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 城に帰ると私は執事のロッホスの元を訪ねた。


 なぜ主人の私が訪ねなければならないのか? と真面目に思う。

 しかし呼びつければ今は執務中で手が離せませんと、別の使用人を通じて伝言が返ってきたから、直接乗り込むしかないわよね?


 忙しいかどうかは兎も角、彼が執務中と言う言葉に偽りはない。

 いま現在、フィリベルト様は領地の管理を行っていない。サボっているという話ではなく、彼はもっか、国境付近に現れる野盗の討伐に尽力している。

 従って領地の仕事は、執事であるロッホスが受け持っていた。

 ロッホスはフィリベルト様の父上から紹介された執事だそうで、軍属で不在が多かったフィリベルト様に代わり、前アデナウアー子爵領の頃からずっと、彼が領地と城の管理をすべて取り仕切っていた。

 おまけに不仲と言う噂が流れてからと言うもの、〝奥様〟から〝ベアトリクス様〟に呼び名が戻り、さらに今回の件と、ちょこちょことまぁ、なんと細かくイラっとすることをやってくれるのか!

 実に腹立たしいわ。


「ロッホス入るわよ」

 ノックと同時にドアを開ければ、

「ベアトリクス様。ノックをお忘れではないでしょうか?」

 と、苦言に満ちた表情で言われた。

 ノックはした、しかし返事を待っていないだけ。

 これは主人である私がなぜ使用人の許可を得てから部屋に入らなければならないのか? と言うひそかな抵抗だ。

「そんな事よりも、先ほど私は教会に行ってきたのだけど」

「ご身分のある方が礼節を守ることがそんな事でしょうか」

「今は教会の話をしているのよ」

 するとロッホスはハァと大きなため息を吐きながら首を横に振った。

 どうやら彼の中で言っても聞かない人扱いされたらしい。

「教会が何か?」

「寄付金をありがとうとお礼を言われたわ。

 私は何も聞いていないのだけど、一体どういうことかしら?」

「旦那様のご命令です」

 それだけ言うと口を噤み、私を無視して書類を書き始めた。

「たったそれだけ?

 寄付した額や時期など、もう少し詳しい説明は貰えないのかしら」

「旦那様のご指示によるものです」

 回答は旦那様の一点張り。

 ふぅん。なるほどね、そう言う態度に出るのね、よ~く分かったわ。


「私が本日教会に行くということは伝えてあったわよね」

「ええ存じております」

「ではなぜ主人に恥を欠かせないように、善処しなかったのかを説明なさい」

「それは一体どういう意味でしょう」

「あらそんなことも分からないの?

 寄付金を貰ったと言われて、私が知らないと答えたらそれは恥でしかない。教会に行く前、貴方は私にそのことを伝える義務があったのよ」

「……それは、失礼しました」

 沈黙から、嫌々と言う体で返された謝罪の言葉。

 気に入らない! その態度はなんだ!

