達成度24:双子の妹からの依頼

「────そうですね、今から二週間ほど前のことです。私は姉の香織と、喧嘩をしました」


 パイプ椅子の上にちょこんと座る霧島────改め、伊織はぽつりぽつりと語りだした。

 僕と鏡野は黙って彼女の話に耳を傾け、静かに続きを促す。


「きっかけが何だったのか、今となっては覚えていません。ですが、きっとそのくらい些細なことだったのだと思います。私たち姉妹にとって喧嘩は取るに足らない日常茶飯事ですから」


「姉妹間での仲が悪いのか?」


「……まぁ、仲が悪いと言えばたしかに悪いのかもしれません。ですが、よく喧嘩をする分だけ仲直りも早いのです。頻繁に喧嘩はするけれど、それでもすぐに仲直りする。それが私たちでした。ただ……今回は」


 そこで言葉が一旦途切れ、伊織はわずかに目を伏せる。行儀よく膝の上に乗っけられていた両手にぎゅっと力が入り、制服にシワを作った。

 相変わらずの何を考えているかわからないような、まるで氷の彫像のようなその表情からは感情は読み取れない。

 しかし、何らかの強い念を抱いているように僕には見えた。


「今回は違いました。売り言葉に買い言葉、私も香織もお互いにすっかり熱くなってしまって、謝るタイミングを完全に逃してしまったのです。そのままずるずると時間だけが流れていって、私たちはこの二週間一度も口を利いていません。同じ家に暮らしているのに一言も会話せず、学校でも別々に行動して出くわさないようにしていました」


 同じ家に暮らしているのに一言も会話せず────か。

 全く耳の痛い話だ。かつての、元いた時間軸の僕と妹の菓凛の関係性を思い出す。


 僕と菓凛もまた、高二の春に大喧嘩をした。

 きっかけはもう覚えていない。けれど霧島姉妹と同じく、きっとくだらないことだったのだろう。初めは些細なすれ違いだった。


 喧嘩なんて別に珍しくなかった。けれど、僕もまた伊織と同じように謝るタイミングを逃して────そのまま卒業するまでのその後の二年間で、僕ら二人はまるで互いに関わらなくなった。


 まるで知らない、赤の他人のように。

 言葉を交わすこともなく、視線を合わせることすらなく。


 結局僕は妹との関係を何も修復できなかったままこうしてタイムリープして、無かったことにしてしまったけれど、そのことにうっすらとほの暗い罪悪感を覚えずにはいられない。


「ですが、そんな時でした。香織は突然私になりすまし、勝手に私の名前を騙ってこの暫定生徒会に入部届を提出したのです」


「ふむ、そういうことか。しかし伊織君はどうしてそれに気づいたんだい?」


「旧生徒会室に向かっていく香織を後ろからつけていたので」


「つけてたのかよ……」


「偶然廊下で見かけた香織が不審な行動をしていたので、こっそりと後をつけたのです。そうして、香織が私になりすましてここに入部したことを知りました」


「姉の香織君はどうして伊織君になりすましてうちに入部を? 我々の力を借りたいのであればそんなことをせずとも協力したものを」


「おそらく香織の目的は私への当てつけ、単なる嫌がらせでしょう。香織はなかなか謝らない私に業を煮やし、そのために暫定生徒会さんに私を入部させたのです。そうでなければ、あんな怪しさが致死量のポスターを貼り出すような得体の知れない不審な団体に妹を入れるはずがありません」


「あ、怪しさが致死量のポスターだって……!? あれが!?」


「おい、お前はどこにショック受けてんだよ。自覚してたんじゃなかったのかよそこ」


「くっ、そんなはずはない……!! あれは流行の最先端、崖っぷちのデザインのその遥か先を征く私渾身の先鋭的傑作だったのに……!!」


 それはもう落ちてるだろ、崖から。絶賛落下中だろ。

 ふとちょんちょんと袖を摘まれ、振り返るとそこでは伊織がジト目を浮かべていた。


「……あの、先輩。話を続けていいですか?」


「あ、ああ、すまん。続けてくれ」


「……ともかく。それで私は憤慨しながら、香織が私になりすまして提出していく入部届を破り捨てていたのです。一日おきに」


「なるほどな」


 今の説明でだいたいの事情は掴めた。

 要するにこれは双子の霧島姉妹の姉妹喧嘩なのだ。


「でも霧島」


「伊織、と呼んでください。名字では姉との判別が付かないので」


「ご、ごめん。え、えーっと……伊織」


「はい、何でしょう先輩」


 ……なんだこれ。なんかムズムズする。

 そういえば女の子を名前で呼んだことって今までなかったな。しかもそれが後輩だなんて少し恥ずかしくなってくる。先輩という呼び名にもまだまだ慣れないし。


「先輩?」


「……どうしたんだ、塩江君」


「っと悪い。って鏡野? なんでそんなつまらなそうな顔してるんだ」


「フン、何でもないさ。気にするな」


「……? まぁいいか。それで、伊織。お前らが双子の姉妹だったことを今まで僕たちに言わずにひた隠しにしてきたのはどうしてなんだ? もっと早くに言ってくれれば、入部届を突っぱねるようなことだってできたのに」


