第75話 冥界の門

フィリアナの背後から浮き出たその姿は、紛れもなく厄災の魔女そのものだった。

ただ、輝く黄金の色だった髪は白く、青かった瞳は黒い。

肌も灰色がかって、恨めしげに私を睨み、まるで幽鬼のようだ。


フィリアナの足元ーーーー影と繋がっているので、完全に分離した状態では無いように見える。

かと言って、フィリアナが意識して出しているとも思えない。


「おまえ、おまえ、おまえぇええ!」


フィリアナの水分が抜けて干からびた腕が上がり、私を指差す。

背後の魔女もフィリアナにシンクロしていて、同じように動く。


それを見た私は、フィリアナが動いているから魔女も動くのか、それとも、魔女がフィリアナを動かしているのかが、わからなくなった。


「《ーーーーシネ!》」


二重音声で送られた言葉は物騒で、ピッタリと重なる表情や、口の動き、指の曲げ伸ばしまでが同じなのは、コントを見ているみたいだが、全く笑えない。


魔女の長い髪が波打って左右に広がった。

うねる髪が蛇と見紛う。


あ、見間違いじゃなかった、髪の束に蛇がいる。


ーーーーあなたはメドゥーサですか?


目があっても石にはならなそうだけど、退治してくれるペルセウスはここにはいない。


観覧席がざわ付く。

勘の良い者は、突然現れた女の影が魔女だと気が付いているだろう。

驚愕と恐怖に凍り付いた気配もするが、レガシアが緩和してくれると思う。

程無く落ち着き始めた観覧席に、私の予想が外れなかった事にホッとする。


コポコポとフィリアナの影から湧く瘴気に錫杖が重くなる。

私の神力が押し返されているからだろうな。

これ以上の力を注いで、結界は大丈夫だろうか。


フィリアナ側も上手く瘴気を操れずに苛立ったのだろ、魔女の髪がユラッと逆だった。


「あ、あ、アッ!?ば、化け物ーーーー!ヒィッ」



もう少し寝ていればいいのに、面倒なところで目を覚ましたハルナイトが、悲鳴を上げて、逃げようと慌てふためく。


「た、た、たたすけてーーーー」


立とうとしても腰が抜けているのか、ベシャッと尻餅を付くと這いつくばっている。

ガクガクしている両の膝は、産まれたての子鹿かって位に震えて、少しでもフィリアナから離れようと頑張っているが、何故か行きたい方向へは進んでいない。


本人は青ざめ必死だけど、その努力が実を結ぶどころか、却って事態を悪化させているのでは?


皆が何が起こるかわからず、最大限に警戒し、魔女とフィリアナを注視している時に、ハルナイトを助けに動くには隙が無い。

私の力との押し合いで、場が緊張で張り詰めているのだ。


自分でどうにかして欲しいのだけど、空気を読まない、鈍感力に優れたこの王子は、見事にやってくれた。


「ぐぼっーーーー」


ヘドロの海へようこそダイブをかましたが、何故かヘドロがハルナイトを吐き出そうとしている。

歓迎はされていないようですので、自力でドウゾ。


ハルナイトがドロの中で溺れる。


あがらい藻掻くが、ドロの中へ自ら引き込まれているので、どうしようも無い。


緊迫感と、お一人様楽しいコントの狭間で皆どんな顔をすればいいのかわからないって雰囲気がスゴイ。

私もどんな顔をすればいいのか。

こんな時に突っ込んでくれるティティは、引き攣った口元がピクピク動いている。


「ーーーーん?」


そんな時、視界の端にキラッと鈍い光が見えた気がした。

でもそれは一瞬で、直ぐに見えなくなる。

ーーーー気の所為かな。

夢中で動かしているハルナイトの手に、瘴気のドロの中には不似合いなキラメキが引っかかっているような?気がしたんだけど•••••

魔女に繋がって見えたそれは、細い蜘蛛の糸のようで、瞬きの間に掻き消えてしまった。


その代わりに銀糸の髪が風に踊る。


「メイフィア様!祈りを!」


フィアリスが祈りを結んだ両手を胸に、叫ぶ。

ハルナイトの齎した、反応に困る空気が充満する中に凛と通る声。


それが今、妙な緊張と漫才の均衡を崩した。


私が頷くと、フィアリスの祈りに応え、祝福を贈る。

美しい微笑をたたえて瞳を閉じたフィアリスの頭上に光の粒が現れ、クルリと回ると花冠を象り、淡く残像を残して消えた。


「ーーーー女神の祝福。乙女の祈り」


フィアリスの手にシャボンのような、クリスタルのような球が生まれる。

それはふんわりと浮かぶと、ヘドロに溺れるハルナイトを包み込んだ。


取り敢えず邪魔なハルナイトは横にポイッとされた事で、私はフィリアナ達目掛けて錫杖をふるった。


目的は呼び出す冥界の門を通して、魔女を冥府へ送ること。

幻影ーーーーなのかな?このエルフリンデは存在感があっても、どこか現実味が薄い。


だけど、エルフリンデの魔女としての力は確かにあって、蛇と化した髪の束が容赦なく私を打ち、その牙で腕を穿つ。

蛇は弾かれてるけど、真面目に神気ーーーー神力を纏う練習してて良かったよ!


