10:お留守番

 私がここに嫁いできて一ヶ月が経過した。

 領地の治安は一向に良くならず、フィリベルト様は変わらず忙しい日々を過ごしていた。お陰で二人きりの時間は相変わらず無し、夜はいつも寂しく一人寝だ。

 そんな中で唯一の進歩と言えば、朝と晩の食事の時間だろう。

「おはようございます旦那様」

「ああ、おはようベアトリクス」

 いつも通り先に来ていた私が立ち上がり、後から入ってきた旦那様に挨拶をする。すると旦那様は立ち止まり・・・・・、私に笑顔で挨拶を返してくれる。

 朝は笑顔で始まり、夜は笑顔で終わる。なんとも理想的な生活じゃないかしら!


 さてこれが始まった最初の頃、

「あのぉ最近旦那様は奥様を睨んでおられますが、何かなさいましたか?」

 身に覚えが無くてどういうことかと聞いてみれば、

「食事の時にお二人は挨拶をなさいますよね。

 その際に旦那様は立ち止まり奥様をギロリと睨まれてますわ」

「それは笑顔の間違いではなくて?」

「えっ……あれが笑顔ですか」

「エーディト、私の旦那様に何か言いたいことでも?」

「いえ済みません。奥様の好みの広さには感服いたしました」

「……」

 それを聞いた私が無言でエーディトを睨みつけたのは言うまでもなかろう。


 さらに食事を食べ終えた後、フィリベルト様は席を立たずに私が食事を終えるのを待ってくれるようになった。

 その後はお茶とデザートを交えて、朝ならば本日の予定を伝え合い、夜ならば今日あった出来事やたわいもない話をするようになった。

 そのお蔭か、徐々に不仲説も否定されるようになった。だが残念、払拭するには今一歩と言うところだろう。

 やはり夜の生活が無しと言うのが致命的っぽいわね。



 ある日の晩餐。

「明後日からは西の方の町をいくつか視察に行ってくるつもりだ。

 悪いがしばらく留守にする」

 確か隣国との国境まで馬車でゆったり三日の距離がある。ゆったりと言うのは馬を歩かせて、朝に出て夕刻前に入るほどの距離だ。

 フィリベルト様は馬車ではなくきっと騎馬で、おまけに走らせるはずだからそれよりは早いだろう。しかしまっすぐ行って国境を見て帰ることを視察とは言わない。周辺を巡回するとなると……、う~ん私には想像できないわね。

「畏まりました。西の方ですとかなり遠いですが、お帰りはいつ頃になりますか?」

「予定では一週間の行程だ。

 その間の事だが城の中の事は執事のロッホスに、そして貴女の為に先日に護衛に付いたライナーを城に置いていくつもりだ。

 何か困ったことがあれば申し訳ないが二人に頼ってくれないだろうか」

 ライナーは兎も角、私がロッホスに頼ることは何も無い。

 おっと折角のご厚意だ、私は笑みを浮かべてお礼を返した。

「お気遣いありがとうございます。

 私の方は大丈夫ですわ。

 旦那様こそ、お怪我することなく、無事にお戻りくださいませ」

「ああ、もちろんだ」

 こうして二日後、フィリベルト様は私兵隊を指揮して西へと向かっていった。




 さて、一週間か。

 領地の事は執事のロッホスがやっている。手伝おうとしても手を出すなの一点張りなので私がやれることは無い。

 教会は半月に一度と決めていて、この一週間の予定には入っていない。施し過ぎは彼女らから自立心を奪うのでよろしくないのだ。


 クラハト領の頃から同年代の友達は─ディート姉弟を除き─居ない。お茶なんて一人で飲んでも美味しくはないし、物語を読む趣味もなければ庭いじりもしない。

 久しぶりに馬でも乗ろうかしら?

 馬が大好きで、以前は毎日のように乗っていた。しかしこちらに来てからはとんとご無沙汰だ。治安が悪くてクラハト領の様に遠乗りは出来ないだろうけど、この城の中庭は広いから気晴らしに走らせる分には十分だろう。


 私が乗れる馬があるかなと、エーディトを連れて馬屋に向かうと、エーベルハルトが藁を運んだり馬にブラシを入れたりして忙しそうに働いていた。

「おや姉さんに、奥様」

 私が後なのはたぶん、一括りで姉さんと言ってしまった後に気づき、慌てて付け加えたからだろう。

「お疲れ様、ベルハルト」

「ちゃんとお仕事をしていますか?」

「二人とも酷いな、ちゃんとやってるよ。いややってますよ」

「ふふふ、分かってるわよ。

 ねえベルハルト、久しぶりに馬に乗りたいのだけど手ごろな子は居ないかしら?」

 そう聞けば、エーベルハルトは暗い表情を見せた。

「どうかしましたか?」とエーディトが問う。

「う~ん。まったく手ごろじゃないんだけど、すごく可哀そうな馬が居るからどうにかして欲しいかも」

「可哀そうとはどういうことですか?」

「国王陛下の褒賞品に軍馬が入ってたのは知ってるよね」

「ええ、わたしの大切な奥様と馬が一緒に扱われたのがとても気に入らなかったので、よーく覚えておりますよ」

 エーディトは本気の目を見せていたが流石は弟、いらぬ地雷は踏まないとばかりにあっさりとそれを無視して話を続けた。

「その軍馬がさ、誰にも乗って貰えずにいつも馬屋に繋がれてるんだよ」

「何か欠陥でもあるのではないですか?」

「ううん、なんともないよ」


 私たちはエーベルハルトに連れられて、その軍馬を見せて貰った。フィリベルト様に贈られたというわけあって、その体躯は大きく立派だ。

 よく手入れされているようで毛並みは艶々、確かにどこにも問題はなさそうだわ。

「なんて立派なのかしら」

 すると馬はまるで返事をするかのように、ブルルッと勇ましい声を上げた。

「そりゃあ国王陛下からの賜り物だしね。滅多な子は来ないよ」

 エーベルハルトが同僚の使用人から聞いた話によれば、この軍馬は今まで一度も鞍を載せた事が無いそうだ。

「これほど立派な子なのに、旦那様は普通の馬に乗って行かれたのね……」

「そうなんだ。旦那様だって戦われることがあるでしょう。もしも訓練を受けていない馬で後れを取って怪我でもされたらと思うとね」

 一週間の長期の視察。

 いや視察と言うのは嘘で、実は野盗の討伐だったわね。

 それなのに乗っていったのは訓練を受けていない普通の馬で、せっかくの軍馬はここでお留守番か……

 そういえばフィリベルト様は前の戦争で愛馬をなくされていたわね。

 それが退役の理由だと噂で聞いたけれど、つまり代わりの軍馬には乗るつもりがないということかしら?


「分かりました。旦那様が戻られたら私から一度聞いてみます。

 ただごめんなさい。

 国王陛下から賜った馬となると、私が勝手に乗る訳には行かないから、やっぱりしばらくは留守番ね」

「うん、ありがとうベリー姉!」

「こらっ!」

「あっごめんなさい。ありがとうございます奥様」

「まぁ誰も居ないのだしそこまでは……」

「奥様は甘すぎます。こういう時こそ気を引き締めなければだめです!」

「分かったわ。今度から私もディートの態度に思うことがあったら厳しく言うことにするわね」

「……仕方ありませんね。

 ベル、今だけは奥様のご厚意に甘えておきなさい」

 あっ逃げた。

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