06:姉なるもの
船を降りてから二日目。
私はこちらの方はそんなに詳しくはないのだけど、なんだかいま走っているこの道が違うのではと言うことだけは理解できた。
間違った方に進み、期日までに辿り着かないとなっては手遅れだ。
「フィリベルト様、気のせいでしょうか道が違っているのでは無いでしょうか?」
「ああ、済まない貴女には伝えていなかったか……」
返って来たのは肯定の答えだけどなんだか言葉尻を濁して言い辛そう。
「何か理由があるのですね?」
「いまはヴュルツナー侯爵領に向かっている」
うん、ヴュルツナー?
確かヴュルツナー侯爵と言えば、何度も宰相を選出していて、ずっと国の政治を中枢から動かしてきた名門だ。今回も例に漏れず、ライバルだったお父様を破って、現在宰相閣下を務めている。
そのヴュルツナーに勝ったお爺様の話では、現役時代はやたらと口出してきてウザかったそうだけど……
「そのヴュルツナー侯爵と、どういった繋がりがあるのでしょうか?」
フィリベルト様本人は軍人なので主に政治に力があるヴュルツナー侯爵とは無縁。そしてご実家のグレーザー伯爵家は領地を管理するのが手一杯で、国政に関わる仕事には就いていなかったはず。
「うん。実はな、姉が嫁いでいる」
「姉ですか?」
「ああ姉だ」
五男坊のフィリベルト様に四人の兄が要るのは当たり前だが、たった一人姉が居たのは聞いていた。
兄兄兄兄姉と言う順らしい。
「つまりお姉さまに会いにいらっしゃるのですね」
「ああ通り道だから寄れと言われた」
港で船に乗る際に港の管理役人から封書を預かっていると手渡されたらしい。王都に行くには必ずここを通るから頼んだのだろう。
それは分かった。しかしなんだろうこの口調、まるで私が嫁いできた最初の頃の様。
いつになく平坦に聞こえるわ。
「もしやお姉さまが苦手なのですか」
「四人の兄の後に生まれた姉は可愛い弟が欲しかったらしい」
「弟ですか?」
「いいや違う。
「はぁ……」
そして姉は両親に頼んだそうだ。弟が欲しいと。
五人目、待ちに待った待望の娘からのお願いを聞いた両親は、仕方がないとばかりにもう一人頑張ったらしい。
「へぇ……」
そのお願いのお陰で私がフィリベルト様と出会えたと思えば、そのお姉さんは私の恩人かしら?
「で、生まれたのが俺だ」
「はい、これでお姉さまも満足ですね! 良かったです」
「いや俺は可愛くないだろう」
そうでしょうか? と返しそうになるのをグッと堪えた。
だって話が進まないし、それに、それは私だけが知っていれば良いだけの事だもの。
「だから俺は姉に嫌われている」
「あのぉその嫌っているはずのお姉さまが、なぜフィリベルト様を呼びつけるのでしょうか?」
「いつもの嫌がらせだろう。
済まないベアトリクス、どうやら貴女を巻き込んでしまったようだ」
話を聞く限りそんな風には思えないのだけど……
まぁここは、
「きっと大丈夫ですわ」と笑っておくのが良さそうかしら?
※
ヴュルツナー侯爵領、ヴュルツナー侯爵邸。
うわぁでかい!
うちの実家も大概だと思ったけれどそれよりもでかい!
流石は名門だわ。
建物の屋根が見えるか見えないかの場所に門があり、そこで名を告げた。事前に伝わっていたのだろう、待たされることなく門が開いた。
門が開かれて馬車で中を走る、そしてもう一つ門が出てきてもう一度名を告げた。まさかの二つ目、そりゃあ一つ目をすんなり通したわけだわ。
「二重の門とは用心されているのですね」
「ここらは平地だからな、攻めにくいように配慮しているのだろう」
なぜ攻めることが前提なのかしら?
それも姉の家を……
しばらく走って屋敷の玄関の前に馬車が停まった。
玄関の前にはドレス姿の長身の女性が立っている。
こんな所で馬車を待っているのだから使用人だと思うが、使用人にしては身なりが良すぎる気がする。
しかし相手は名門の侯爵家だ。使用人もあのような身なりをするほどに優遇されているのかもしれない。
まぁあの姿でお掃除はし難そうだけどさ。
馬車のドアが開けられてまずフィリベルト様が降りた。
続いてフィリベルト様が中に手を差し出してきて、私がその手を取って馬車を降りる。はずだったが、
「おおっフィリベルト!!」
玄関前のドレス姿の女性がそう叫びながらダッと走り寄ってきて、フィリベルト様にドンッと体全体で飛び掛かった。
その勢いはまるで盗人を捕らえようと飛び掛かる憲兵のよう。
そしてあの音、経験があるからわかる、絶対に痛いわ!
