硝失少女とヴァンパイア

kai

そうして、少女と男は出会う。

深い森の奥に響く鈴虫の声。

時折梟がその声に応える。


ザク、ザク、


少女は独り、其処に居る。

一歩踏み違えば奈落の底へ真っ逆さま。

分かっていて、自ら望んで其処に居た。

音もなく背後を撫でる冷たい風は、この息苦しい世界の様だった。


それももう、これで終わる。


とん、と片足を踏み出す。

少女は宙に浮いた。

漸く、希死念慮との決別を迎えるのだ。

何一つ、後悔も思い出もなかった。


ふと、風が色付く。


居なくなったはずのソレが、居るはずのない何かに包まれる。


「おい、人間!」


其処には、月明かりだけでもよく分かる程血の気のない男が居た。

ああ、人間ではないのだと、一目で分かった。ならば私はきっと、一瞬にして決別を果たしたのだろう。こんな深夜の森の中、人間と同じ言葉を話す得体の知れない男が居る筈はないのだから。


「貴方は、あの世の人か何かですか。」

「あ…?何言ってやがる。寒さでおかしくなっちまったのか?」


どうやら違うみたいだ。

ならば私は死にきれず、この男に邪魔されたというわけか。


「大体、お前みたいな人間の女がこんな夜の森で何して、

「邪魔しないでください。分かりませんか?私、これから死ぬんです。わざわざこんな森の奥に来て、崖から飛び降りようとしてる。そんなの、目的は死ぬことくらいしかないでしょう?」

「お前、死ぬのか。」

「はい。今、貴方はその邪魔をしてるんですけど。手、離してもらえます?」

「じゃあお前、今から俺のモンな!」

「…は、?」


男は目を輝かせて言った。


「はぁ~!助かるわぁ~!これで暫くは苦労せずに済むなぁ~」


何を言っているんだろうか、この男は。

男はニコニコと満面の笑みを浮かべる。

そして気付いた。あの血色のなさ、不自然な程鋭利な八重歯、人より少し長い爪。


「…ヴァンパイア?」

「おう!どうした人間。」


少しの動揺も、躊躇いもなく返事をする男。

彼の中で話は終わっている様だが、私は当然納得していない。


「あの、だから邪魔しないでください。私、これから死ぬんです。」

「そうだな。お前は死ぬんだよな。」

「はい、そうです。貴方に邪魔されてますけど。」

「だから、お前は俺のモンになった。これで死ねたろ?」


何を言っているんだろうか、この男は。


「だから、貴方が邪魔してるんですよ。」

「なぁ、人間。夜中にわざわざこんな森の奥まで歩いてきたのか?しかも1人だろ?すげぇなお前。」

「この状況でそんな風に居られる貴方の方がよっぽどすげぇと思いますけど。」

「ありがとな!」

「褒めてないです。」


埒が開かない。この男の言う通り、せっかくこんな所までやってきて目的を果たせないのは御免だ。


「毎日死にたくて死にたくて苦しいの。早く消えて無くなりたい。だからもう邪魔しないでください。」

「ほーう。じゃあ決まりだな。」

「だから、それが意味分かんないんですって。」

「死にたいってんなら、俺のモンになれ。そうすりゃお前はこの世界から消えたも同然。で、俺は飢えを凌げるってわけだ。win-winだろ?」

「私、まだ生きてるんですけど。」

「全部言わなきゃ分かんねー?お前も気付いてる通り、俺はヴァンパイアなわけ。で、ヴァンパイアと言えばー?」

「血、ですか。」

「そ。なんだやっぱ物分かりいーじゃん。…定期的に血が必要だからよー。森に近いとこ住んでる人間の家に忍び込んで、時々拝借してるってわけ。でもまー結構効率悪くてよー。…そこで、お前が俺のモンになれば、お前は向こうで行方不明。そして俺はお前から血を貰える。悪い話じゃないだろ?」


なるほど。

確かに悪い話ではない。要するにこの男に飼い殺される様なものだろうが、どうせ死ぬのだ。ただ崖から身を投げて死ぬより、1人でも、1ヴァンパイアでも?役に立った上で死ぬのなら、無意味で無価値だった私の存在も少しは無駄ではなくなるかもしれない。


「衣食住はどーとでもなるし、普段ヴァンパイアなんて人間には到底辿り着けない場所に居るしな。かねてお前も死人だ。行方不明になった所で、見つかるも何も其処らの人間とは違う場所に居んだ。何にも心配ねーだろ?」

「そう、ですか。」

「お、着いてくる気になったか?」

「…良いですよ。未練も後悔も、私には何もないので。」

「ふ、じゃー決まりな。早速血ぃもらうぞ。俺がこんな所まで来たのも、元々血を貰いに行く為だし。」

「どうぞ。」


飲みやすいようパジャマのボタンをひとつ、ふたつと外し、下着の肩紐と一緒に襟を伸ばして前を寛げる。


…血を飲まれるのだから、やはり痛むのだろうか。


「…腕とかじゃねーんだな。」

「腕が良かったんですか?」

「いや、別にいーんだけどよ。お前、年頃の女ってやつだろ?俺がこんなん言うのもなんだけど、なんも抵抗ないわけ?」

「私、もう死んでるので。」

「…あー、ソウダッタナ。ま、色々楽で助かるわ。じゃ、…いただきます。」


プツリ、


首筋の皮膚を牙が裂いた。

ドクドクと血液が沸騰し、身体が温度を上げるのが分かったが、痛みはそれほど感じなかった。熱を帯びた首筋と対照に、段々と手足の先が冷えていく。

彼の言う年頃の女というのは、もう少し恥じらったり、抵抗したりするものなんだろうか。


「…ん、どーも。…お前の血、あんま美味くねーな。」

「人の血飲んどいて1番の感想がそれですか。」

「まーな。…お前、あんま食ってねーだろ。」

「私、もう死んでるので。」

「……ソーダッタナ。ま、これから少しは美味くなんだろ。」

「そんなに味って変わるものなんですか?」

「おう。食ってるもんとか、本人の体調とか。個人差もあるが、結構そーいう些細なもん?でも影響あんだよ。…だからお前は、俺の為に血を美味くする努力をしろ。」

「死んでるのに努力しないといけないんですか。」

「うるせー。よく分かんねーけど今までの人間生活よりマシだろ。」

「………まぁ、それはそうかもしれないですね。」


彼の言う通りかもしれない。

これまでの無意味で無価値な人生を思えば、何も考えず、何も成さずとも役に立てる、死んでいられるこれからの生活は、よっぽど有意義で幸福だ。


「これで漸く死人だな、人間。」

「…そうですね。」


“悪くない”



久方ぶりに、初めて少女の唇が弧を描いた。

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