第35話 とある村娘の短い一生 前

「ーーーゆっくりとお休み、フィリアナ」


あたしの頬に口付けて庭に続く扉から出ていく男を微笑を張り付けて見送る。

その姿が見えなくなるのを確認してから扉を閉める。


「ハッ、馬鹿な男よねぇ」


大神殿への切符を手に入れる事が出来た今、王太子妃の座なんて魅力を感じない。利用は出来そうだし、保険の為にも一応貰っておくけど。


寝乱れたベッドを子爵家から連れて来た侍女に直すように言ってから、身を清める為に湯殿へと足を運んだ。


寝台の乱れ方に侍女は何か言いたげにあたしを見たけど、この間ちょっと【諭して】あげたら大人しくなったわ。


別に惜しくは無かった。どうせこの身体は仮のものだし、いずれは本来の身体を取り戻す為に犠牲にするんだもの。





広々とした湯殿は流石後宮でも三番目に格式が高い部屋だけはあるわ。


大理石で出来た風呂は丸く、女神の持つ壺からは常にお湯が流れ落ちては縁から溢れ、蔓草を象った溝に吸い込まれていく。


お湯を一日中、何時でも使えるこの部屋は代々の王太子妃が使ってきた部屋。

ーーーそう、あの女。レイティティアが使う予定だった部屋を王太子ごと奪ってやった事は、実に気分が良い。

王太子妃の部屋は趣味良くまとめられた調度品一つ取っても他の部屋とは格が違う。


でも、女神メイフィアの宮はこんなもんじゃなかった。

女神が住まうに相応しい、壮麗でどこか可愛らしさのあるーーー溜息が出る程の。

漸く【戻って来た】女神に、傅く美麗な精霊達、それぞれタイプの違う美し過ぎる兄神達も、こぞってメイフィアを溺愛するのだ。

それに加えて側近の東の君のロウ、西の君のラインハルトは、それこそ溺れるような愛をメイフィアに捧げるのだ。

聖霊王のメルガルドも、兄や側近達に負けずとも劣らぬ甘さをメイフィアにはみせる。


今頃はメイフィアの身体を質に取られ、腸が煮えくり返る思いで使えているであろう彼らを救い、凶悪で、悪逆非道な魔女を封じる。


「そしてあたしが、天界へ女神メイフィアとして帰還するの」


あの耽溺の海で、更に溺れるような愛の中で麗しい男達に傅かれて暮らす。


「この世界では、あたしがヒロインだもの」


ーーーここはヒロインである、あたしの為の世界なんだから。








あたしが前世の記憶を思い出したのは、あの女を見掛けた時だった。


あたしはガレール公爵領の、そこそこ大きな村の村長の孫娘だった。田舎でなんにもなくて、つまらない所だったけど。

それでも村人が頭を下げるのは気持ちが良かったし、結構可愛い顔をしてたから男の子受けも良かった。


時期村長の一人娘だったから、欲しいものは何でも買って貰えたわ。

あの日は、王都へ行っていた父親が、土産として買って来てくれた、王都のブティックで仕立てられたマントを自慢する為にマントを着て村を歩いていたわ。

白狐の毛皮が縁取りに使われたマントは高級感があって、村の女達の羨ましげな視線が心地よかった。

冴えない女達の妬みなんて、気にする必要なんてないし。

あたしは聞えよがしな悪口を鼻で笑う。


その時だった。

見た事もない程の、華麗な騎士様服に身を包んだ若い男が馬で広場を駈けて行く。

その途端、村の警備兵が慌ただしく散らばって、道を開けるように支持を出し始めた。

聞こえてきた馬の蹄が土を叩く音。整然と揃ったそれの後に続く豪奢な馬車。四頭立てなんて見た事もない。


馬車に向かって村人が手を振っている。誰かが「ご領主様のお姫様だよ」って言ったのを聞いて、興味が湧いた。

手を振り返しているのか、馬車が通った後のざわめきが五月蝿い。

あたしは手を振りながら、観察してやろうと思った。


だけど直ぐに後悔したのよ。


ーーーあたしが見たのは。

白銀色の髪、若葉色の宝石の様な瞳。

白く滑らかそうな肌、バラ色の頬。花の唇に優しげな笑みを乗せて手を振り返してる天使のような美少女ーーーそしてその腕を隠す白く、しかし、輝く毛皮。同色の生地の滑らかな手袋。

