達成度5:ラブコメの始まりはいつも唐突に

 放課後。

 言われた通りに旧校舎の前で待っていると、向こうから手を振りながら西条さんが現れた。


「おまたせ! ごめんねー、部活に顔出さなきゃいけなくてちょっと遅れちゃったかも。塩江君、もしかして結構待った?」


「いやいや、今さっき来たばっかだよ」


 嘘だ。本当は五限の終わりを告げるチャイムが聞こえるや否や僕は世界大会でロケットスタートを決める陸上選手の如くダッシュして教室を飛び出すと、真っ先にこの旧校舎に直行した。

 万が一にでも西条さんを待たせるようなことがあってはならないと考えての行動だったが、その甲斐あって西条さんが来る三十分前にはここに到着できていた。


「そっか、よかった」


 ほっと安心したように胸を撫で下ろすと、彼女は笑う。


 ……ていうかなんかこれアレじゃないですか、まるでデートの待ち合わせみたいじゃないですか。ついテンションが上がってしまう。


 まぁ、西条さんはそんなこと微塵も思っていないだろう。だから今のやり取りは僕の中での小さな記念に覚えておこう。これだけで僕の青春レベルのEXPがぐぐぐと溜まった気がする。


「それじゃ塩江君、行こっか!」


「行こっか、って……どこに?」


 ファミレスとか? ランドとか? シーとか? ヘヴンとか?


「この中に、だね。ちょっとついて来て!」


 僕が胸の中で夢心地に冒頭のやり取りをリピート再生していると、西条さんはくるりと背を向けて旧校舎の中へ入っていく。


 き、旧校舎にか? 別に西条さんが言うのなら、どこにでも行くけれど……、


「あ、中は結構薄暗いから転ばないように気をつけてね」


 僕は正直、この旧校舎がちょっと苦手だ。


 横浜にある赤レンガ倉庫のような見た目をした、洋風建築で建てられた旧校舎。


 ここはかつて柊ヶ丘が二千五百人を超える数の生徒を抱えていたマンモス校時代のものであるため、旧校舎と言えどもその規模は市内の他の高校の校舎と同程度にはあり、あまり手入れの行き届いていない現在ではまるで不気味な洋館を利用したお化け屋敷のような雰囲気を醸し出しているのである。


 今は部室棟として利用されてはいるものの、そのちょっぴりガラの悪い雰囲気や学園当局が持て余しているという都合上、内部には学園の公認非公認を問わず多くの部活やサークルがひしめき合っているちょっとした魔窟状態になっている。


 そのため帰宅部の僕には立ち入る機会もなく、またその必要もなかったため結局卒業まで旧校舎にはあまり近寄らないようにしていたのだが……薄暗い廊下に怯える僕とは対象的に、西条さんはどんどんと先へ進んでいく。

 目的地はこの旧校舎の中にあるらしい。


 バスケ部やサッカー部といった健全な部活の部室がある一階を通り抜けて階段を上る。


 二階の教室には『明治文学研究会』『コーヒー同好会』『TCG部』といった見慣れない団体名のプレートが下がっていた。だがほとんどの教室はドアの窓がダンボールや木の板で塞がれており、中の様子がわからないようになっている。


 まともに活動しているのか、そもそも存在しているのかも不明だ。

 うちの高校ってこんなアナーキーだったっけ?


 たしかに教育理念として『自由』を掲げているし、生徒の自主性を育むだとかなんだとかで色々フリーダムな校風ではあるけれど。


 そして西条さんはそれらの教室も無視してどんどん進んでいく。しばらく歩いていき、また階段を登った。


「さ、西条さん……?」


「ん?」


 階段の踊り場でだんだん怖くなってきて、前を進む西条さんに声をかける。すると彼女はいつも通りの笑顔を浮かべたまま振り返った。な、なんだ? 彼女はどこに向かっているんだ?


「あの……ど、どこに向かってるの?」


「いいからいいから。もうちょっとで着くからさ、ね?」


 そうして、僕と西条さんは三階に辿り着いた。


「こ、これは……ッ!」


 なるほど、三階建てのこの旧校舎はどうやら階が上がれば上がるほど比例してそこに入っている部活(?)のヤバさも上がっていくらしい。


 三階の古びた教室には『放課後の魔術師連盟・本部』だとか『神聖校則制定委員会』だとか、一目見ただけで非公認だとわかる怪しい団体名のプレートが掲げられていた。


 ……おい、本当にこの高校大丈夫か? というか本当にここ高校なのか? 九龍城砦とかじゃないのか?

