後宮の宵に月華は輝く 琥珀国墨夜伝

紙屋ねこ/角川文庫 キャラクター文芸

序章

「女は書の読み書きなんてしなくていい。幽鬼と関わるのもやめなさい」


 げつが筆を手にするたびに、何度そう言われただろう。


「この子は早く嫁に出しましょうよ。そうすれば、書とも幽鬼とも手が切れますよ」


 父親の後妻はことあるごとにそう言い、夏月を家から追いだそうとした。


(わたしの居場所はどこにもない。自分が自分らしく生きる場所がない。書をなす技もわたしの生き方も誰も認めてはくれない)


 離れに引きこもり、話し相手はといえば夜中に訪れる幽鬼だけ。

 幽鬼──死んだ人を相手に書いて書いて書いて……──。うまく伝えられない感情を、書くことで自分の内側から吐きだそうとしているかのようだった。

 言ってしまえば、名家一族のなかで、夏月はいびつな存在だった。幼いころに書の魅力にとりつかれ、ただ書の技を磨いてきただけでも変わり者扱いされるのに、幽鬼から頼まれた手紙の代書ばかりを引き受けて、生きた人間と関わろうとしない。


 それでもなお、どんなに否定されても、ほかの生き方はできなかった。何度見合いして婚約破棄されても、女に生きる手立てなどいらないと言われても、夏月は文字を書きつづけた。はくこくではそんな生き方は難しいとわかっていても、すべてをあきらめて結婚するなんて嫌だ。自分の技をあきらめたくないと思っていたのに……。


 ──ある日突然、すべてが終わってしまった。


「ここが……めいですって?」


 どこまでも冷たくおぞましく、死者の泣き声が暗い世界に響きわたる。

 極光を背にして座る冥府の神が告げた。


らん夏月、おまえはこのたいざんくんの頭を踏んだ罰として冥府に落ちた。現世の罪の申し開きをするがよい」


「わたしが……死んだ?」


 ただただ、ぼうぜんとするしかない。


 ──享年十六。あまりにも早すぎる死だった。

 これですべてが終わったと、夏月は冥府の法廷にくずおれた。


 しかし実際には、この美しくもごうまんな神と出会ったことで、夏月の運命は大きく動きはじめたのだった。

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