私の体格よりも大きな女性が飛びかかったのだが、流石はうちの旦那様。その勢いを受けてもビクともせず。
むしろ、「危ないだろう姉上」と静かに返……
「ええっ!? 姉上!?」
「あらその子がペーリヒ侯爵家のご令嬢?」
声に気付いてお姉さまが馬車の中に首を突っ込んできた。十二歳年上のフィリベルト様よりも、さらに六つ上の三十五歳にして三児の母。
それにしては若く見えるわね。
「ああベアトリクスだ」
仕方がないかと、ここで半立ちのまま、
「ベアトリクスと申します。よろしくお願いします」と挨拶した。
けらけらと笑われた……
「いやあ悪かったわね」
悪びれる様子もなく、豪快に片手でカップを持ち上げてぐぃっと紅茶を飲む
男性のフィリベルト様でもそんな事しないのに~とちょっと頭を抱えたくなる。
彼女はヴュルツナー侯爵家の嫡男に嫁いだそうだ。当代の宰相閣下は彼女のお義父様に当たる人で、彼は宰相の地位に就いた時点で、領主との兼任は無理だと判断して早々に爵位を嫡男に譲ったそうだ。そのためヴァルトラウト様は若くしてヴュルツナー侯爵夫人となったらしい。
「それで姉上、俺に一体なんの用だろうか」
「結婚したと言うのに、一度も姉に挨拶をしに来ない弟を叱ってやろうと思ってねぇ」
「無茶を言うな、どれだけ領地が離れていると思っている」
おお珍しくフィリベルト様が饒舌だ!
「あんたの言い訳なんて聞いても面白くもない。
ちょっとあたしはこの子と話したいから、あんたはちょっと下がってな」
「挨拶に寄ってみれば今度は下がれだと?」
「あんたは邪魔なの、分かったらあたしの言うことを聞いてさっさとお下がり」
そう言いながらヴァルトラウト様は目を細めてフィリベルト様を睨みつけた。
眼力と言うかなんか凄い迫力を感じる。
「くっ……。済まないが少し席を外す。
ベアトリクス困ったことがあれば叫べ! すぐに飛んでくる」
「ええっ叫ぶのですか?」
「ああ躊躇するなよ!」
「煩いよフィー、さっさと行きな」
チッと舌打ちしてフィリベルト様は素直に部屋を出て行った。フィーと言う呼び名に羨ましさを覚えつつ、二人の関係を推測する。
幼い頃の刷り込みかしら?
どうやら
二人きりになると、ヴァルトラウト様は先ほど見せた、眼力がやたらとある目で私をギロリと睨みつけてきた。向けられた視線の冷たさはさておき、そう言う表情は流石に姉弟だな~と感心するほどそっくりだわ。
「さてベアトリクス、少し話を聞いていいかしら」
「ええ何をお話ししましょうか」
「そりゃあ聞くことは一つしかないわ。あたしの弟の事よ。
地位が無い妾の子から伯爵夫人になれたから上手くやったと思ってるかもしれないけどね、あたしの目が黒いうちは自由にさせないわよ。
いっちょ腹を割って話して貰おうじゃない、さぁあんた実際はどう思ってんだい」
なるほど私を財産目当ての嫁だと疑っているのね。
よーし売られたからにはその喧嘩買いましょう!