 僕が静かに母校の行く末を憂いていると、やがて前を歩いていた西条さんがとある教室の前で立ち止まった。


「目的地はここ、かな」


「ここは……」


 教室のプレートを見上げると『生徒会室』と書いてある。


「生徒会室、なのか……?」


「うん、そうだよ」


 まさか今の生徒会はこの旧校舎を拠点にしているのだろうか? 現校舎からかなりアクセスは悪いし、何よりこんな場所にわざわざ生徒会室を設置するメリットは皆無なように思えるのだが……いや、それよりも今は。


「西条さんは、なんでここに僕を?」


 ここが今の生徒会の生徒会室であるのかどうかよりも、西条さんはここに僕を呼んで何がしたいのか。そちらの方が気になるし、聞くべきことだろう。


「あー……そのこと、なんだけど、さ」


 聞くと彼女はうっすらを頬を朱に染め、まるで僕の顔色を伺うようにして続けた。


「あの、えっとね……塩江君」


 その西条さんの視線に、ごくりと唾を飲み込む。な、なんだか変な雰囲気になってきたぞ?


 もしかして、もしかしてコレ……告白イベントか!?


 なんだなんだ、急展開だな。急展開だぞこれは。一度は落ち着いていた心臓がバクバクと脈打ち始め、額に変な汗が流れ出す。


 西条さんは俯きながら言い淀んでいたものの、やがて決心したように居住まいを正すと、真正面から僕と目を合わせた。


「塩江君、さ────生徒会に入る気とか、ないかな?」


「えっ?」


 せ、生徒会?


「そう、生徒会」


「ぼ、僕が生徒会に……?」


「うん」


 おそらく僕が過去からタイムリープしていなくても、当時の僕でも、この状況では全く同じことを思うだろう────なぜ!?


「ていうかそもそも生徒会のメンバーって、選挙で選ばれないと駄目なんじゃ」


「あ、その点は大丈夫。正規のメンバーじゃなくて、塩江君にはお手伝い、というか……ボランティアをお願いしたくて。そんなに大変なお仕事じゃないんだけど、どうかな?」


 それから西条さんは少し小さめの声で「そもそも生徒会自体、正式なものじゃないしね」と続けた。


 ん? 間違いなく学園から認可されているはずの生徒会が正式なものではないとは、一体どういう意味なのだろうか。しかしともかく、西条さんは僕に生徒会の手伝いをお願いしているらしかった。


 なるほどなるほど、そう来たか。


「塩江君?」


 僕が腕を組み、しばし思案に浸っていると。そのことを不審に思ったのだろう、西条さんは心配そうに僕を覗き込んでいた。


「……そうだよね、いきなりこんな事言われて困るよね。塩江君もまだ、二年生になったばっかりできっと忙しいのに……ごめん、やっぱり今の話は聞かなかったことに────」


「いや、やるよ」


「えっ」


「生徒会の手伝い……だっけ? やるよ。というかむしろやらせてほしい」


「塩江君……本当に? いいの?」


「ああ、僕で良ければだけど」


 戸惑う様子の西条さんに、僕はできる限り爽やかな笑みを作って頷く。

 当然だ。西条さんの頼みを断るわけにはいかないし、何よりもこれは────恋愛ゲームで親の顔より見た導入展開!


 少々雑だが、まさしく導入展開以外の何物でもない。

 なるほどな、ようやくわかったよ。


 やはり僕の二度目の青春は恋愛ゲームの正規√になるのだ。

 メインヒロインがまさか西条さんだとは夢にも思わなかったけれど────とにかくこの選択肢を断る気など、僕にはまったくない。


 答えはYES。圧倒的YES。

 喜んで加入させてもらおう、生徒会に。


 西条さんの顔はみるみるうちにぱぁぁあと明るくなっていく。


「ありがとう、塩江君! 生徒会に入ってくれるんだね!!」


「もちろん」


「ありがとね、これであの子もきっと……ううん、なんでもない。あっ!」


 西条さんは突然何かを思い出したようにぱちんと手を鳴らす。


「そういえば……ごめん塩江君、私大事な用事があるんだった! ごめん! 今すぐ行かなきゃいけないから、とりあえず中に入って挨拶だけしてもらって、いいかな」


「え? あ、ああ」


「本当にごめん、それじゃまたね! 塩江君!」


 突然の出来事に呆気に取られている間に、西条さんはバイバイと手を振ると走ってどこかへ行ってしまう。


「え……僕、一人?」


 な、何だったんだ? 今の。

 えーっと、でもとりあえず中に入って、って言ってた、よな?


 状況から察するに、ひとまずこの生徒会室? に入れということだろう。

 僕は期待と不安が入り交じった気持ちで扉に手をかける。


 そしてそのままの状態でしばらく躊躇した後、覚悟を決めて扉を開く決意をする。

 ええい、当たって砕けろだ!


 はじめまして、僕の青春────!


 だが。だが僕は、この時知る由もなかった。


 この教室の扉を開けてしまったことで、僕の人生は思い描いていたはずの正規√から大きく外れ、思ってもみなかった数奇な運命を辿ることになることを。


 この扉の向こう側に待ち受けていた────少女との出会いが、そうさせることを。

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