達成度7:鏡野柚葉は変人である

「この私、鏡野柚葉が改めて歓迎しよう、青年君。ようこそ我が────“暫定生徒会”へ」


 そう、椅子に腰掛ける少女は口元に不敵な笑みを浮かべた。

 ボブよりも少し長い、ミディアムヘアに切り揃えられた黒髪。


 若干改造が施されているらしきゆとりのあるブレザーの制服に、胸元には学校指定のリボンではなくネクタイ。そして時折絶対領域がちらりと覗く黒タイツと、少女はおおよそ見かけないような個性的な出で立ちをしていた。


 一目見るだけで他の生徒とは違うとわかるファッション────もっとも『自由』を最大の校風とするこの柊ヶ丘では、一定の学業成績さえ納めていれば多少の制服改造は黙認されるのだが、それにしてもこいつは異彩を放っていた。


 僕はおそらく三年間彼女と同じ学年にいたはずなのだが、同級生にこんな人間がいるとは知りもしなかった。それだけネットワークがなく、校内の情報に疎かったということだろう。

 そして話を戻せば何よりも目を引くのは彼女が頭に被っている、学生帽のようにも見える帽子だった。


 あれはキャスケットだろうか? 屋内だというのにも関わらず外すつもりもないようで、彼女は帽子のつばに手をかけて僕に微笑みかけていた。


「鏡野柚葉……それがお前の名前か」


「その通り。いかにも私こそがこの“暫定生徒会”の会長にして部長、鏡野柚葉だとも。そして君の名前は……と、その前に。せっかくのお客をいつまでも棒立ちさせているのも忍びない。まずは適当な場所にでも腰掛けたまえよ、青年君」


 そう鏡野柚葉と名乗った少女は、生徒会室の床を指し示して言う。

 だがどこを見ても、座れるような椅子は見当たらない。


「遠慮するな、好きに座るといい」


「してねぇよ……じゃなくて、どこに座ればいいんだ。椅子とかあるのか? 見えないけど」


 この教室、やたらと机はあるわりになぜか椅子は置いていない。唯一の椅子は鏡野が座っているあの革張りの椅子だけだ。


「うん? 椅子ならそこら中にいくらでも……いや、ないか。となると、そうだな……君の椅子はあそこだ」


 鏡野が指差した先には、薄く折りたたまれたパイプ椅子が壁に立てかけられていた。


「あれを自由に使ってもらって構わない。君専用の椅子にしよう」


「……」


 自分はそんな上等な椅子に座っているのに、お客にはパイプ椅子をあてがうのか……まぁ、他に椅子がないというのなら仕方がない。僕は黙って壁際まで行くと、埃を被っていたパイプ椅子をはたき、埃を落としてからその場に広げて腰掛けた。


「……君、遠くないかい? もっと近くに来たまえ、話しづらいだろう」


 バレたか。正直いつでも逃げられるようにこいつとは距離を取っておきたいところだったのだが、指摘されてしまったからには場所移動せざるを得ず、僕はやむなく鏡野の前にパイプ椅子を持ってきた。


 一メートルほどの距離を空けて、僕と鏡野は向かい合う形になる。


「ふぅ、これでようやく話ができるな。おっと、机も必要だな。ちょっと待っていてくれ」


 鏡野は立ち上がって部屋の端っこからガラガラと動くタイプの長机を引いてくると、それを僕との間に設置する。

 そしてどこからかコップとケトルとティーパックと紙コップを持ってくると、二つ並べた紙コップの上に紅茶を淹れて「生憎と今はこれしかなくてな。まぁ、飲んでくれ」と僕に差し出してきた。


「ああ、どうも……」


 これはお茶だよな? しかしどうも馴染みのない銘柄なのか、こう……変なにおいがする気がする。こういう香りの紅茶なのだろうと思いつつ、しかし口を付けるのはやめておいた。


 そしてもわもわ湯気の湧き上がる紙コップを前に「ごほん、ごほん」と一呼吸置いて、ようやく鏡野は語りだす。


「では改めて。ようこそ青年君、我が“暫定生徒会”へ。私は鏡野柚葉、この“暫定生徒会”の会長兼、部長兼、副会長兼、書紀兼、監査兼、広報兼、庶務兼、最高責任者兼……」


「いや、長えな!」


 一人何役してるんだそれ。オールマイティが過ぎるだろ。

 というか、この生徒会(?)はこいつ一人しかいないのか?

