霊と僕の小さな晩夏

梅丘 かなた

霊と僕の小さな晩夏

   1



 蒸し暑い、ある晩のことだ。

 壮太そうたは、寝苦しい浅い眠りの中、誰かが近くにいる気配を感じた。

 その気配は、股間の辺りにある。


 彼は、うっすらと目を開け、自分の股の辺りを眺めおろした。

 夏なので、肌掛け布団だけ体にかけていたのだが、それは寝相のせいで大きく体からずれていた。

 誰かが、壮太の股間を触っている姿が見える。

 しかし、触られている感覚は一切ない。


「誰だ……?」

 壮太は、股間を触っている男に聞き、手で触れようとした。

 男には触れられず、手はすっと通り抜けてしまう。

「バレたか……」

 と男は言い、立ち上がって、どこかへ行こうとする。


 壮太は、とたんに怒りを感じた。

 急いで、部屋の電気をつける。

「ちょっと待った!

 人が寝ている間に股間を触るとは、非常識なヤツ!

 しかし、あんた、どう見ても透き通っているよな?

 股間も、触られた感じがしなかったし」

 壮太は、目を凝らして男の姿を見た。

 部屋が明るくなり、男の姿ははっきりと見えるのだが、半ば透明のように見える。

「だって、オレ、死んでいるんだもん」

「つまり、お化けってこと?」

「そうみたい」

 壮太は、これは夢だと思い始めた。

 幽霊なんて、実在するはずがないし、自分に見えるはずもない。


「オレだって、最初は自分が幽霊になったとは考えられなかった。

 だけど、思い返してみると、確かに病室で病に苦しんでいた記憶がよみがえってきたんだ」

「死んだら、みんなお化けになって、こうして出てくるのか?

