1-6 さようなら、高校生活

「えっと、……ごめん。私、うざかったかな?」

 彼女はしゅんと眉をひそめる。


「いや、そういうことじゃなくて」

 彼女の表情に胸が痛み、慌てて訂正する。


「俺は、自分には友達は要らないと思ってる。ただそれだけ」

「友達が要らないって、どうして?」

「勉強しなくちゃいけないから」


 言った途端に、頬のあたりがうずいた。

 触ってみるが、なんともない。


「でも、友達がいても勉強はできるでしょ?」

「えーと」


 つい苦笑いをしてしまった。

 おしゃれや友達作りに必死な彼女は、偏差値や評定よりも、「いいね」の数を大切にしそうだな、と思った。


「友達と遊ぶ時間があるんだったら、その分勉強したいってこと」


 これ以上、期待を持たせてもこくなだけだ。まだなにか言いたげな彼女が口を開く前に立ち上がった。


「そういうことだから。じゃあ」


 食器を返却し、にぎやかな食堂を後にした。

 どうしてか、胃のあたりがきりきりと鳴った。



「………………嘘だろ!?」


 310号室、すなわち自室のドアの前で立ち尽くす。

 ダイアル式のじょうの、四桁の番号が思い出せなかった。言わずもがな、解錠できなければ自分の部屋には入れない。


 暗唱番号は部屋にダンボールを運び入れたときのままで、自分で設定するのをすっかり忘れていた。それなのに、部屋を出て行くときにはガチャガチャとダイヤルを回し、しっかりと施錠せじょうしてしまったのだ。


 入室するためには初期設定の四桁の数字を思い出さなければいけないのだが、そもそもその四つの数字を記憶していなかった。


「う……っ」


 またきりきりと胃が痛む。

 いや、違う。これは胃ではなく、もっと下のほうだ。

 ぐっとわき腹が締め付けられた。


 これは、腹痛だ……!


 トイレはドアの向こう、自分の部屋の中にある。その贅沢ぜいたくな設計のせいで、共用のトイレは寮内には存在しない。

 いや、確か一つだけあった。一階のホールと談話室の間だ。

 しかしここ三階からでは距離があるし、個室の数も少なかったはず。他の生徒が使っている可能性もある。スタッフを探してドアのダイアルを初期化してもらうのにも時間を要する。


 間に合わないかもしれない。

 もし間に合わなかったら、学生生活は今日で終了だ。


 他の寮生の部屋のドアを叩いてトイレを借りるという手もあるが、これは最も避けたい選択肢だった。初対面かつ脂汗を浮かべた人間に個室のトイレを貸すのは誰だって抵抗があるだろう。

 俺だったら、心底嫌だ。


 考え込んでいるうちに、ひたいからどんどん汗が流れ出す。腹の締め付けがさらに強くなる。


 終わった。

 さようなら、高校生活。


 そう覚悟したときだった。


「ソーく~ん!」


 春の妖精のような声がして振り返る。

 木戸愛華あいかが階段を上ってきたところだった。手に小さな容器を二つ持っている。


「ヤクルート、忘れてるよー! 食後に一人一本貰えるって説明も聞いてなかったんでしょ? ……んんっ? どうかしたの!?」


 乳酸菌飲料を手にした彼女が隣に来て首を傾げる。ダイアル錠をつかむ俺の顔の青さに気付いたようで、ぱちぱちと瞬きをした。


「……0402?」

「えっ?」


 訊き返す間もなく彼女は二つのプラスチックの容器を俺に押し付け、錠に触れた。迷うことなく「0402」にダイアルを合わせ、ノブを回す。

 ドアはするりと開いた。


「な、なんで……」


 消え入るような声で言うと彼女はにこりと笑い「ヤクルート、二本とも飲んじゃって! お腹に効くよ!」と背中を押された。


「じゃあ、また明日。一緒のクラスだといいね!」


 閉まったドアの向こうで彼女の声が弾けた。礼を言う余裕などなく、個室のトイレに飛び込む。

 なんとか間に合った。トイレから出て、部屋の窓を開けっぱなしにしていたことに気付く。


 なぜ彼女がダイアル錠の数字を知っていたのかはわからない。わからないが、入学式前に学生生活をあきらめずに済んだ。


「……助かった」


 葉桜へと姿を変えようとする木を見下ろしながら、ほっと胸を撫で下ろした。

 


「ソーくん、おはよ!」


 元気に呼ばれて振り返る。新入生でごった返す校舎の廊下の向こうから、金髪の女生徒がてくてくと駆けてきた。

 入学式のためにきちんと身につけた基準服と、金髪と、ナチュラルな眉毛がやはりちぐはぐな印象だ。


「私、四組だったの。ソーくんは?」


 同じ、と返事すると、木戸愛華は「ぱあっ」という効果音がつきそうな笑顔を見せた。


「やったー! 同じクラスだ!」


 彼女はガッツポーズをし、そして当然のように俺の横に並ぶ。

 今朝七時。今からおよそ一時間半前。スマホにダウンロードしてあるアプリに一件の通知が来た。

 クラス分けの知らせだ。俺は「一年四組」に振り分けられたとのことだった。

 そして今日は必ず基準服を着てくるように、とも。

 このアプリは生徒が出欠の連絡をしたり、学校が生徒に連絡したりするために使われる。


「ソーくん、一年間よろしくね」


 この様子だと、昨日のことは切り出さないつもりらしい。だから俺は、自ら礼を言った。


「……昨日は、どうもありがとう」

「いえいえ。たまたま番号を覚えていただけですから」

「なんで鍵が開けられたんだ? ……まさか、各部屋の番号を覚えて回っていたわけじゃないよな?」

「ええーっ! ひどぉっ! そんなストーカーみたいなことしないってば」


 口紅だかグロスだかでつやめく唇を、彼女はむうっと突き出す。


「310号室のダイアルの数字は『0402』で、私の誕生日と一緒だなって思っただけ。だから覚えてたの。ほんとたまたまだよー」

「なるほど……?」

「……ねえ、ソーくん。友達ができて、よかったでしょ?」


 愛華は悪戯いたずらっぽい表情で俺を見上げる。顔が火照ほてるのを感じた。


「……よかった」


 認めざるを得なかった。

 「友達作る気無いから」などと豪語していたのに、この様だ。穴があったら入りたい。

 それでも強がって「今回ばかりは」と付け足すと、「素直じゃないなあ」と笑われた。


 校舎の廊下からは中庭の桜の木が見える。寮の周りの木々とは違い、こちらはまだふんだんに花弁をつけていた。

 花びらは春の日差しを浴びて、まばゆいほどに白い。

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