ピリッとした恋

梅丘 かなた

ピリッとした恋

   1



 安彦やすひこは、ひたすらマッサージをし続けた。

 一枚の白いタオルを、清太せいたの頭にかぶせ、その上から両手でマッサージする。

 爪を立てないように、指の腹を使って、清太の頭を隅々まで揉みほぐす。

 それは、安彦にとって幸福な時間だった。


 部屋には、リラクゼーション用の音楽が流れている。

 ラベンダーのアロマの香りも、一面に優しく漂う。


 ここは、清太の一人暮らしの部屋だ。

 一時間かけて、安彦はこの部屋に遊びに来た。

 遊びに来るなり、清太は安彦にマッサージを頼んだ。

 安彦は、当然のようにマッサージをし始めた。


 マッサージは、延々と一時間ほど続いた。

 安彦は、疲れ果ててしまう。

「お前のお陰で、マッサージに行かなくて済むわ」

 と、清太が満足げに言った。

「また頼むよ」

 清太は、笑っている。

「いつでも、マッサージします」

 と、安彦は答えた。

 彼は、清太に従い、心から満たされていた。



   2



 安彦と清太は、今年、二十八歳。

 二年前、ゲイのための出会い系アプリを通して、知り合った。

 当時から、安彦はコンビニの店員で、清太は小さなパソコン教室の講師。

 二年経った今も、仕事は同じままだ。


 最初のうち、二人は敬語で話していたが、いつの間にか清太の方がぞんざいな口を利くようになった。

 安彦は、今も敬語のまま。

 彼は、それを疑問に思うことはなかった。

 清太と自分の間に、格差があっても文句は言えない。

 こうして交際できること自体が、奇跡だった。

 付き合ってさえいれば、後はどんな関係でも構わない。


 安彦は、清太のために、よくマッサージをした。

 頭だけでなく、ある時は、肩や背中、腰も揉みほぐす。

 時には、足に至るまでマッサージをした。

 清太に命じられ、スイーツを買いに行くこともよくあった。


「このモンブランじゃないんだけどな……」

 清太は、いらだたしげに言った。

「すみません、よく分からなくて」

 安彦の体に、緊張が走った。

「この店には、二種類のモンブランがあって、値段が高い、高級なほうを買ってきて欲しかったんだけど……」

 安彦は、無言になった。

「まぁ、いいや。今度から気をつけて」


 そう言って、清太はモンブランをケーキ皿に乗せ、フォークを使って食べ始めた。

 その様子を見ながら、安彦は自分の分のケーキがないことに、文句も言えずにいる。

 清太のお金で買いに行ったので、余分なケーキは買えなかったのだ。

 安彦自身のお金で自分の分を買うという手もあったが、どういうわけか、それさえできなかった。



   3



「そろそろ、一緒に住む?」

 その清太の言葉は、安彦にとって、思いがけないものだった。

「清太さんと、一緒に住みたいです」

 安彦は、ワクワク感を伴う幸福を感じた。

「お前は、今の仕事はどうする? この部屋に住むとしたら、職場が遠くなるだろ」

 安彦は現在、この清太のマンションから、電車で一時間の所に住んでいる。

 安彦の職場であるコンビニも、その街にある。

 清太とこの部屋に住むとなると、一時間かけて通勤することになってしまう。

「今の仕事は辞めて、新しくこの辺りで仕事を探します」

「それは、お前に任せるよ」

 安彦は、ついに清太と暮らせる、と喜んだ。


 突然、清太のスマホが鳴る。

 清太は、電話に出た。

「もしもし? ……今日? どうしようかな……」

 清太は、安彦の顔をちらちら見ている。

 これは怪しい、と安彦は思った。


「じゃあ、いつもの所で」

 と言い、清太は電話を切った。

「今の電話の相手は、どなたですか?」

 安彦は問う。

「昔の後輩だよ。お前は、気にしなくていい」

 清太は、安彦をにらみつけた。



   4



 清太は、その日、いつもより早めに安彦を帰宅させた。

 安彦は、清太が暮らすマンションの入口を見張ることにした。

 ちょうど、入口から死角になる場所に潜んだのだ。


 辺りには、この夏、最後の熱気が立ち込めている。

 安彦の背中を、汗が流れた。

 それでも、彼はじっと待ち続けた。


 辺りが暗くなってきた頃、清太がマンションから出てきた。

 安彦は、慎重に、彼の跡をつける。


 清太は歩きで、近くの公園に行っただけだった。

 息抜きのためだろうか、と安彦は思った。

 清太は缶コーヒーを飲み、誰かを待っているようにも見える。

 安彦は、木陰に隠れて、清太の姿をじっと見た。

 公園は、ひと気がない。

 薄暗い中、蝉しぐれだけが響く。


 やがて、男が現れ、清太の眼前まで歩いて来る。

 男と清太は、静かに抱き合い始めた。

 安彦は、怒りが込み上げてくるのを感じる。

 彼は、すばやくスマホを取り出し、抱き合う二人を撮影した。

 二人はその後、清太のマンションまで歩いていき、中に入っていった。

 その様子を確認すると、安彦は沈んだ気持ちで帰路についた。



   5



 安彦は、清太との共通の休日に、彼にLINEを送った。

「今から、会って話がしたいです」

 安彦のメッセージに、清太はすぐに答えを返した。

「OK。じゃあ、うちに来て」


 例によって、安彦は一時間かけて、清太のマンションまで行った。

 そして、例の夜、清太が公園で男と抱き合っている写真を、彼に見せた。

「これは……」

 清太は、驚いている。

「お前、跡をつけてたのか」

 清太は、怒りを表情ににじませた。

「もうこの人と会わないでください」

 安彦は、言う。

「そんなの、俺の勝手だろ」

 清太は、安彦をにらむ。

「これから一緒に住むのに、浮気するなんて、ひどいじゃないですか」

 安彦は、涙目になっている。


「俺は、お前が一番いいんだ」

 慌てて清太が言うと、安彦は硬い表情のまま言った。

「じゃあ、今、目の前で浮気相手の連絡先を削除してくれますね?」

「ああ、もちろん」

 清太は、そう言って、スマホを手に取り、相手の連絡先を削除する所を安彦に見せた。

「通話した履歴も、メールも、全部消してください。LINEの連絡先も、全部です」

 安彦は言った。

「分かったよ……」

 清太は、安彦の勢いに押されている。


 安彦は、心の中で思った。

 これから、清太と一緒に暮らせるのだから、邪魔者には消えてもらう。

 清太は、今後もたまに浮気するかもしれない。

 一度、浮気したら、何度でも繰り返す可能性があるものだ。

 けれど、一生、清太を独占するのは俺だ。

 清太の彼氏というポジションをおびやかす人間は、決して許さない。


 安彦は、メールや連絡先を完全に削除する清太の様子を見ながら、胸中でほくそ笑んだ。

 安彦は、心の底から幸福だった。

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ピリッとした恋 梅丘 かなた @kanataumeoka

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