私は饒舌に、如何にフィリベルト様を愛しているかを昏々と語った。
一時間ほど……
「分かったからもう良いわ……」
「あら、もうお疲れですかヴュルツナー侯爵夫人。私はまだ話足りませんよ」
「これ以上惚気られたらあたしが困るわよ」
口調が柔らかくなったのは警戒が解けたからに違いない。
「そうですか……残念です」
「国中を探せばもしやと思ったけれど、お義爺様にお願いした甲斐があったようね」
「つまり先々代のヴュルツナー侯爵閣下でいらっしゃいますか。宰相でなかったのに国王陛下まで巻き込めるとは、ヴュルツナー侯爵家のお力は想像以上に凄いですね」
「あら皮肉はいらないわよ」
先代の宰相は私のお爺様で、先々代のヴュルツナー侯爵は、その争いに負けているからこその物言いだろう。
「いえ。そういうつもりは全くございません。素直に感心しています」
「まあいいわ。それで、いつから気付いていたの?」
「いくら治安が悪いとは言え広大な領地と爵位をポンと与えたところ。おまけに褒賞品が婚姻など前代未聞でしょうね。
そして今回です。ヴュルツナー侯爵夫人がフィリベルト様の姉だと聞いてすべてが繋がっていると気付きました」
「その鋭さ、流石は先代の宰相を務めたペーリヒ侯爵の孫娘ね。
貴女になら安心して愚弟を任せることが出来そうだよ。今日は話を聞けて良かったわ。弟をよろしくねベリー」
「私の事をベリーと呼んで頂けるのですか?」
「ええもちろん。弟を愛してくれる可愛い義妹だもの、貴女もあたしの事も好きに呼んでいいわよ」
「ではお名前で、ヴァルトラウト様とお呼びしますわ」
「あははっ義姉に『様』は要らないわよ」
「えーとヴァルトラウト……は恐れ多いのですけど」
「そう。じゃあ愛称を。ヴァルラと呼びなさいな」
「はいヴァルラ姉さま」
「うん良いわね!」
その後、ヴァルラ姉さまに、「何か困ったことは無いか?」と聞かれたので恥を忍んで結婚してからの話を聞いて頂いた。
最初の方は呆れつつ、それでも諦めなかった私を労ってくれた。しかし聞き終えた後に「後で愚弟は折檻だね」と口角を上げてニィと嗤うのはやめて欲しい。
そして話はこの旅の事に続いていく。
私はこの旅で最も気になっていたことを聞いた。
「数日に一度の事ですが、フィリベルト様は就寝前に訓練で汗を流してくると言って出掛けられます」
「それがどうしたんだい?」
「ほんとうに訓練なら構いません。しかしある日の事です。
フィリベルト様は剣を持たずに出掛けられたのです」
それを聞いたヴァルラ姉さまは目を丸くして驚いていた。
「なるほどね、剣を持ってなかったねぇ……」
呟くような台詞。
はて口元がヒクヒクと痙攣し何かを堪えているような?
次の瞬間、ついに耐え切れなくなって、ブハッと吹き出し、大きな声でケラケラと笑い始めた。
「!?」
あまりに突然の事で驚くが、ヴァルラ姉さまはすっかり笑いのツボに入ったようで、呼吸困難の様にヒィヒィと苦しそうに喘ぎだす始末。
私はとても真剣に聞いたつもりなのだが何が悪かったのか?
唇を尖らせて不満げにしていると、
「ヒィヒィッ、ちょっと、待ってくふっはははっ」
五分ほど待ち、やっと落ち着いた頃、
「あ~久しぶりにこれほど笑ったわ。いやぁごめんね。
さてその相談だけどね、剣だったか? そうだなぁ~剣はちゃんと振っていたと思うよ。そりゃもう一生懸命にね」
「もしや騎士の方にお借りしてでしょうか」
「あ~いや。プッククク」
「あのぉ~」
「ハハハッごめんごめん。えーと、笑ったお詫びにあたしからの助言だよ。
ベリーのやっている事は間違っていないから自信を持ちなさい。そうねぇ、夜やっている様なことを日中にも出来るようになれば、愚弟も耐え切れずに決壊するんじゃないかしらね」
「決壊ですか」
「そうなれば剣の事なんて気にしなくても良くなるわ」
「う~ん、済みませんが良く判りませんわ。
でも助言頂きましたし、夜の行いを日中にできないか提案してみようと思います」
首を傾げる私に、ヴァルラ姉さまは苦笑を浮かべた。
「(分かった時に赤面もんだけどね~)
うん頑張りなさいな。
あっそうそう。さっきの事、間違ってもそれはフィーに聞いちゃダメよ。あと他の人にも相談しない事、いいわね?」
「はい勿論です。他の方に相談するつもりなんてございません」
「ま、一応あたしから折檻のついでに言っといてやるから安心なさいな」
「ありがとうございますヴァルラ姉さま」
翌朝、フィリベルト様の表情はとても暗く、まるで死にそうな表情を見せていた。
ヴァルラ姉さまは一体どれほど厳しく折檻をしたのだろう?
ちなみにそれ以来、フィリベルト様が剣を忘れたことは無い。
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