第5話 災難は終わらない

 エディの災難は、終わったかのように思えた。

 だが、そうはいかなかったようだ。


 ロスティの大使館で対面した獣人のルーシスがリディアを離そうとしなかったので、ジョージの提案でルーシスが二人をトルトルニアまで送ることになった。


「リディア。君はなんて可愛らしいのだろう。その可憐なかんばせで、俺に笑いかけてはもらえないだろうか?」


「ルーシスさん……」


 リディアの手を握り懇願するルーシスを、エディは引き気味で見ていた。

 トルトルニアでは、自分の気持ちを素直に話すことはあまりない。特に男性は、言葉よりも態度で示すものだと言われている。

 だから、歯が浮くような甘ったるい言葉は、耳慣れないのだ。


 大使館で一台の馬車を借り、御者台にはルーシス、馬車にはリディアとエディが乗り込む。

 ルーシスはリディアと一緒にいたかったみたいだが、エディは不遇の恋人のような哀れな顔をして「せめて二人きりで話をさせて欲しい」と言って譲ってもらったのだ。


「で、これからどうするんだよ? リディア」


「どうしましょうね?」


 満更でもなさそうな様子のリディアに、エディは「そうだよな」と諦めたようにため息を吐いた。


 だって、ジョージは言っていた。

 獣人は、恋した相手の好みドンピシャな姿形を取ると。

 つまり、ルーシスは世界中探したって見つからないかもしれない、リディアの理想の王子様ということなのである。


 元魔獣という恐ろしい事実さえ無視すれば、リディアにとって最高の伴侶と言える。


(しかも、ロスティではある程度の地位も約束されている)


 だが、しかし。

 二人が暮らすトルトルニアという村は、魔の森に近い場所にある。魔獣は狩るものであり、獣人の存在なんて一切聞いたことがないのだ。

 普通に連れて行って「リディアに惚れた魔獣が獣人になって口説きに来たよ」なんて言ったって、おでこの熱を測られたりするに違いない。


「でも、両思いになれば、耳も尻尾もなくなるのよ? 大丈夫なんじゃないかしら」


「リディアは楽観的すぎるよ」


「エディは考えすぎなのよ」


 カラカラと朗らかに笑うリディアに、毒気も抜ける。


 エディは幼馴染だからこそ、よく分かる。

 彼女はこのチャンスに賭けるつもりなのだ、と。


(それなら、僕がすることはただ一つ。リディアとルーシスの恋を応援することだけだ)


 恋なんてしたことがないから応援のやり方も分からないけれど。姉と慕うリディアのためなら、苦手なロスティの人と協力してみようとエディは決めた。


 ガタガタと荒々しく、馬車はトルトルニアへ続く道を行く。

 行きの馬車の御者は、出来る男だったようだ。行きとは比べものにならない酷い道のりになりそうだと、エディは不満げな顔で座席に座り直した。


 一刻も早くリディアのそばに行きたいのか、ルーシスの運転は荒い。

 そうでなくとも道が悪いのに遠慮なくスピードを上げるものだから、馬車は余計に揺れた。


(そのうち、舌を噛みそう)


 文句の代わりに御者台側の壁をノックしようとした、その時だった。


 聞いたことがないような切羽詰まった馬のいななきが響き、揺れがさらに激しくなる。


 ──ドォン!


 見えなかったが、馬車の横から何かが衝突してきたみたいだった。

 馬車が大きく揺れて、エディとリディアの身体が壁にぶつかる。


「リディア!」


 エディは慌ててリディアの腰を掴むと、抱き寄せた。体は小さいが、鍛えている分エディの方がしっかりしている。

 表情に怯えを滲ませたリディアは、震える手でエディにぎゅうっと抱きついた。


「エディ、ありがとう」


「ううん、気にしないで。それより……一体、なにが起きているんだろう?」


 窓の外を見ようにも、車体があり得ないくらい揺れていて立つこともままならない。

 馬車は何かを避けるように、蛇行運転した。

 リディアを抱きしめたまま、エディは必死になって体勢を保つ。


 走っているのは、ディンビエの草原地帯だったはずだ。

 見渡す限りの草原で、大きな生き物といえば放牧された牛や馬くらいしか思いつかない。


(暴れ牛でも、いたのかな?)


 祭りでもないのに、牛が興奮しているなんて珍しい。

 そう思っているエディの耳に、ルーシスの舌打ちが聞こえた。


「クソッ!」


 苛立たしげなルーシスの声に、エディに抱きつくリディアの手に力が篭る。

 不安げな彼女の気持ちに引き摺られるように、エディの気持ちも神経質になっていった。


「よく分からないが、熊を怒らせたみたいだ。走り抜けるから、耐えてくれ!」


「ええっ⁉︎」


 ルーシスは叫ぶと、すぐに馬たちへ指示を飛ばした。

 突然の熊の出現に怯えていた馬たちは、彼の声に少し落ち着いたようだ。荒れ狂うような嘶きが鎮まる。

 馬の統率が取れるようになったおかげで、馬車の揺れが和らいだ。


「熊って……」


「熊が草原地帯に出没するなんて、珍しいわね?」


「そうだよ。熊は大体、魔の森の周辺にしかいない。こんな原っぱにいるなんて珍しい。というか、異常だよ」


 ゆっくりと窓の外を覗いたエディは、息を飲んだ。

 ルーシスが言うように、そこには大型の茶熊がドッシドッシと馬車の横を並走していたのだ。


「グオォォォ!」


 その目は明らかに怒りの感情が満ちていて、我を忘れているようである。血走った目は、ルーシスしか見えていないかのようだった。


「あの人、何をしたんだ⁈」


 獣人は獣に嫌われる生き物なのか。それとも、彼がリディアのそばにいられない腹いせに何かしちゃったのか。

 よくは分からないが、少なくともエディやリディアが原因でないことは確かだ。


 エディが呟くと、ルーシスを睨んでいた熊がギュルリと顔を向けてきた。

 馬車の中にいたエディの小さな声に、気付いたらしい。


「グァ、グォ!」


 威嚇するような声ともちょっと違う、でもイラついているような鳴き声で熊は鳴いた。

 何かを訴えるような必死さが、伝わってくる。

 あまりの迫力に、エディは悲鳴を上げた。


「ひっ!」


 反射的に身を引くと、怯えたリディアがエディの腕を引っ張った。

 熊の鳴き声に恐怖のリミッターが振り切れてしまったらしい彼女は、顔が真っ青になっている。


「クァ、クァ、クァ」


 エディは、熊のこの鳴き声を知っていた。

 幼い頃、祖母と魔の森の入り口で聞いたことがある。


 子熊が親熊を呼ぶ時に使う、不安そうな鳴き声。先ほどまでの荒々しい鳴き声と打って変わり、悲しげな声で鳴き続ける。


(どうして、そんな声で鳴いているの)


 熊の声は、どんどん遠のいていく。


(まるで、置いていかないでって言っているみたいだ)


 熊の声なんて理解できるわけがないのに。

 エディにはなぜか、熊が行かないでと泣いているように聞こえた。

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