吹き出す瘴気も尋常じゃ無いし、怨嗟の咆哮をあげる度に臭気に満ちた毒が、白木で出来た床をジュゥッと音を立てて溶かす。


私は、それを間一髪で避けると門をここへ召喚した。


「冥界の門ーーーー開放」


淡く輝く白い霧が床に広がる。

下から徐々に姿を顕す門は荘厳で、静謐。扉から溢れる甘やかで美しい歌声は死者を眠りに、門へと誘う。


ゆっくりと開かれる。

隙間からもれるのは夕闇の暖かな光。

死者の葬送を。


「もう、逝きなさい」


神の許しなくこの世に留まる死者の魂は、この扉からは逃げられない。

私は力の奔流に何とか耐える。錫杖を両手で掴んで、痙攣する腕を叱咤すると、トンッと舞台に錫杖を突き刺して力を振り絞った。


メルガルドの元から、光の粒が扉へと吸い込まれる。夜空で観たなら川の流れに見えただろうか。


肝心の魔女と言えばーーーー。


ぐあァァあああ!と叫び、冥界の吸引力に耐える魔女はムンクの叫びを思い出させる。


ーーーーやっぱりしぶとい。


今の私じゃ短い時間しか門を維持出来ない。

魔女とフィリアナの間を断ち切らないとだめかな?

このまま魔女だけを、とするにはフィリアナとの癒着ーーーー思ってたよりも同化がかなり進んでしまっている。

ロウが「ほぼ」って言ってたし、ダメ元だったけど。

こうなったら、無理やり引き千切るよりもスパッと切った方が良いだろう。

丁度良いのがここにいる。


「ジークムント!」


私はアレクストに向かってその名を呼ぶ。

ハッとしたアレクストが懐から紫の玉を取り出すと、玉が私の声に反応して、光りと共に一人の青年が舞台に降り立った。


アレクストに瓜ふたつの姿。

いや、十は歳上だろうか。

アレクストよりも若干低い艶を増した声が朗々と舞台に響く。


「聖剣クラウソラス!」


伸ばした腕に顕現する聖剣。

アルディア王国に伝わるーーーーアルディアの王が扱う、神より賜いし聖剣クラウソラス。


魔女の厄災の時代に、東にロウなら西にラインハルト。

ーーーーそして中央に聖剣クラウソラス。

アルディア王国の祖が愛剣とした。



それを軽々と持ち、ジークムントが瘴気をものともせずに飛び越える。

フッと、一呼吸の後に叩き込まれる気合い。


聖剣クラウソラスが、フィリアナと厄災の魔女、エルフリンデの間を残光を残して振り切った。




クラウソラスの名前を聞いたティティの眼差しが生暖かいのは気の所為だよね?



ここで一気に門の中へ、魔女を無理やりにでも押し込む。

錫杖が鳴る。

厄災の魔女、エルフリンデの断末の叫びと抵抗に、腕が軋んでミシィッと骨に圧が掛かった。


この場での次のチャンスはもう無い。

私の力が多分、持たない。

危険物は少しでもナイナイしておかないと!


グッとエルフリンデがフィリアナから剥がれて門に引っ張られる。


「よし、このまま門を潜ってちょうだい!」


エルフリンデが門を潜ったら、速攻で扉を閉じるだけだ。

祈るように見守る。ホンの一瞬だろうけど、こんな時はやけに時間の流れが遅く感じる。

引かれていく魔女の後ろ姿から、ヒラリーーーーと糸が舞う。


「え?糸がどうしてーーーー」


もう少しで門へと届くのに、その鈍く光る糸が魔女を繋ぎ止めた。


ーーーーあれはさっきの蜘蛛の糸?


そう認識した時、ググッと肺を圧迫されたように感じ、何かにキツく縛られて、痺れた腕が錫杖を落としてしまった。


「ーーーーッ」


次いで腕から心臓に、直接細い針が通ったような痛み。


今まで感じた事の無い痛みに思わず片膝を付く。


狂ったような哄笑に顔を上げれば、そこには勝ち誇った歪んだ笑みで、私を見下ろす厄災の魔女エルフリンデがーーーー一剥がされた筈のフィリアナに再び重なり、長く伸びた鋭い爪を私に振り下ろそうとしていた。









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