空が高くなる
小狸
短編
夏が過ぎたのだろう。
日課の散歩をしていて、斜めに差し込む夕陽が
川に沿った、国道の脇の、比較的幅の広い歩道である。
広い方が、安心する。
自らが害される可能性が低いからである。
狭い歩道は、前後から自転車が来た時、避けにくい。また最近の自転車乗りはスマホや音楽を当然のように聴きながら、意識を別に向けながら走行していることが多い。加えて、歩行者優先であるにも
自転車のマナー、にまで言及し始めると、また面倒な話になるのでこの辺りにしておこう。マナーを守る者は、いる。そして自転車乗りの全員が、違反をしているとは限らない。しかしそれとはまた関係なく、マナーを守らない、当然のように破る、どころか周囲の人間のことも考えない人間というのも、また確実に存在している。これはもうマナー云々の話ではなく、人間という
だからこそ、極力私は、散歩をする際には、広めの歩道を歩くようにしている。
とは
道程を設定する際に、どうしても、狭い箇所を通らねばならないことがある。そこを通る時は、どうか対向車や自転車が来ないように、と願いながら歩いている。
ならばそもそも歩くなという話だが、
それを補うべく始めた散歩だ。
遂行したい。
叶うならば、世の中から狭い歩道が無くなれば良いのに、と思う。
まあ、思うとやるとは、また別の問題である。
日本の余った敷地がなくなるだろうし、国土交通省もてんやわんや、国道と県道は云々、私道の扱いはどうなるのか、
それは全国の歩道状況に限った話ではない。
何かをしたいと思い――。
何かをする。
思考。
行動。
その
特に私のような自由業の者にとっては、それは時に仇敵よりも憎らしい存在となる。
思った通りに行動すれば良いだけではないか、という話なのだが、人間そうもいかない。
それは己の行動にとっても同じことである。
常に人は、本来より少し「できる」未来を想定して行動している。
だからこそ、思考と行動が丁度良く結びつくのだ。
私のように心の病となって壊れてしまわない限りは、上手くいっている――ように見える。
私には、できない。
少し「できる」自分を想像することができない。
あらゆる全ての行動の指針が、途方もなく下がってしまっている。
己という個が、小さくなってしまったのである。
数値を図る基準そのものが、矮小化してしまったのだ。メートル法で測定しようにも、その目盛りが変わってしまった。
だから、どうしようもないのである。
そう。
どうしようもないのだ。
仕方がないのだ。
だから、今の私が病気であるという事実は、世の摂理のようなものなのだ。
自然の流れで、当然に組み込まれるようなものなのだ。
受け入れるしかないのだ。
…………。
いや。
いやいや。
本当の所は、私は、そんな風に納得し、現状を甘受してなどいない。
こんな私になりたいなど、誰が願った。
こんな風に生きたいなど、誰が頼んだ。
私の夢は、私の将来は。
こんな風に駄目なまま、こんな風に辛いまま、こんな風に苦しいまま。
不幸を受け入れて、何となく生きることだったのか。
違うだろう。
私は、可哀想なんかじゃあ、ないだろう。
いつの間にか、手を握りしめていた。
慌てて手を開いた。
かなりの時間力を込めていたのだろう、
こんなところで何を
家に帰って小説を書こうと、私は思った。
ただ、狭い歩道は、苦手である。
そう小さく主張するだけに留めることにする。
私は、臆病者なのである。
《Autumn's clear skies》 is the END.
空が高くなる 小狸 @segen_gen
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