達成度26:双子の想い

「────伊織はかわいい妹です。とてもかわいい妹です。私たちは双子ですから、常に一緒に生きてきました。保育園、幼稚園、小学校に中学校。そして、高校まで。伊織は常に私と一緒でした」


 パイプ椅子に腰掛けた香織はそう語りだした。

 彼女の対面に座る鏡野は微笑を浮かべながら頷き、僕と伊織はそんな二人の様子を壁越しに見つめる。


 伊織は何も言わない。ただ黙って、香織の語る様を見ていた。


「香織はいつも私の後をついてきます。柊ヶ丘に受験したのだってそうです。私がこの学校を受けることを決めると、香織もここを受験することを決めました。そして二人一緒に合格して、仲良く二人一緒に入部してきました」


「……ふむ」


「彼女は私と同じことをします。例えば私が趣味で携帯にゲームを入れて遊んでいると、伊織も同じゲームを入れて遊ぶのです。私がこれからこの学校で部活に入れば、伊織も間違いなく同じ部活に入るでしょう。それほどに彼女は私を真似て、私と同じ道を歩もうとするのです」


「つまり……言ってしまえばそんな伊織君が鬱陶しい、と?」


「いえ、違うんです」


 香織はふるふると首を横に振る。


「ちっとも鬱陶しくなんてありません。喧嘩もするけれど私にとっては伊織はかわいい妹です。それは変わりません。ただ……」


 そこで言葉を区切ると香織は俯く。地面に視線を落とし、


「ただ、私はある日不安になりました。伊織はこれから先もずっと私についてきて、私と一緒に行動して、私と同じ人生を歩む。……彼女はもしかしたら、妹であるということの義務感から私の後についてきているのかもしれない。そしてそれがそうだとしたら、私と共に歩むことが彼女の幸せにはならないんじゃないか、と」


「……っ」


 隣の伊織が息を飲む。


 声をかけることもできた。でも、これは二人の問題だ。


「私の人生と同じ人生をあの子は生きる。それはつまり、私の人生をあの子に強いてしまうということです」


「そうか。だから君は」


「ええ。最初に申し上げた通り、伊織はかわいい妹です。私は伊織を愛おしく思っています。ですがだからこそ、私が彼女の人生の可能性を狭めるようなことがあってはいけないと、そう思いました」


「……そんなこと」


 伊織が小さく呟く。だがその呟きは香織には届いていないだろう。


 話さなければ。言わなければ、届かないし伝わらない。


 だからこそ鏡野はこの場を用意したのだ。


「そんなことを考えていた折に私は伊織と喧嘩をしました。きっかけは覚えていませんが、些細なことだったと思います。いつもならすぐに謝って仲直りするところですが────私はこれを期に、伊織に自分の人生を歩んでみてもらえないかと思ったのです。つまり私とは違う部活に入って、私とは違う経験をさせようと思ったのです。そこでふと見かけた図書新聞で、暫定生徒会の広告を見ました」


「なるほど。それで伊織君になりすまして、うちに入部届を提出したというわけか」


「はい。彼女には、私という足かせのない人生を歩んでほしい。ですから、絶交したこのタイミングで私は妹になりすまし、暫定生徒会に入部したのです。……すみません、暫定生徒会のお二人にはご迷惑をおかけしてしまいました」


「つまり……自分と同じ道を歩もうとする双子の妹に、自分とは違う経験をさせてやりたかった。そのために妹として暫定生徒会に加入した。それが君の本音か、香織君」


「……」


 香織はこくりと頷く。

 きっと彼女は彼女なりに妹のことを想って行動を起こしたのだろう。そうでなければ破られることがわかっているのに、毎日丁寧に入部届を書いてくるわけがない。


「しかしそれならば、他にも色々部活はあるだろう? ほら、テニス部とか、芸術部とか、卓球部とか。なぜよりにもよってウチに入れようとしたんだ?」


「それは、伊織はなかなか周囲に馴染めないので……もっとも、それは私もですが。なので、全員の個性が強そうなこの部活でなら伊織も浮くことなくやっていけると思いました」


 なるほどな。あのポスターを見たらそりゃ、個性のとんでもなく強い集団だと思うだろう。

 実際のところ暫定生徒会は集団などではなく個性の強すぎる一人の少女によって運営されているわけだが……。


「ですが、暫定会長が私が妹になりすましたことを知っているということはきっと、伊織がお二人に相談してきたのでしょう。あるいは姉を止めてくれと、お二人に頼んだのかもしれません」


 香織はふっと口元を緩める。そして、どこか悲しげな笑みを浮かべると「……なので、ここまでです」と、立ち上がって鏡野に頭を下げた。

 深く、長く。


「お二人を私たちの姉妹喧嘩に巻き込んでしまったこと、本当に申し訳ありませんでした。私はもうここには来ません。伊織にもあとで謝ります。彼女にも、私の勝手な思いで迷惑をかけましたから────」


「香織君……」


「────っ」


 その途端バッ、と僕の隣で伊織が立ち上げる。


「……行くか、伊織」


 僕は伊織に微笑みかける。彼女は小さく頷くと、すぐに走り出して教室を出ていった。


「この入部届も持って帰ります。もう必要なくなってしまったので。それでは暫定会長────いえ、鏡野先輩。短い間ではありましたが、楽しかったです。あるいは本当に、霧島香織として正式に入ろうかと思ったこともありました。ご迷惑をおかけしてすみません。それから、お世話になりました。それでは────」