 そうだとしたら、この世界、お化けだらけで、空間を埋め尽くすくらい大勢いるってことになるんじゃ?」

「死んでも、成仏さえすれば、こうしてウロウロせずに、天国に行けるみたい」

「君は、成仏できなかったのか……。この世に未練があるとか?」

「ある。君みたいなイケメンの股間をもっと触りたかったとか、彼氏が欲しかったとか……」

 男の言葉を聞き、壮太は、自分はどうなのだろう、と思った。

 今、もし死んだら、成仏できるのか、それともこの幽霊のように現世をさまようことになるのか。


「でも、どうやら今のオレの体は透き通っているから、股間を触ろうとしても、すり抜けちゃうみたいなんだ」

「こうして、幽霊、つまり君の姿が、俺に見えるのはなぜなんだろう」

「それは分からない。

 たまに、オレの姿が見える人がいたから、君も“見える人”なんだろう」

「しかし、俺は幽霊の姿を見るのは、君が初めてだ」

「今、見えるようになった、とか?」


「ところで、君の名前は? 俺は、南野みなみの壮太そうた

青木あおきさとる

「悟くんは、普段何をしてるの? 話し相手とか、いる?」

「たまに、気の合う幽霊と話をしたり、あとは街に出てイケメンを探したり」

「成仏したいと思う?」

「成仏した後、どんな世界に行くかは不安だけど、できればしたいと思ってる」


「俺が思うに、彼氏が欲しかったとか、そういうのは、成仏できない理由ではないのでは?」

 悟は、急に無言になった。

「男が欲しかったとか、それくらいで成仏できないとは思えないんだ」

 壮太は、悟に伝えた。


 突如、悟の姿が薄れ始め、数秒後、完全に消えてしまった。

「あれ? 悟くん?」

 悟はなぜ消えてしまったのだろう、と壮太は考えた。

 悟自身の意志で消えたのだろうか。

 だとしたら、自分が何かまずいことでも言ったのか。

 壮太は気になったものの、考えても仕方がないと思い、再び床に就いた。



   2



 翌日、壮太はいつも通り、出社した。

 通勤途中も、オフィスの中でも、幽霊の姿は一切見なかった。

 やはり、自分は幽霊が“見える人”ではないのだ。

 だが、昨晩、悟と出会い、会話したことをはっきりと覚えている。

 それは夢ではない、と壮太には分かっていた。


 壮太は、一人暮らしのアパートに着いた。

 今夜は、ひどく蒸し暑く、スーツの中は汗だくだった。

 壮太は、ドアにたどり着くと、鍵を取り出す。

 背後に誰か、人の気配がする。

 振り向くと、悟がいた。

 彼は、「話がある」と壮太に言った。

 二人は、壮太の部屋に入り、話すことになった。


「それで、話というのは……」

「まず、一つ、言いたいことがあって。

 オレが成仏できない理由は、無関係な壮太くんには話さないほうがいいと思うんだ」

「そう言われると、知りたくなるなぁ……。やり残したことでもあるの?」

「うん、まぁ、そんなトコ」


 悟は、さらに続ける。

「まず、壮太くんに聞きたいことがあって。

 壮太くんは、今後、誰かの弟子になるつもりはある?」

「弟子って、どういうこと?」

「“見える人”って、それだけで神経を使うし、人生も苦労しがちになるみたいなんだ。

 他の幽霊の人たちから、そう聞いている」

「それが、どうも今の俺には君の姿しか見えないみたい。

 あれから、まだ一度も君以外の幽霊を見たことがないんだ」

「それは不思議だな……。

 オレが言いたいのは、誰かの弟子になることで、知識も身につくだろうし、何よりも、見えるのが自分だけじゃないという安心感があるだろうということ」

「誰か、“見える人”で、有力な人を知ってるの?」

「一人、知ってる。幽霊たちの噂をたどって、行きついた人なんだけど……」

「紹介して!」

「壮太くんが、都合のいいときに、一緒に行こうよ。家も知ってるんだ」


 壮太は、にわかに不安になってきた。

「怖い人とかじゃないよね?」

「大丈夫、少し話したところ、優しい人みたいだから」

 壮太は、急にワクワクするのを感じた。

「悟くん、ありがとう!」

 壮太は、悟の手を両手で握ろうとしたが、すり抜けてしまった。

 悟は、はにかんだ笑みを浮かべている。



   3



 その男の名は、富沢とみざわ健一けんいちという。

 霊の姿が見えるのはもちろん、迷える霊を成仏させるベテランだ。

 壮太は、悟からそう聞いている。

 健一が住むマンションまでやってきて、急に壮太は、不安になってきた。


 健一の部屋は、5階。

 そこまでのエレベーターの中は、壮太と悟だけ。

 壮太は、何となくその事実には安心している。


 悟は、壮太を連れて、健一の部屋の前までやってきた。

 壮太は、緊張しながらインターホンを鳴らす。

「はい、どちら様ですか」

 スピーカーから、男の声がする。

「南野壮太と言います。

 ある日突然、幽霊が見えるようになって……それで、相談しに来ました」

「君の隣にいるのは、悟くんだね。一度、会ったことがある」

 インターホンは、どうやらTVモニター付で、部屋の中にいる健一から、二人の姿が見えるようだ。

 健一の言葉から察すると、彼には確かに悟の姿が見えるのだ。

「今、ドアを開けるね」

 健一が言った。


 健一は、二人をLDKに通した。

 そこにある、大きなテーブルと四脚の椅子。

 ここに、三人が座ることになった。


