第60話 満天の星と私とラインハルト
ガレールでは、寝苦しい暑さには少しだけ早い時期の筈なのに、私は暑苦しさに目を覚ました。
流石に日中は汗ばむ陽気が増えて、衣装も薄物に変わったが、日の沈む夜は冷えた風が通り、窓を開けたままだと涼しいのに。
私の目が開いた事を感知した花灯籠がホワっと灯る。蓮の花を象った灯籠は、繊細な造りで本物の花のように見えた。
私は、橙色の光量を落とした温かな光が、暗闇を優しいものに変えるのをぼんやりと見て、それがメルガルドが用意した物だと漸く気付く。
真っ暗だと寝付きの悪い私の為に、天界から持って来たって言ってたやつだ。
その灯籠の光が暑苦しさの原因を薄く照らし出す。
淡い光の中で目の前にに浮かぶ、良く日に焼けた肌と立派でムッキムキな大胸筋。
ーーーーカーク兄様、貴方でしたか。
背中から回されている腕はラインハルトだ。珍しく緩んでいる。色々あったみたいだし、疲れているのかな。
私は慎重に足元の方から抜け出す。
今日は、フロースとカリンはいないらしい。私はそのまま後方からベッドを降りて、汗ばんだ首元を扇ぎながらバルコニーヘと進む。
部屋履きはーーーー戻るのも面倒だからいいや。
ソロリと、カーテンの陰から忍ぶようにバルコニーの扉を開ける。
真夜中の物音は存外響く。ドキドキしながら薄く開いた隙間からバルコニーへ出た私は、降るような星空に言葉も忘れる。
漆黒の夜空を蒼く見せる、圧倒的な星々の光。宝石を散りばめたーーーー満天の星空。
弦月の下に瞬く一等眩い星が、美しく耳を飾り、揺れる宝石みたいだ。
孤児院の院長先生が話してくれたお伽噺では、冬の夜空に輝くのは、冬の神が砕いた氷の結晶だと言っていた。
ーーーー夏は何だっただろう。
ガレールの空に輝く星座は既に夏の物語を綴っている。
この空のどこかに天界があるのかな。
少しだけ取り戻した記憶の所為か、懐かしくもあるけど、どこか切ない。
思い出せない母様達のーーーー。
肌に感じていた涼しい空気がふいに温もる。暑かった背中が、バルコニーに出て冷やされたのか、抱き締められた背中は程よく暖かい。
「ーーーーフィア、風邪を引く」
「神も風邪を引くの?」
聞くと、風邪を引いたり、お腹を痛くしたりするのは私だけだったそうだ。
異世界とはいえ、人の子として生きた時の記憶がそうさせるんじゃないかとラインハルトは言う。
「薬神もそんな事言ってたしな」
小さな頃は良く熱を出して、母神達を大層慌て、心配させたそうだ。
「ね、ラインハルト。母様達ってどんな方なの?」
大地母神の母様のイメージがぶっ壊れた今、ちょっと気になるよね。
「そうだな•••••••」
そう言って話してくれたのは、まずは月光母神の母様の事。
たおやかで、おしとやか。優雅で気品ある立ち振る舞い。臈長けた美女ーーー等々。
おおお、褒め言葉しか出てこないあたり、まさにザ•女神だ。
「大地母神の母君がお前を身籠って。だが、冥界を治める事になってしまってな。月光の母上がお前を胎内に引き受けて下さったんだ」
だからお前は月光の母上そっくりだよ、って。じゃぁ、私も育ったら期待大ですな!
って言ったら、背後で苦笑いの気配が!
ーーーー一体何故!?
「大地の母君は、まぁ、うん。月光の母上が俺を宿した時、俺の力が強すぎて、母体が保たないかも知れなくてな。そこで既に••••この星、大地を生み育てて、母神となっていた大地の母君がーーーーフィアとは逆だな、俺を引き受けて下さったんだ。全てを受け止める大地の力で。月光の母上もフィアの時は、既に母神となっていたから、大丈夫だったんだ」
そこまで言うと、ラインハルトは私を抱き上げて、バルコニーにあった木製の揺り椅子に座る。
涼しい風と、ラインハルトの体温が心地良い。
「会いたい、か?」
「ーーーーうん。きっとそうなんだと思う」
ちょっと迷ってから私は返事をした。
大地の母様からのお土産を食べた所為かな、きっと。
「奪われた力と記憶を取り戻したら、会いに行けばいい。もう直ぐ、だ」
大神殿の儀式まで一月と半分ーーーも無い。きっと、あっという間に過ぎてしまうのだろう。
「そう言えばフィア、少しだけ背が伸びたな」
「え、本当に!?」
少しだけウトウトし始めた私の意識がちょっと復活する。
ラインハルトが私のお腹に回していた左手をスイっと上げた。
大きな手がチョンっと摘む仕草をすると、このくらい、と長い指が隙間を作る。
人差し指と親指の間がーーーーそれって1cmありますかね!?
やさぐれそうな私を宥めるように、ラインハルトの左手が今度は髪を撫でてくる。
「取り戻した記憶分、なんだろう。フロースに言ったら、採寸がーって慌ててたぞ?メルガルドに急いで言いに行ってたしな」
「そんな大袈裟な。1cmくらいなのに」
「そう言ってやるな。衣装に拘りのある者に取ってはミリ単位で大変な事なんだろう。明日は採寸、やり直しだろうな」
低く、穏やかな声と、撫でる手が優しくて瞼が自然に降りてくる。
「フィア、眠くなったか?」
眠たくて、んーとか、ムーとか言った気がする。あ、駄目だもう寝そう。
ゆらっと身体が浮く。心地よい体温と、聞き慣れてしまった鼓動と。
遠くなった意識の中で、私はーーーーそう言えば、どうして私の魂が異世界であるあの世界にいたのか、聞き忘れた事を思い出す。
辛うじて出した言葉に、ラインハルトは少しだけ困った顔をして、また今度な、と言って私の額に口付ける。
「ーおやすみ、フィア」
私の意識はそこでプツっと途切れた。
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