 息を大きく吸って更なる叱責をしようとしたところに、

「クシュッ」

 後ろに控えていたエーディトが|イミングの悪い・・クシャミをした。

「埃っぽくてクシャミが、済みません」

「ロッホス。今回は許します。次はこのようなことがないように頼みます」

「はい畏まりました」



 私は自室に戻ると、枕を持ち上げて壁に向かって投げつけた。

「奥様お止め下さい!」

「なんでよ! 放っといて」

「枕に罪はございません。

 それにあんまり投げると形が崩れます。そうなって夜に困るのは奥様ですからね?」

「うっ……」

 しぶしぶ枕を置くと、「ベリーはもう少し我慢を覚えないとだめよ」と姉の声色で諭してきた。

「ねぇお姉ちゃん。もの凄くワザとらしいクシャミだったわよ」

「うるさいわね。わたしは役者じゃないのだからあれで丁度いいのよ」

「そうね、確かにタイミングだけは丁度良かったわ。

 ありがとうお姉ちゃん」

「ふふふっどういたしまして」

 その言葉と共に顔から笑みがすっと消えた。どうやらお姉ちゃんモードが終了したらしい。


「しかしロッホスの奴むかつくわー」

「ひとまず旦那様にご相談するのは如何でしょうか?」

「いいえ、たぶんダメね」

 冷静に判断すれば、何の実績もなく一年後には離縁される妻よりも、十数年の間、アデナウアー子爵領を切り盛りしてくれた執事の方が発言力があるだろう。

 うん。やっぱり私の第一の壁はロッホスに決まりだわ。

「奥様、お顔がよろしくないです」

「それはどういう意味かしら?」

「表情がダダ漏れています、とっても悪い顔をされてますわ」

「大丈夫。ディートの前以外でこんな表情はしないわ」

「できればわたしにも漏らさないで頂けると心配しなくて良いのですが」

 それは無理な相談だ。

 誰にでも作った顔を見せてたらこっちが疲れちゃうもん!

「悪いけど諦めて頂戴」

「はいはい分かりましたよベリー」

 再び柔らかい笑みが顔に戻る。

 やはりお姉ちゃんには敵わないわね。







 その日の晩餐。

 フィリベルト様はいつも通りの速さで食事を終えた。普段なら腹ごなしだと言って剣を手に席を立つはずが、その日は皿が下がった後も席に座っていた。

 珍しいを通り越して初めての事である。

 私はこのくらいで動揺しないが、程度の低いここの使用人らは、一体何事かと落ち着かない様子を見せていた。


 私が食事を食べ終わって、食後のデザートと紅茶が運ばれてきた所で、

「今日は城下の町に行ってきたのだったな。

 どうだった?」

 それが聞きたくて待っていたのかと、何とも不器用なフィリベルトだんな様に苦笑した。

 そもそもそれらの報告はとっくにライナーから上がっているはずで、この場で私に問う必要はないだろうに……

 いいえ待って。

 そう言えば今日のお昼に、ライナーが城に広がっている噂を気にしていたわね。もしかして彼からフィリベルト様に何か伝わった可能性もあるわね。

 つまりその噂を気にしての事かしら?

 だったら嬉しい。


「そうですね、まずは町中をぐるっと見て、教会に行って参りました。

 教会の修道女が『寄付金をありがとうございます』と旦那様にお礼を言っておりましたわ」

「ああそうか」

「旦那様はいつも教会に寄付をなさっていらっしゃるのですか?」

 流石の私もここで金額を聞くほど野暮ではない。

「そうだな。戦争の被害者に対して俺が出来る事は少ないからな」

「とてもご立派ですわ」

「いやよしてくれ。そう言うつもりではない。

 俺はそれ以上に人を殺している。きっと誰からも恨まれているだろうから、それが怖くて教会にお金を入れているだけの小さな男だ」

「敵兵から恨まれるのは軍人ならば仕方がないと思いますが、それ以外ならば、閣下は誰からも恨まれてはおりませんわ。私を始め、住人は皆、領地を護って頂いたことに、とても感謝しておりますわ」

「そういって貰えるとはな、ありがとう」

 いつも無表情なフィリベルト様が珍しく口元を緩めていた。

 そして、相変わらず主人の会話に耳を傾けていたのだろう、食堂がざわりと揺れた。

 うん分かったから、あなた達はちゃんと仕事しなさい。


「あっ興奮して閣下だなんて、失礼しました。旦那様」

「いや構わない。

 と言うか、ベアトリクス。君はその時の立場や立ち位置によって呼び名を使い分けている様だから、今の〝閣下〟はワザとではないかな?」

「あらお気づきでしたか」

 二人きりならばフィリベルト様、城の者が居る時は旦那様、そして過去を語るときは閣下だ。

 思ったより見てくれているのねと、私は嬉しく思ってにこりと笑みを浮かべた。

「まあそうだな。

 それに好きに呼べと言ったのは俺だからな、今後も好きに呼んでくれて構わない」

「ええもちろんです。来年もその翌年も好きにお呼びしますわ」

「君は……」

 少々困ったようにはにかんで笑うフィリベルト様。とても珍しい表情だ。

 おっこれは効いたかも!?

 ちょこっとだけ手ごたえを感じた晩餐だったわ。

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