創作の鉄桶
@untistereo
第1話 創作の鉄桶
この創作に意味はあるのだろうか──。
自己満足で良いと思ってたけど、本当にそうなのか──。
はたまた。
創作をしていて良いのだろうか──。
そんな事を僅かにも思った事があるならば、更には漫然ともまやかしとも色めく頭の内に翻弄があるならば、よりによっての話にはなるだろう。読まずにおいて大成を獲れれば本望。誰も悪心で物を語らずの事は、聊かたりとして用意したのなら頼もしく思える。
簡潔で言えば、金で物は買える。金が集まる縮図の破れかすを集めたら、そのうち金になる。或いは、共感性は評価として算出される。行き過ぎた人とそっちに興味が無い人には大した差がある。井戸の中に飛び込んだ蛙が、いくらその深さを伝達し合っても、井戸の方を向かない蛙には無象のまたは末人達の声に過ぎず。その極みはマーケットにて出ている。
どうしてこの業界は縮小するばかりなのかね。
人口縮小であろうと、拡大している事業はある。もとより、そんな話の程度では無い。
ウェブ発が書籍化の形状に見飽きが来て売れない事態。それをサイトの多様化が催し事として、次には人気者達が著となる小説が煌めきを見せる。
だが、それだけだ。根本的解決、つまりは、消費者の可処分時間を露とも吸い取れていない、奪い取れる一手が生まれていないのである。
貴殿のその物語がその一手と成らなかった事は承知だが、我々はつまり、船底から溢れ出る水を汲んで排出すらも出来ず、自分達で操縦出来ないその船の上で開催されるお遊戯会に拍手するモブでしか無いのだ。たとえ蝶として舞おうとも、大海に止まり木も無ければ花畑も無い。
頭の宜しくない者がよく、運営サイトの躍動せし売上と示すが、それは単に紙がWEBに形態変化したから販売元が、加えて広告収入が「引越し」しただけである。それでも【今を作っている】を熱弁したとて、もとより蟻地獄の中の蟻なのだ。
貴殿の創作に意味はあるだろう。自己満足でも良いだろう。或いは、創作を辞めて、お金の為になりそうな事に勤しむのも良いだろう。
だが一つ、認知を望むのは、「共感欲しさの流行り便乗」が船底の穴を大きくさせているという事だ。つまり、井に挑んだ蛙が同じ井の蛙達にその素晴らしさを「この壁の切り口がどう」、「水の滑りにこう」と、表現したとて、井の外の蛙からすれば「うわぁ……」な訳であり、そんな井から出た蛙達の冒険譚なるものを外の蛙が一瞥もくれずなのは言わずもがなである。
または、実績の問題でもある。兎角、評価やフォローという数値の大小で大抵を計る世の常に従う「ステレオタイプ」人間が、面白い程に己の評価を求める。家の大きさでしか他人を評価しない者が「うちの6畳リビングからは綺麗な富士が伺えてな……」と、すっとんきょうな事を言い出す様は気の毒でしかない。ならばわざわざ事の大きさで計る風習の部品に成るなよと言いたい。
三度言うが、創作に意味はあるだろう。してその使い道に問題があると括りたい。創作という鉄桶を押し込んで穴を大きくするな、どうせ止まりはせん。ならば水を掬え。もしくは櫂として。
願わくは、神の一手が井の内の、彼等の内から出たる事を。
創作の鉄桶 @untistereo
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