「……それに関しては重ね重ね申し訳ありませんでした。私たち姉妹の問題になるべく部外者を巻き込みたくなかったのです。といっても、お二人はもう十分すぎるほどに巻き込んでしまっていたのでお話するべきだったのですが」


 伊織はぺこりと頭を下げる。そして、顔を上げると同時に続けた。


「これが今までの、私たち姉妹の入部届を巡る全てです。何か質問などはありますか?」


「いや、特には」


「私もないな」


「そうですか。では、改めてお願いします。暫定生徒会さん────どうか、姉の伊織を説得して、止めていただけないでしょうか」


 再び頭を下げた伊織はじっと、僕たちを見つめる。


「このままでは姉はずっと────少なくとも彼女の気が済むまでは、この暫定生徒会に入部届を提出し続けるでしょう。それではお二人に迷惑がかかってしまいます。ですから……私はもうこの応酬を終わりにしたい。これ以上他の人たちを巻き込みたくない。そのためにお二人の方から、姉を説得していただけませんか」


「たしかにそうだけど……でも伊織。わざわざ僕たちを介するよりも、お前は一緒に住んでるんだから、直接会って話せばいいんじゃないか? 二人だけで解決できればそれに越したことはないだろ」


 そう伊織を見ると、彼女は少しだけうつむいていた。

 伊織は床に視線を落としたまま言う。


「ですが……どう話せばいいのか、私にはわからないんです」


「……」


「それに、気まずいです。話しづらいんです。そもそも顔を合わせただけでどこかに逃げていってしまうのにどうやって二人で話せる状況を作れば……」


「まぁ、気持ちはよくわかるよ。そんなもんだよな、兄弟喧嘩なんて」


「先輩にもお姉さんが?」


「いや、うちは妹。僕は兄。でもほんと、歳の近い兄弟ってムカつくよな」


「……」


 僕は妹である菓凛のことを思い出す。

 あいつは生意気で生真面目で頑固でうるさい奴だ。昔からそうだった。今もそうだ。

 頼んでもいないのに毎朝起こしにくるし、しかも無駄に早起きだし。


 うちは両親が共働きで遅くまで帰ってこないからか知らないが、すっかり母親面して僕にわあわあ言ってくる。全く勘弁してほしい。


「いっつもうるさいし鬱陶しいしムカつくし、そのくせ自分より勉強は出来たりしてな。比べられるこっちの身にもなれっつーの。ほんと腹立たしいよな」


「……わかります」


「でも、さ」


 僕はあの時、菓凛に謝ることができなかった。違う、対話を自ら拒んだのだ。


 鬱陶しくて、面倒臭くて、彼女と話すことをやめた。青春と同じように、いつかは時間が解決してくれるだろうと放っておいた。


 一人で塞ごこんで、何もかも遠ざけて。


 誰かと話すことすら億劫になって、その機会を蔑ろにし続けた結果────二年以上僕と菓凛は口を効かなかった。


 そうして家でも一人ぼっちになった僕は、唯一の青春を見出したゲームの世界にますます逃避するようになった。


 一人。そうだ。僕は自ら、一人を選び続けていたんだ。

 だが孤独というのは存外辛くて、虚しいものだ。


 じわじわと精神を蝕む毒素。


 人は一人になるとどうなってしまうのか────その結末を僕は知っている。

 嫌というほどに知っている。


 だからこそ、目の前にいる少女に同じ道を歩ませたくはなかった。


「でもさ。そんな憎たらしい奴でも、いないと意外に寂しいもんだよ」


「寂しい、ですか」


「ああ。お前も片割れと二週間離れてたなら、少しは感じてるだろ?」


「……」


「だから一度、姉ちゃんとはちゃんと話したほうがいい。────後悔した時にはもう、遅すぎるかもしれないから、さ」


 人生というものはは決して取り返しがつかない。

 いくら後悔したところで後の祭りだ。

 だから、生まれて出来た後輩くらいにはせめて後悔しないようにしてほしい。

 それだけだ。


「……でも、そもそも話し合いの場を設けるにはどうしたらいいのか」


 目線を外し言いよどむ伊織。そんな中、鏡野がぱちんと指を鳴らした。


「そういうことなら諸君────こういうのはどうだろうか?」

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