 僕がつい叫ぶと、鏡野は眉をひそめてむっとした表情を浮かべる。


「仕方ないだろう。私しかいないんだから」


「あ、やっぱりお前だけなんだ……」


 だからさっき、というか今も、やけにテンションが高いのか。

 久しぶりの来客だとか何だとか言っていたし。


「ともかくまぁ、要するにこの旧生徒会室の主ということだ」


「旧生徒会室? ここはもう使われてないのか」


「……何を言っているんだ君は。生徒会がこんな旧校舎の奥に、わざわざ生徒会室を作るわけがないだろう。アクセスが悪いにもほどがあるぞ。ここはもう使われていない生徒会室だ。公には、な」


 そこで鏡野は一旦言葉を区切ると、片目を閉じて意味ありげな表情を浮かべる。


「公にはというと、実態は違うのか?」


「私が占領している」


「占領してるのか!?」


 借りている、とか使っている、とかじゃないんだ。占領してるんだ。

 ……なんだこの子。こわ。


「今は使われていない放置された生徒会室だが、私の拠点にはうってつけだ。なにせ旧校舎にあるおかけで学園当局のご威光が届きにくく、“暫定生徒会”の活動には都合がいい。それになによりも、この立派な椅子があるからな。気に入っているのさ」


「……えーと、鏡野、だっけか?」


「その通りだとも青年君、私こそが鏡野柚葉だ。この生徒会の会長兼、部長兼、副会長兼」

「おい、そのくだり名乗るたびに毎回やるのか」


「そのつもりだが?」


「そのつもりだがじゃねぇよ! それはもうよくわかったから、ちょっと聞いてもいいか」

「ああ、何でも聞いてくれて構わない。私は器が広いからね、どれだけ広いかといえばそれはもう雨上がりにこの柊ヶ丘の校庭にできる水たまりくらいには広いと断言しよう。だから遠慮せず質問してきてくれ」


「めちゃくちゃ狭い上に浅くないか? それ。僕遠慮せず聞いても大丈夫なの?」


 そこはいっそ、大海原とか言ったほうがいいんじゃないか? それとも自信満々に見えて意外と卑屈なのか? こいつは。


「まず、さっきからお前が言ってる“暫定生徒会”とかいう部活? のことがよくわからないんだが……それについて聞いてもいいか」


「おお、よく聞いてくれた。そこに興味を持つとは青年君、君はなかなか見込みがあるな。ずばり言おう。我々……といっても今は私一人だが、“暫定生徒会”とは────『全ての生徒に健全かつ充実した学園生活を提供する』ことを目的とした、この学園の真に正当なる生徒会だ」


「真に正当なる生徒会……?」


 鏡野の言っていることがいまいち理解できず、僕は首を傾げる。


「そりゃ一体どういうことなんだ」


 だが、彼女がヤバいことを言っているということだけがはわかった。なんだこの子。怖っ。

 ふと喉が乾き、目の前に用意された紙コップの紅茶を見つめる。


 ……せっかく淹れてもらったのに一切手つかずっていうのももったいない、よな。

 紙コップを手に取り、おそるおそる口に含む。


 うーむ、美味しいけれど……やっぱりなんだか、妙な風味がした。


 酸っぱい、というか。なんというか。

 これ毒とかじゃないよな?


 感じた違和感をちょっぴり不安に思いつつ、水分補給を挟んで僕たちの対話は続く。


 ────鏡野はその間、終始不敵な笑みを浮かべて僕を見ていたのだった。

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