に欠ける。
彼女を傷つけることに
そしてもう一人――彼は、起こるすべてをただ淡々と受け入れた。
「出来るだけ、職場に迷惑がかからないようにして欲しい」
要求はそれだけだった。
部屋に遺書がある――前もってそれを教えてくれたことも我々の大きな助けとなった。その日の夕方、私は比較的信用の薄い同僚の前で、彼の遺書を処分した。
現職の警官による未成年者の殺害、そんな不祥事が
彼の罪を隠すため、警察は別の事件をでっち上げた。
勘の良い者――正確に言えば、自分は勘が良いと思い込んでいる者は、事件をそのように読んだ。そう読むように我々が事件をつくったのだ。
真実、つまり事件の真相は、現職の刑事による殺人未遂、ということになる。
銃が使われたこと、対象が未成年者の少女であること。それらを考慮すれば、大きな事件、不祥事であることは間違いない。間違いないが、未遂は未遂、銃は撃たれず相手はかすり傷一つ負っていない。彼女が何の裏もない本当の一般人であったとしたら、錯乱した刑事のやらかし、それで話を終わらせることも出来ただろう。
しかし彼女の抱える闇は、あまりに深く禍々しすぎた。
自ら調べ、自ら暴き、自ら殺す。
己一人ですべてを完結させる、自称、探偵。
彼が彼女の殺した数を何人と踏んでいたかはわからない。だがおそらく、その推測よりも実際の数は遥かに多い。
事件が起きて、犯人が死んで、そこに幼い子供がいる。そんなことが何度かつづいた。
名前は違う、年齢も常に同じというわけではない。ただ、容姿が
それが同一人物だとわかったときの衝撃は凄まじいものだった。
戸籍を変えながら、日本中で、犯罪者を殺しまくってるやつがいる。
そしてそれは、幼女の姿をしている。
幼女探偵――その名が警察関係者の間で語られ始めた頃、私は彼女の
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