12:宝石商
コンコンコン
コリンナと言う協力者を得て、これからの事に物思いに耽っていたところを、私はドアをノックする音で現実に引き戻された。
「はい」
入って来たのは執事のロッホスだ。
その顔を見て、これから起きるだろう楽しげな気分は一瞬で吹き飛んだ。八つ当たり気味ではあるが、若干の苛立ちを覚えたのは今までの彼の行いの結果だろう。
「失礼します、ベアトリクス様に突然の
一部をことさらに強調する言い方にトゲを感じる。
「突然と言うことはつまり先触れは無かったのね」
「ええございませんとも。
お客様は男性で、宝石商人を名乗っておいでです。如何いたしましょうか?」
ロッホスの冷めた目付き、そこから読み取れる感情はお前の浮気の相手が来たぞ、かしら?
あの態度だ、きっと馬鹿馬鹿しいと一蹴しても、後から旦那様が居ない間に男を呼んだ~とあらぬ噂を流されそうね。
「お客様のお名前は?」
「お聞きしておりません」
吐き捨てるような回答。
お前の浮気相手の名前など俺が知った事かとでも言いたげだ。
「主人に伝える前に相手の名を聞いておくのは常識です。
子供のお使いでももう少しマシだと思うわよ、いいかしら次からはこのようなことはないようになさい。
名前を知らない客……いいわ会います。念のためにライナーを同席させます。エーディト、悪いけれど彼を呼んで頂戴な」
「畏まりました奥様」
チクリと嫌味を言ってやり席を立った。そして浮気相手ではないと言う保険の為に、ライナーを巻き込んでおいたからこれで何も言えまい。
さて一瞬で立場が逆転したわよ?
ふふんとほくそ笑むと、それを悟ったロッホスは悔しそうな表情を見せた。
まぁこんなもんかしら? と、私はほんの少し溜飲を下げた。
さて。宝石商人を名乗り、このタイミングで来るのならばきっと……
ロッホスに案内されて入った応接室。
そこに居たのは私の予想通りの人物で、砂漠の民族の特徴である白いターバンを巻いた褐色肌の男だ。
「ベアトリクスお嬢様、ご結婚おめでとうございます」
「ムスタファこそ久しぶりね。
残念だけどもうお嬢様じゃないのよ。それで、今日は
呼びにやったライナーが応接室に入ってくると、入れ替わりで執事のロッホスが退室していった。これで部屋の中には私と宝石商人ムスタファ。そして専属侍女のエーディトとライナーの四人となった。
それにしてもあの執事が、客人とは言え男性と女性だけにならないようにと言う配慮を知っていたのは驚きだわ。
改めて四人になった後、ムスタファがライナーに軽く視線を送りながら、
「そちらの騎士様は?」と問うた。
なおエーディトとは面識があるから問い掛けてくることは無い。
「護衛よ」
「つまり俺は信頼されていないと言うことかな?」
「違うわ。私が信頼されていないのよ」
「へぇ珍しい。
「私にも限界はあるわ。
それで今日は何を持ってきてくれたのかしら?」
「そうだな、王都の噂なんてのはどうだ」
「いいわ話してみなさい」
宝石商と名乗る男が商品も取り出さず、突然始まった雑談にライナーは不思議そうな表情を見せていた。
それはそうだろう、宝石商とは名ばかりでムスタファは情報をも取り扱う何でも屋だ。もともとは私のお爺様が使っていた商人で、情報と商品は彼に頼めば大体は何とかしてくれる。
まぁその分、値も張るのだけどね。
「シュリンゲンジーフ伯爵の褒賞品となったペーリヒ侯爵家のご令嬢ベアトリクス。
その存在は、国王陛下の無茶な要望を聞くためだけに召し上げられた平民の子と言うのはどうだ?」
「ふぅん」
と平然と返す私と違い、エーディトはカッと顔を赤くして怒りを堪えていた。
「まぁこのくらいではお嬢さんは驚かないか」
「ええ私は社交界に出ていないから、それほど知られていないもの。
大方噂の発信源はペーリヒ侯爵夫人か、その娘ではなくて?」
「正解だが、母と姉とは言ってやらないのか」
「何をして貰った訳でもないから……
そうねぁ彼女たちを正しく表現するのならば、同じ姓を持った他人かしらね」
本領地で暮らしていたころ、母からは一際厳しく接しられ、それを見て育った姉も同じような態度で接してくる。天秤を傾けるならば、恨みの方に向くだろう。
まぁ私がそのことに対して復讐をするつもりが無いので、他人と言う扱いが丁度良いだけ。
「でも不思議ね。私は兎も角、シュリンゲンジーフ伯爵閣下はそれほど嫌われてはいないと思っていたのだけど?」
先ほどの噂は、私を貶める噂だが、合わせてフィリベルト様も貶めている。
嫌っている私の事は仕方ないとしても、仮にも戦争の英雄を貶めるような噂を流す意味が分からない。
「俺もそこは気になってな調べておいた。
短絡的な話で面白くもなんともないが、お嬢さんは社交界で知られていないからな、きっと平民の子を慌てて養子としたのだろうと憶測が流れたんだ。
それを聞いたペーリヒ侯爵家のご令嬢が、『確かにわたくしのお母さまが生んだ子ではないわね』とお茶会で発言したとかで、まぁそう言うことになったらしい」