女達の誰かがお節介にも「あれって、シルバーウルフの毛皮じゃないの。流石公爵家のお姫様は違うわね」って言うのを聞いた。


そんなお姫様の隣で手を振っていたのはーーー。



ズキリと激しい頭痛がした。

こんな女達のいるところは空気が悪い。だから頭が痛くなるんだと思って急いで家に戻った。


質の悪い風邪にでも罹ったのか、三日間寝込んだあたしは、夢の中で前世を思い出した。

そして、ここが『花冠の乙女』と言うゲームの世界だと知ったの。

だって言ってたじゃないの。あれがレイティティア様だよって。隣にいるのは王子様だって。


絶対に確かめないとって思ったあたしは、三日ぶりに村の広場へ行ってみれば、酒場に逗留中の吟遊詩人が子供達に歌を聞かせていた。


夜に舞う姿は翠緑冷光の如く 翠緑の瞳は 眩い陽光の元 若葉に映える


朗々と響く吟遊詩人の歌声に、姦しい囀りに耳を傾ければ、あのレイティティアは神殿に舞を奉納しにこの村へやってきたらしい。公爵夫人の病気平癒の為だったらしいけど。

ここの神殿は薬神も祀ってたんだっけ。

詩人がその奉納舞の美しさに、いたく感動したらしく、レイティティアを称える歌だった。

忌々しくて舌打ちが出る。

あの女の本性を知らないから、そんな風に歌えるのよ。

そのレイティティアは、神官様の説法を受けると言って、今朝から神殿へ参っているらしかった。


ーーーレイティティア様の様な方と比べたら可哀想よ。ねぇ?なんと言っても公爵家のお姫様なんだから。


不意に聞こえてくる悪口に、怒りで全身が震える。

あの女のーーーあの澄ました仮面を剥がして邪悪な本性を曝け出してやるわ!


勢で、神殿まで走ったあたしは、途中で誰かにぶつかった。


「ーーー殿下!おい、そこの娘ーーー」

「よい。止めよ。こちらの不注意でもある。君、大丈夫かい?」


あたしはぶつかって来た相手に怒鳴ろうとして、息を飲んだまま動けなかった。

だってあたしに手を差し伸べて、そこにいたのは王子様だったんだもの。


それにこの顔立ち。緑色の瞳。

この顔を知っている。ゲームの攻略対象のハルナイト王太子殿下だ。

悪役令嬢のレイティティアと無理やり婚約させられる王子様。

このまま大きくなったら、あの顔立ちになるんだと確信持てる美少年っぷりも凄いけど、物腰柔らかく、聡明そうな態度はーーーまさにゲームの王子そのものだった。




その後、どうやって家に帰ったのか、分からないけど、あたしは自室のベッドに伏せて、いつの間にか眠って居たらしい。

ぼんやりしたまま親指の爪を噛む。ガリッと音がしたが、どうせママに小言を言われるだけだし、今はそんな事よりも、このゲームであたしがモブキャラなのが納得出来ないし、許せなかった。こんなつまらない村娘なんて!

ーーーありえないわよ。


「そうよ、こんなの何かの間違いだわ」


だって、そうでしょう?

あたしがゲームの世界に転生したんだから、ヒロインじゃないとおかしいじゃない。


あたしなら上手く攻略するわ、絶対に。


プレイヤーたるあたしの為の世界だものーーーあるべき世界にしなきゃね。











いつもお読みいただきましてありがとうございます!



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る