第3話 過去のトラウマ
注文したからあげ定食にかぶりつきながら、美味しさに頬を緩めていると、突然久保田さんが尋ねてきた。
「で、そろそろ三田さんと付き合うことになった?」
咀嚼中のからあげを吹っ飛ばしそうになった。むせてしまったので、慌てて水を流し込む。一体急に何を言い出すのだ。
「ごほっ、なに、言って」
「だってー。みんな思ってるよ? 両想いなのにじれったいなあ。早く付き合えばいいのに。あんたたち息ぴったりだし、微笑ましいからみんな応援してるよ?」
久保田さんが不思議そうに言ってくる。私はうつむいたまま、小さく首を振った。
「私なんて、釣り合ってないです」
「えー! お似合いだって。伊織ちゃんは時々、すごく自己肯定感が低いことあるよね。仕事だってきっちりしててみんなから信頼されてるし、普通に可愛いし、なんでそんな感じなのよー」
時々、久保田さんはこうやって私と三田さんのことを話題に出してくる。ううん、久保田さんだけじゃなく、同じ営業部の年が近い女性社員たちは、わくわくした顔で聞いてくることは多い。
私の指導係をしていたことで、三田さんとは過ごす時間が長くなり、いつの間にかコンビのように扱われることになっていた。気が合うので、よく仕事以外でも雑談をしたりするからなおさらだ。仲がいいね、と何度も言われた。
それをいい方にとらえた人たちは、私たちがもうすぐ付き合うのだと思い込んでいる。
でも、そんな事実はない。
「本当に、私の指導係をしてくれたから、気にかけてもらってるだけです」
「そうじゃないってー。いや、そうだとしても。……伊織ちゃんは好きなんでしょ」
小声で久保田さんが言った。びくっと体が固まってしまう。これではそうです、と言ったようなもんだ。
そんな私を、微笑ましそうに久保田さんが見ている。
「伊織ちゃんから動くのもありだと思うよ。絶対、上手くいくから」
「……そんなことないです。私、特に可愛くないし、どちらかというと仕事ばっかりで、甘えるとかも苦手だし」
「可愛いし、真面目でしっかりしてるのは伊織ちゃんのいいとこだよ!」
久保田さんが目を丸くして言ってくれる。それでも、私は苦笑いを返すことしかできない。
しっかり者、とは昔から言われてきた。上手く手を抜けなくて、誰かに頼れなくて、一人で頑張るのが癖だった。
もうちょっとかわいげがあれば、と自分でも思うのだが、どうも変えられない。
久保田さんは心配そうに顔を覗き込んでくる。
「……なんか心配ごとでもある?」
「心配事、っていうか、なんていうか……」
私は小さな声で話し出した。
大学生の頃、あるサークルに所属していた。みんな仲が良くて、楽しく時間を共有し、学生としていい思い出をたくさん作った。自分にとって大切な居場所だった。
そして同じサークル内に、彼氏も出来た。人生で初めて出来た彼氏で、サークルのメンバー公認のカップルになっていた。
とにかく嬉しくて、好きで、毎日が輝いて見えた。それまで興味がなかったおしゃれも頑張って、少しでも可愛く見えるように努力した日々が懐かしい。
付き合ってから一年以上が過ぎ、私たちが三年生になる頃、私はサークルの部長にならないか、と誘われた。今までは男性ばかりが部長をやっていたので、かなり驚かされた。
岩坂さんはしっかり者だし、責任感も強いから、絶対にふさわしい! そんな熱意に押され、部長をすることになった。サークルは大好きな場所だったし、彼氏も『伊織ならぴったりだと思う。伊織のしっかりしてるところ、好きだから』と言ってくれたので、断れるわけがなかったのだ。
そうして大学三年の頃、私は部長になり、サークルをもっと楽しい場所にしたいと気合を入れていたころだ。
新入生で、ある女の子が入ってきた。
それはもう、全員が一瞬見惚れてしまうほど可愛い子で、いつもふわりと揺れるスカートやピアスをつけ、にこにこしていた。
そして性格は、私とは正反対だった。
彼女はどこか不安定で、頼りなさが見えた。困ればすぐに男性に声を掛け、助けを求めた。悲しいときは素直に泣き、周りに頼る。しっかり者と呼ばれた私とは、まるで違う人だった。
案の定、男性たちはみんな彼女のことが好きになり、それまでみんなでバカをやっていただけの平和なサークルがぎすぎすしだした。だが少し経ち、その状態は落ち着くことになる。
彼女がある人と付き合い始めたからだ。
それは一斉にサークル内に広まり、あの子を狙っていた男たちも、嫉妬していた女たちも黙り込んだ。ただみんな無言で、私の方を見てひそひそと何かを話していた。
私の彼氏が、あの子と付き合いだしたから。
それまで毎日あった連絡が来なくなったな、とは思っていた。デートの回数も減り、話しかけてもそっけない返事が多かった。一緒にいてもスマホばかりを気にして、いつも上の空。
そんなある日、彼に言われた。『ほかに付き合いたい子が出来た、別れてほしい。あの子は伊織と違って女の子らしくてかわいいから。伊織は俺に頼ることはしないし』
それがあの子だった。詳しいことは知らない、ただ二人はすでに深い仲なんだというのだけは分かった。どうしようもなく別れを受け入れると、すぐに彼らは付き合いだし、サークル内で手を繋いだりしていた。
メンバー全員の公認カップルだった私たちの破局を、周りはどう扱っていいか分からなかったようだ。
私の方は捨てられて、後輩にとられた。あんなに仲がよさそうだったのに。
そんな憐れみの視線があまりに辛かった。でも私は部長として、サークルを抜けるなんて無責任なことはしたくなかった。何事もなかったように明るく振る舞い、しっかりと部長としての務めを果たした。
それでも一度だけ、あの子はみんなの前で急に泣き出した。『先輩が睨んでくる、私が悪いことをしたせいで』……。
睨んだつもりなんてなかった。むしろ、視線を合わせないようにしていた。でももしかしたら、自然とそうしていたのかもしれない。
あの時の周りの人たちの様子は、今でも思い出して吐きそうになる。彼女を慰める男たち、私になんて声を掛けていいか分からず戸惑う女たち。……軽蔑するかのようにこっちを見てくる元カレ。
でも、自分が好きだったサークルをばらばらにさせたくなかった。私は謝り、その後も平気なふりをし続けた。
次の部長を決めるまで私はサークルにいつづけ、四年生になったと同時に一切行かなくなった。
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