ハイホーハイホー、残業が好き
春は曙、やうやう散りゆくうんたらかんたら。俺と大塚さんと妻橋さんは動画での第一審査を必死の思いで行っていた。総応募数が想定の三倍も来たので残業をして、寝るが寝るまで各々の担当を消化しているのだ。
三週間で消化できるかわからない量の応募数なので、動画を最後まで見なくて済むように三人で足切りのラインを決めた。
一つは再生時間が三十分を越える動画を送ってきたやつ。応募の投稿フォームには制限をかけなかったので何時間分の動画でも構わないのだが、常識的に考えて長時間の動画を送ってくる奴はサーバーや審査等の負担を一切考えていないので人として信用ならない。この手の人間は失敗すると人の責任にして逃げることが多いから初めから弾く。
二つ目の決まりは他薦を盾にする発言をした者。他薦されたことを誇りに持って堂々と説明するのならば構わないが、他薦を盾に本当はどうでもいいような発言をする奴は問答無用で落とす。別に無理してタレントになってもらわなくてもVタレントの中の人は発表前なら変わりはいくらでもいるし。
最後に、挨拶から動画撮ってない奴。話にならん。ちなみに全体の四割がこれにひっかかった。
そんなわけで、期限ギリギリまでに最終候補を八名まで絞ることができた。
大塚さんの作成した文章を候補者の彼女たちに一斉送信して、俺たちは肩の荷をようやく下ろした。
「もう勘弁してほしいってぐらいに働きましたね」
「まったくです。お財布の心配だけじゃなくて、スタッフも雇わないとオーディションの度にこれだと業務が滞りかねません」
「今度はスタッフのオーディションかぁ……」
事務所のデスクに倒れていた疲労困憊の身体を起こし、備え付けのキッチンでお湯を沸かす。
「二人とも何を飲む?」
大塚さんはコーヒー、妻橋さんは煎茶がいいといったので俺のコーヒーを含めた紙コップに三つをデスクのほうへ持っていく。
二人から感謝されつつ、アツアツのコーヒーをゆっくりと啜る。インスタントだがうまい。
「今何時かな?」
「二十三時ですね」
袖を少しまくって腕時計を確認した妻橋さんが時刻を教えてくれる。午後六時が定時だから五時間残業か。うん、絶対に人を雇おう。金があるのにブラック企業になるのは駄目だ。
◇
「ただいま」
「おかえり。アンタ宛に手紙来てたわよ」
大学から帰宅したリゼは母から手紙を手渡された。差出人は桜花スターダム。
その名前にリゼは聞き覚えがなかった。はて、一体誰だろうか? そう思ったリゼは母に手紙の送り主について尋ねる。
「お母さん、桜花スターダムって誰?」
「アンタがVtuberになってみたいって言ってたから応募しといたわ! 一次審査通ったみたいね!」
「いつの間に……」
「この前、アンタにスマホへ向かって全力でアピールしろって頼んだじゃない? あれって桜花スターダムのタレント募集の動画審査の奴だったのよ~。
通ればいいなって思って送ったんだけど、まさか一次審査通るとは。流石私の娘ね!」
好き勝手に振舞う母の姿を見てリゼは眉頭を揉み、深く深く嘆息する。
この母親を口説き落として自身を産ませた、もうこの世にいない、記憶の中でも薄っすらとしか覚えていない父親をリゼは改めて尊敬した。
女手一つで自らを育ててくれた母親だが、善かれと思って暴走する性格だけはいつまでたってもなれないリゼである。
「二次審査の面接会場は福岡ね、東京からだと新幹線代はいくらだったかしら……。お金足りる?」
「大丈夫だよ。領収書を渡せば交通費は出してくれるって書いてる。バイト代があるし、足りるって」
変なところで抜けている母親を安心させるためにリゼは嘘をつく。バイト代があるなんて嘘だ。バイト代は母子家庭で家計が苦しい母にほとんど全て渡してある。授業料も高いのに大学へ入学させてくれた母親にこれ以上の心配をかけさせるわけにはいかない。リゼは福岡に向かわずに、二次審査を断るつもりであった。
翌日、大学の構内でリゼはネットで調べた桜花スターダムの事務所に電話をかける。
プルルプルルとツーコールの発信音の後に、電話口から聞こえたのは若い男性の声だった。
『はい、桜花スターダムです』
「すみません、オーディションで一次審査合格をいただいた≪リゼ・外入(げいり)≫です。
大変申し訳ないんですけどオーディション審査の辞退をさせていただきたいのですが」
『ええ!? ちょっと待ってね』
リゼは保留音が聞こえるスマホを少し離してから片手で自身の赤い髪を梳く。母からもらった毛色は不安な気持ちのリゼをいつも勇気づけた。
リゼが毛先をいじっていると通話が保留に代わってから三〇秒ほどして電話口に男が戻ってきた。
『失礼失礼、改めまして桜花スターダム社長の鈴鹿静時と申します。本日は応募辞退とのことですが、失礼ですが理由をお聞かせいただいても?』
「オーディション応募自体、母が勝手にしたことで……」
『その割には送っていただいた動画は随分とやる気十分な出来ですが?』
「その、カメラを向けられると全力でやらないといけないと思う性分でして……」
『そうなんですね。それではVtuber自体に興味がおありでないから辞退されるのですか?』
「いえ、辞退理由は純粋にお金がないからです。母子家庭なので行きの新幹線代を出す余裕がないので」
鈴鹿はリゼのその言葉に『なーんだ』と笑いながら言い、続く言葉でリゼの度肝を抜く。
『それなら現金書留で十五万円送っときますね。問題解決、外入さんを会場でお待ちしています。それでは!』
「え? はっ? ちょっと!」
ぶつりと切られる通話。勢いに押されてしまったが、本当に現金を送ってくるわけがないだろうとリゼは高を括って次の講義に向かう。
その二日後、十五万どころか二十万に増額された現金書留が家に届き、母親にどういうことかと問い詰められるリゼであった。
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