さよなら、レインボーロード

LAP:1

 親父が部屋から出てこない間に、俺は三度も卒業式を済ませてしまった。

 別に「働け」とは言わない。祖父母の遺産と親父の貯金で家のローンや俺の学費は賄えてきたし、これから母と親父の2人で暮らすなら尚更だ。生活費のために代わりに働いてくれた母には感謝してもしきれない。

 ただ、「ひとつも父親らしいコミュニケーションをしてくれなかったな」という想いはある。小5から高校を卒業する今まで顔を合わせなかったのだから当然だ。どっちが思春期だよ。


 一階にある俺の部屋で荷物をまとめている内に、否が応でも記憶は蘇る。

 ボードゲーム、バトルホビー、ギミック付きの貯金箱。乱雑に積まれた玩具はサンタからのプレゼントで、俺にとって“父親”とサンタは同じ想像上の存在だった。親父が引きこもる前はクリスマスだろうと深夜残業が当たり前で、俺が寝てる間に帰宅して起きる頃には仕事に行っていた。枕元に置かれた剥き出しの現金でクリスマスプレゼントを買った記憶がある。

 埃を被った玩具の中には未開封の物もあった。箱の裏を見て思わず苦笑する。二人用だ。あの日の俺が何を思ってこれを買ったのかを想像し、ゴミ袋を開ける。数度悩み、捨てることにした。


 親父が一度も遊んでくれなかった訳ではない。休日は寝てばかりだったが、唯一興味を示した物がある。レースゲームだ。

 あれは俺が小学生くらいの頃、買ったばかりのマリオカートに親父が興味を示した。免許を持っている訳でもなく、特段ゲーマーでもないはずの親父が操作するワリオは、小学生の俺を簡単に抜き去った。完全に目がガチだった。普通、手加減とかするだろ。

 当時は俺が飽きるまで何度も挑戦したが、その度に叩き潰される。悔しかった。カートを変えても、ステージを変えても、アイテム運が良くても、そもそものコース取りで負ける。正面から戦っても勝ち目なんて無くて、俺は親父がいない時になんとか攻略法を考えた。せめて1勝、せめて1レース。タイムアタックに潜り、コース取りを頭に叩き込む。「他で勝てなくてもこのステージなら」という思いで、記録を重ねていく。

 自分でも超えられないゴーストが生まれた時には、親父の仕事はさらに忙しくなっていた。


 今思えば、親父の勝ち逃げだ。別にそれを責めるつもりもないのだけど。

 親父が引きこもりを始める頃には俺のマリカ熱も冷めていたし、タイミングを失って何かが御破算になることなんて人生においてしょっちゅうらしい。ただ、家を出る前にそれを思い返しただけだ。

 久しぶりに遊んでみようかと思い、収納場所を確認する。そこに置いていたはずのソフトはおろか、ゲーム機本体もない。長らく遊ばなかったので別にいいのだが、捨てられたとすれば少しモヤモヤが残る。


「母さーん。ここに置いてたゲーム、どこかに片付けた? あっ、別に向こうに持っていくわけじゃないから!」

「あぁ、アレ? 何年か前にお父さんが持って上がったよ。捨てられてないから、まだ遊んでるんじゃない?」

「……なら声くらいかけろよ、親父」


 昔から他人と面と向かって話すのが下手な男だった。良く言えば不器用で我慢強く、悪く言えば繊細で内向的だ。仕事を辞めた理由も、溜め続けた人間関係のストレスという負債を払い切れず破産したのが原因らしい。そこから人と関わるのを避け続け、隠者気取りで部屋の中にいる。

 他人ならまだしも、家族ともコミュニケーションを取りたがらないのか。むしろ家族だからか。親父が何を考えているかは分からないし、会話がないならこれからも分かることはないだろう。俺は一人暮らしを始めて、たまに帰省しても親父は部屋の中。そんな未来が見えた。


 ふと、最近何気なく眺めたネットニュースを思い起こす。あのゲームハードは、1ヶ月後にオンラインサービスが終了するらしい。

 俺はフリマアプリを確認し、本体とソフトのセット価格相場を見る。ハード自体の生産が終了したためか、中古でもかなりの根が張るようだ。何より、来月にはオンラインサービスが終わる。新生活を前に、この買い物は無駄になるかもしれないのに。

 勝ち逃げされるのは嫌だった。最後に決着を着けたかった。それだけだ。それだけの理由だ。

 決済ボタンを押す。家を出るのは来週だ。思い立ったことをやるには、まだ間に合うかもしれない。

 俺はLINEを開き、親父にメッセージを送る。それ自体が数年ぶりの行為だ。無意識のうちに、お互い接触を避けていた。


『親父! 来週には家出るよ』

『そうか』

『最後に一個だけ頼んでいい? オンラインでいいから、一緒にマリカやろう』


 親父の部屋は二階だ。俺にとっての実家の階段は、子供と大人の世界を繋ぐ橋だと思っている。引きこもる前の親父は自分から階段を降りて、子供の遊びに付き合ってくれた。あの日は父親と息子ではなく、負けず嫌いの子ども2人だった。

 本当なら俺が階段を登って親父の部屋に行くのが筋なのだろう。コントローラーを抱えて「遊ぼう」と言えれば、こんなコミュニケーション不全は最初から起きていない。心のどこかに、拒絶される恐怖がチラついて離れないんだ。だからこれは折衷案で、面と向かって話せない俺たちの妥協案だ。

 頼む、受けてくれ。俺に親父を好きでいさせてくれ。実家での暮らしが良い思い出だったと思えるよう、最後に俺たちの世界に降りてきてくれ。「部屋を出ろ」とは言わないから、せめて面影を感じさせてくれ。


『何日の何時からだ』


 数分後に付いた既読と簡素な返信は、不器用な承諾だ。

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