13:兄

私だってお腹の子は大切なので、駄目と言われれば従うのも止む無し。

 しかし人材不足の我が領地が、お爺様と私を抜いて仕事が回るわけがなく、数日も経たずに色々な所で作業が滞るようになった。

 これ以上放置すれば大変なことになる。お叱りは覚悟の上と、私は執務室に入ってフィリベルト様に進言した。

「フィリベルト様、どうか私にも少しお手伝いさせてください」

「しかし仕事をするなと産婆から言われているだろう?

 それに姉上が……」

 どうやら怖いのは産婆ではなく言葉を濁した後者らしい。

 私だって怖いけど、確かに怖かったけども!

「いいえ違いますわ。産婆は過度なストレスが駄目だと言ったのです。

 私はいまのこの状況こそストレスを感じます。ですから少しだけでもお手伝いさせてください」

「だがな……」

「私は自分が普通の貴婦人と違うことは自覚しています。

 ですから、前例だの常識と言った型にはめる事はおやめ下さい」

「ははは、その言葉はベリーが言うと説得力があるな」

 きっと一般受けしない自分の風体の事を言っていらっしゃるのだろうが、それは他の女の見る目が無いだけなので一緒にしないで欲しい。

 私は中身を見てるのよ!

「よし分かった相談してみよう」

 何度かの話し合いの末、指示や助言はしても良い。ただし実務はせずに別の者に作業を振る。睡眠時間は絶対に削らない、食事は決められた時間に取るなどなど。

 ある程度の妥協点を貰った。



 結婚式がいよいよ一週間に迫った頃、ぱらぱらと招待客が集まり始めていた。まだ一週間あると思えばヴァルラお姉さまほどでは無いがかなり早い到着だろう。

 さて今回の結婚式だが、その当日は領地中で休みとするように打診してあった。それを領主が破るわけにはいかないから、その一日を稼ぐために前日まで目一杯仕事が割り振られている。

 前日までになったのは私が抜けたからに他ならない。

 そんなわけで責任を感じまして、招待客の応対は私がやるようになった。


 玄関で挨拶をして少しお話をすると、来る客来る客、『思ったより近かったな』と言って笑った。どうやらここが遠いからと、遅れない様に余裕を見て移動したらすんなりついた感じかしら?

 出迎えた招待客の中には、今回初めてお会いするフィリベルト様のご両親もいらっしゃった。ギリギリで来られるとバタバタしただろうから、早めに着いてくれて何より。

 無事にご挨拶することが出来てほっとした。

 フィリベルト様が、私が懐妊していることをお伝えすると、手放しで喜んでくれて、「孫はいくらいても良いものね」と喜ぶ姿はこちらも嬉しくなる。


 妊娠初期で体も重くないから、客室の準備や食事の手配などで上へ下へと駆け回っていたら、案の定ヴァルラお姉さまに叱られた。

 それっきり私は部屋に入れられて軽く軟禁状態。お客様への応対は執事のエルマーと見習いのエーベルハルトが行うことになった。




 うう暇だ……

 仕事をすっかり取り上げられて部屋に居るだけなんて暇すぎる。

 しかし部屋の外には、ヴァルラお姉さまの息が掛かった護衛の兵が立っているので、おいそれと部屋を出る訳にもいかない。


 どうしようかとベッドでゴロゴロしているところにノックの音が聞こえた。

 これ幸いとばかりに返事をしてドアを開けた。


 まず目に入ったのはエーベルハルトで、しかしその後ろに別の人影があり、私はギョッとした。

 後ろの人影が足を止めたエーベルハルトと並んだ。

 短く切り揃えた黒銀の髪と、銀縁眼鏡を掛けた清潔感のある身なりの良い男性。護衛の訓練を受けていたエーベルハルトに比べれば、痩せていて筋肉も少ないが……

「えーと奥様にお客様です」

「見れば分かるわ。

 それよりもどうしてここまでお通ししたのかしら?」

「す、済みません。ですが……」

 それを見ていた銀縁眼鏡の男は面白くなさそうに、

「俺が頼んだからだ。悪かったなエーベルハルト、もういいぞ」と勝手に言った。

 これ幸いとエーベルハルトは走り去っていった。


「お久しぶりです、お兄様。

 ところで我が家の使用人を勝手に使うのは止めて頂けますか?」

 この男はベーリヒ侯爵家嫡男イザーク、私の腹違いの兄だ。

「ああ久しぶりだなベアトリクス。

 エーベルハルトとは顔見知りだ、許せよ」

 母と姉同様、兄との関係も良いとは言えない。

 だが兄妹ではなく仕事の相手と見た場合は途端に良くなる。クラハト領で私がお爺様に師事していた時、兄もまたクラハト領に度々訪れて師事していたのだ。

 だから互いにその手腕は認めていた。

 クラハト領での顔見知り、今回はそれを上手く使われたようで、エーベルハルトにここまで案内させたのだろう。


「お兄様こちらへ、応接室にご案内しましょう」

「いやここで良い」

「はぁ……

 いくらお兄様とは言え、年頃の、おまけに他家に嫁いだ女性の部屋に入ろうとするのは感心いたしませんわ」

 すると兄は開けっ放しだった部屋の中に、軽く視線を彷徨わせて、ふんと面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「女性の部屋を主張したいのなら、カテリーナの部屋でも見習ったらどうだ」

「嫌ですよ。あんなヒラヒラした部屋で落ち着けるわけがないでしょう」

 フリルだらけのピンク色、私にはとても耐えられそうにないわ。

「同感だな」

「それで私に何かご用でしょうか?

 まさか結婚式に出るためなんて言いませんよね」

 実家のベーリヒ侯爵家にも招待状は送ってある。あて先は父、収穫祭の後に実家に呼び出しされた経緯を考えれば、来るのは父と母だと勝手に思っていたが……

 代理と言うケースは考えていなかったわね。

 そして兄はベーリヒ侯爵家の嫡男だ、代理でこれ以上の適任はいない。


「実はひと月ほど前からシュリンゲンジーフ領を見て回っていた」

 お父様が融通してくれた資金はベーリヒ侯爵家から出た物だから、その帳簿を見る機会がある兄もその金の流れを知っただろう。

 そしてそれほどの資金を融通して貰った癖に、人手が足りずにまだ着手できていない案件の如何に多いことか。

「そうですか、では、さぞ失望されたでしょうね……」

「そうだな。とても期待外れだった」

 カァと顔に血が上った。

 自分で言うのは構わないが、この人に言われるのは屈辱だ。


「わざわざそれを言うためにいらしたのですか?」

「いいや違う。父上に、継ぐだけになったベーリヒ侯爵の領地では知りえぬことを経験する良い機会だと言われてな。しばらくこちらで厄介になりたい」

「へ?」

 この人は今なんて言った……?

「何を呆けているか。俺に仕事を振れと言っているんだが?」

「よろしいのですか?」

「父上の決定だからな。俺には随分と厳しいのだが、お前が羨ましいよ」

「お父様が私に甘いのは確かですが……

 それはきっと勘違いですね」

「どういう意味だ」

「厳しいということは出来ると思っているからです。つまりお父様はお兄様に期待されているのでしょう」

 逆に言えば、私は期待されていないのだ。

 昔からお爺様にも散々『お前が男だったら』と言われてきた。私はそれを言われるたびに何度も歯がゆい思いをして来たというのにこの兄は……


 でもねお爺様、男の出来ることは女にだって出来るけれど、これだけは女にしか出来ないのよ?

 下腹部に触れながらそう呟くとちょっとだけ気分が晴れた気がした。

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