 と、香織が入部届を持って旧生徒会室から出ようとしたその時。

 不意に扉が開かれた。その向こうに立っているのは香織と全く同じ容姿をした少女。


 霧島伊織。


「香織」


「……伊織? どうしてここに……今日は来ないはずじゃ」


 突然現れた双子の妹を前に香織は目を丸くする。当然だろう。これまで一切学校では顔を合わせてこなかった彼女が今ここにいるのだから。

 驚きの色に表情を染める香織とは対象的に、鏡野は腕を組み不敵な笑みを浮かべる。


「来たね、伊織君。今までの話は全部聞こえていたかな?」


 伊織は頷く。僕は彼女に続いて旧生徒会室に入った。


「ああ、壁越しに全部聞こえてたよ」


「……いたんですか、先輩」


「まぁな。それよりもほら、こっちの妹が何か言いたげだぞ」


「……」


 僕の言葉に香織は再び視線を伊織へと移す。

 双子の姉と妹が交わす、二週間ぶりの会話。


 自然と旧生徒会室には重い沈黙が立ち込める。

 その静寂を打ち破ったのは、伊織の発した第一声だった。


「香織に言いたいことがあります」


「言いたい、こと?」


「わたしはたしかにこれまで、香織と同じ道を常に歩んできました。香織の後を追って、わたしは生きてきました。香織にとっては、時には鬱陶しかったかもしれません。わたしは香織とは違って勉強も運動もあまりできないので、不出来な妹を疎ましく思うこともあったかもしれません」


「伊織、そんなことは決して……っ!」


「ですが。ですがそんなあなたの後を追うことは────わたしにとって足かせなんかじゃありません」


「────っ!?」


 香織の目を見て。香織の視線を一身に受けて、伊織ははっきりとそう言い切った。

 伊織の言葉には、確かな意思が込められていた。


「あなたは先ほど、わたしのことをかわいい妹と言いました。わたしにとってあなたは尊敬できる姉です。いつでもわたしの先に行って、なんでもそつなくこなして。そんな香織を、わたしは尊敬しています。そんな香織に憧れているからこそ、わたしは香織と同じ道を歩んでいます」


「香織……」


「責任でも、義務でもありません。わたしは霧島伊織です。霧島伊織自身の意思で、香織と同じ道を歩んでいるんです。────わたしがそうしたいから、わたしは香織と一緒にいるんです」


 霧島伊織は言った。その瞳には、うっすらと涙がにじんでいた。

 姉と同じ道を歩むのは、苦痛でも足枷でも義務でもない。


 ただ彼女がそうしたいから。

 尊敬できる姉に憧れているからこそそうしているのだ、と。


「だから……だから、もしよかったら、これからも一緒にいさせてください。あなたと、香織と一緒に」


「────ごめんなさい」


「香織君!?」


 いきなり頭を下げた香織に思わず鏡野が声を上げる。だが伊織は全てわかっているようで、こくりと頷いた。


「ごめんなさい、伊織。私はずっと誤解していました。伊織のことを愛おしく思いながらも、もしかしたら伊織は私に縛られているんじゃないか、と。そうずっと思っていました。だから……ごめんなさい。こんなお姉ちゃんを、許してください」


「いいんです。これでも双子の妹です、香織がわたしのことを想ってくれているのは知っていますから。それよりも謝るべきなのはわたしたちのことに巻き込んでしまった暫定生徒会の先輩方です。これが終わったら、改めて謝罪しましょう。もちろん────二人で」


 姉妹はどちらからともなく手を差し出す。それは間違いなく、握手だった。


 仲直りの握手。それから握手した伊織と香織は、互いに抱き合った。


「……まったく、私たちらしくもありませんでしたね」


 やがてひっく、ひっくと泣きじゃくる声が聞こえてくる。


 それが二人のうちどちらから発されたものなのかはわからない。

 知る必要もないだろう。


 ともかく。


 双子で入れ替わり立ち替わり、入部届を提出しては破り捨てて僕ら暫定生徒会を翻弄した霧島姉妹。


 彼女らの物語はこれでひとまずの幕引き────と、いうことでいいのだろうか。


「一件落着、か?」


「……どうやら、そのようだね」


 鏡野がふっと息を漏らす。抱き合って泣き声を上げる二人の後輩をどこか満足気に見つめる鏡野の顔は、ひどく優しく見えて────その横顔に、僕はふと顔が熱くなっていくのを感じた。


「それにしても姉妹喧嘩とはいやはや恐れ入った。私は経験がないからな、こういう事態には力になれそうにない。君が彼女、伊織君に対話を促してくれて助かったよ」


「鏡野は一人っ子なのか?」


「ああ。だから、実を言うと彼女らが少しだけ羨ましい。……いいものだな、兄弟姉妹とは」


「────」


 僕と鏡野は霧島姉妹に視線を戻す。


 抱き合う霧島姉妹を見て、僕はかつて妹と走り回っていた幼い頃の自分を思い浮かべた。


「……まぁ、な」


 あながち、こんな√も悪くないのかもしれない。


 なぜなら────この姉妹の笑顔を守れただけでも、僕が未来から戻ってきた意味はたしかにあったのだから。

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