「僕は、富沢健一。よろしく」

 健一は、微笑を浮かべている。

 信用できそうな人だ、と壮太は思う。


「僕に、幽霊のことを色々教えていただけませんか?」

 すかさず、壮太は言った。

「もちろん、僕に教えられる範囲であれば、何でも」


「幽霊が見えるようになったと言っても、悟くんしか見えないんです」

「それは非常に珍しいケースだ。二人がよく似た性質のエネルギーを持っていて、それで同調したから、姿が見えるようになったのかもしれない」

「僕は、このまま見えていても、特に問題はないと思っています」

「そう言ってくれてうれしいよ。“見える人”でも、オレに好意的とは限らなかったから」

 悟の姿が見えてもいい、というのは、壮太の本心だった。

 悟に生活を覗かれたとしても、特に不快感はない。


「悟くんに聞こう。

 君は、この世になぜ留まっているのか、その理由を自分で知っているのかな?」

 健一は穏やかに聞いた。

「心残りがあるんです。夢があったというか……」

「話したくなかったら、話さなくていい。

 ただ、僕が手伝えることなら、なんでも手伝おう」


「僕はどうやらガンで死んだらしいんですが、もう少しでインディーズのミュージシャンになれるところで病気になったんです。

 それで、結局、夢が叶わないまま、死んでしまったみたいで……。

 インディーズとはいえ、全てを賭けた夢だったんです」

「そうだったんだ。残念だったね」

 壮太は、悟に言葉をかけた。

「天国にも、コンサートホールやライブハウスはあって、そこで音楽を楽しんでいる霊はいるよ」

「ホントですか?」

 悟は、希望に満ちた瞳で、健一を見た。

「君も、成仏すれば、きっと天国でミュージシャンになれるよ」


「病気になってデビューできなかったことを、バンドメンバーに謝りたくて」

 すると、健一の表情が少し険しくなる。

「それに関しては……、あきらめが必要かもしれん。

 僕や壮太くんが、そのメンバーに会って、君の言葉を伝える、という手もあるが、どう考えても怪しい話だと思われて、信用されないだろう」

「病気になったことは、悟くんの責任じゃないよ」

 壮太が、言った。

「ああ。それは、分かっている」


「それで、悟くんは成仏できるんでしょうか」

 壮太は、健一に聞いた。

「霊が見えるなら、壮太くんは“癒しのともし火”が使えるかもしれない。

 壮太くんが、使ってみるというのは、どうだろう」

「“癒しのともし火”って、何ですか?」

 壮太の質問に、健一が答える。

「霊の魂を癒す光のことだ。

 今、悟くんが成仏していないということは、まだ完全に未練が解けきっていないのだろう。

 それを、エネルギーの質が悟くんに似ている、壮太くんが使うといい。僕がやるより、効果的なはずだ」


 健一は、壮太に「癒しのともし火」の使い方を教えた。

 まず、目を閉じて、リラックスするまで深呼吸を繰り返す。

 そのうち、深い瞑想状態になったら、温かい炎のような光を想像する。

 それを、かざした両手に出現させるイメージを保つ。

 火の温度は、高すぎず、低すぎず。


 壮太が両手に出した“癒しのともし火”は、この場にいる三人には見える。

 壮太の両手は、ばら色の丸い光を放っている。


「なかなかやるな……。僕以上にうまいかもしれん」

 健一は、壮太を褒める。


 悟の脳裏には、今までの人生の内、特に晩年の体験がよぎっていた。

 バンドメンバーと作品に関して口論になったこと、そして和解したときのこと。

 インディーズでデビューすることが決まり、メンバーや家族、友人と喜び合ったこと。

 不治の病を告げられた時のことや、つらい入院生活。

 死後、悲しんでくれた人の姿も、一人一人脳裏に映った。

 バンドメンバーは、悟に対し、まったく怒りはなく、ただ悲しみに沈んでいた。

 そして、冥福を心から祈ってくれた。


 悟が見た映像は、一部、壮太や健一にも見えていた。

 愛情と涙で凝縮された人生の物語が、そこにはあった。

 思わず、壮太は涙ぐむ。


「壮太くん、富沢さん、ありがとうございます。これで、もう思い残すことはありません」

「大丈夫、天国は本当にいいところだから。ゆっくり休むといい」

 健一が、悟に優しく言う。

「天国で、音楽を楽しんで! 悟くんなら、きっといいミュージシャンになれるよ」

 壮太が、悟に言うと、悟の体が光り輝き、やがてその姿が薄れていった。


「ありがとう」

 という悟の声を聞いたのが最後だった。

 彼の姿は完全に消えて、後には壮太と健一だけが、部屋に取り残された。


「悟くんは、無事に行けたみたいですね」

 壮太は、健一に言う。

「ああ。ただ、壮太くん。これだけは覚えていてほしい。

 悟くんは、僕たちの力を借りなくても、自分の力だけで成仏することもできたはずだ。

 時間がかかったとしても、ね」

「僕も、そう思います」


 壮太は、終わっていく夏の最後の日差しを浴びながら、帰路についた。

 ふいに吹いた風からは、秋の気配がした。

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霊と僕の小さな晩夏 梅丘 かなた @kanataumeoka

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