「馬鹿な女ね……」
最初の憶測を否定する前に、真実とは言えそれに近しい事を言ってしまったから噂が止まらなくなったと言うことだ。
それで被害を被るのはもちろん……
「ああ、その噂を聞いた陛下は大層お怒りでな。
『お前たちは予の褒賞を軽んじたのか!?』と、宰相と貴族省長官、さらにペーリヒ侯爵が急きょ呼び出しを受けたそうだ」
「それ……私にまで飛び火しないわよね?」
身分がはっきりしないと言われて、婚姻解消になるととても困る。
「いいや、爺さんが仲裁に入ったからそこは大丈夫だろう」
「あらお爺様が? だったら大丈夫ね」
お爺様は現国王陛下をボンクラ呼ばわりするだけあり、陛下の父君、つまりは前国王陛下に仕えた宰相だったお方だ。
そのお爺様が、『自分とクラハト領で暮らして実の孫娘だ』と言えば国王陛下も納得するに違いない。
「ふぅんオチまで入れれば、なかなか悪くない話だったわ」
「それは良かった」
「じゃあ今度は私から依頼するわね。
まず一つ目、この封書をお爺様に届けて頂戴。
二つ目、私の旦那様は教会へ多額の寄付をしているそうなのよ。その金額が分かる出納帳が欲しいわ」
「教会への寄付額が分かればいいのだな」
「いいえ教会だけに限定はしないわ。欲しいのはフィリベルト様の名で行っている寄付金の場所と額よ」
「どういう事か聞いてもいいか?」
「値引きしてくれるなら教えるわ」
「お嬢さんが独立して初の取引だ、今回はお互いにサービスってことでどうだ?」
「……まあいいけど。
でも貴方のサービスはいらないわ。代わりに少しだけ知恵を貸して頂戴な」
「それは内容による」
「あらそうね。内容についてはまた後で説明するとして。
実は私は、こちらの教会に何回か足を運んでいるのだけど、そこで暮らす子供たちがそれほど豊かには見えないのよ。
英雄が貰った戦の報奨金と言うのは、それほど額が少ない物なのかしらと疑問に思ってるわ」
「つまり何か? 誰かがピンハネしていると言う意味か」
それを聞いたライナーが「ッ!」と小さく息を飲んだ。ピンハネできる人物にすぐに気付いたのだろう。
それを聞きつけてムスタファの視線がライナーに向かう。
彼はぎろりと彼を睨みつけた後、
「おい……。あの騎士様は本当に大丈夫なのか?」
「きっと口は堅いと思うわ」
「チッお嬢さんに忠告してやるよ。いいか口は堅くても、顔が口ほどに物を言うっていう厄介な人種がいるんだぜ。
そしてそれに俺を巻き込むな」
「分かってる」
ライナーは馬鹿ではない。今日は突然で、そして初めてだから思わず顔に出たが、きっと次回からはそのようなことはないだろう。
「ほんとに分かってんのかね。……だが確かに承った。
で、貸してほしい知恵ってのはなんだよ?」
「ここの領地って野盗がとても多いそうなの。知ってた?」
「まぁ平定したての国境付近だからな、当然だろうよ」
「野盗を追うと国境に向かって逃げていくんですって」
「国を超えられる軍はいねえからそれも当然だな」
「それを一網打尽したいのだけど、何か案は無いかしら」
「おいおい、お嬢さんはどんなけ俺に働かせるつもりだよ。
それは全く割に合わないぞ」
「無事に治安が回復したなら、貴方に自由交易権を発行してもいいわよ」
「むっ……。よし分かった。
何が効くかは分からないから適当に教えてやる。
まず街道の周りは木を切って見晴らしを良くすることだな。隠れる場所が無ければそれだけで野盗どもはその場所を嫌う。
あとは国境を越えた先の国へ、互いに野盗への対策をしないかと打診だろうな」
「最初のは一網打尽の案ではないし、二つ目は伯爵にそこまでの権限はないわね」
国を超える話になるなら一度王都へ上げてお願いしなければならないだろう。それに野盗があちらの国の自作自演だった場合に、藪から蛇が出てくるかもしれない。
「だったら偽装だな」
「偽装?」
「ああ、商人に変装した兵隊だけで造った偽の商隊を歩かせればいい。
体よく襲って来れば撃退するだろう。そして本物の中に偽もんが混じってるとなれば、今後は野盗も手を出し難くなるから頻度が減るだろうよ」
「ライナー、今の案は使えそうかしら?」
「はっ! 我らには想像もつかない面白い作戦のように聞こえました」
「では貴方の発案と言うことで、旦那様に伝えて貰えるかしら?」
「えっ……、よろしいのですか?」
「ええ構わないわ。だって女が戦ごとに口を出すのは良くないでしょう」
そう言って今さらだけど、取って付けたようにくすりと笑った。
「畏まりました。フィリベルト閣下が戻られましたらすぐに」
「よろしくね」
ひとしきり話を終えるとムスタファは、
「調査は一ヶ月ほど掛かると思ってくれ。詳細はいつも通り書面で送る。
次は、そうだな初夏ごろになるだろうよ」
「初夏とは随分のんびりね」
「俺の客は多いからな」
彼はニヤリと笑って去って行った。
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