17🜚墜落の鷹
「怖い……」
訳が分からず呟くと、ジークは手を重ねたまま
「ジーク、あまり時間はないわ」非難めいた声をヴィシュラは上げる。
「
「意思無ければ何も成せない」
「はいはい、ご立派ですこと」
ソラはぎゅっとジークの手を引っ張る。
「あたしが天使の子ってどういうこと? 《天使》は概念的な存在だって聞いたの」
「概念になる前は、人間だった」
「なる前……?」
「分かったわ、私が話す」ヴィシュラは手を上げた。
「
「《天使》は簡単に言うと魔力の特異体質者よ。魔力量には個体差がある。例えるならコップ一杯から湖の広さまで、程度の差はあれどそれぞれ“器”を持っている。その器を持たず川のように流し限度がないのが《天使》の体質。
これを利用して、天使は世界樹から送られてくる膨大な生命の気を魔力に圧縮してナヴィスデアの『船』を空に浮かせている。扉の奥の、別位相でね……」
「魂の
「《天使》とは、神々の生贄よ」
「お、かあさん……?」
「大丈夫よ、ソラ。あなたはそうならない……そうさせない。その為に天界の英雄ローディスは冥界の森の番人に成り下がり、地上に我が子を隠した」
ローディス卿が、父親。それは母親が天使だったと言われるよりも、ソラには受け入れ難かった。もう既にそのような存在だったし、何より、ジークの父親であって欲しかった。そうでなかったら――
「ジーク・“ローディス”は偽りの英雄の子。あなたの隠れ蓑ね」
ソラは唇を噛んだ。それでも涙は溢れてしまった。
「ごめんなさい……」
「憐れむのは止めなさい、ソラ。ジークはあなたの奴隷じゃない」
指に頬の涙が拭われて、顔を上げた。
「お前を守れるならそれでいい」
黒髪に金の瞳。目元の三連星。星があるからソラは夜も怖くなかった。
ソラはもう一度、手を差し出し剣の柄を握った。もう震えはなかった。
「グリンデルフィルドから天界の鎖を断ち、二人で生きる為の鍵だ」
見つめ合い、ソラは頷く。ジークは手を重ねた。
「俺に続けて詠唱を」
ソラはその歌が好きだった。肌に染み入り魂を震わせる心地よい低音の調べ。重ねて歌う。
“トゥル・オーダル・モルスケルタ・ホーラインケルタ……=グリンデルフィルド=
「
カチリ 光を帯びて剣は回り、鍵穴は横一直線になる。
ゴゴゴ……
地が静かに鳴動を始める。
「あ」グラついたのをジークが抱き止めた。
「う……」呻いてルキウスが意識を取り戻す。
「ソラ……? ソラを離せ!」
ソラと柱に刺さる白光の剣を見てルキウスは顔色を変え、剣を掴み走ってきた。
ジークも応じるようにソラを背に前へ駆け、ガキンと二つの刃が合わさる。
「ジーク‼︎ 友になれたと、思っていた」
「お前だけだ」
「ルキウス! 違うの。大丈夫……グリンデルフィルドに、帰るだけ」
「ソラ……! 騙されている。それは天空を支える世界樹の柱だ。回路を絶てば、
「え……?」
ソラは声を失う。地は揺れていた。
「黙れ‼︎」
一喝したのはヴィシュラだった。
「
「ヴィシュラ。天空が、地上を蔑ろにしていた時代があったのは確かだ。だけどこれからは一切させない。必ず全民族の平和と平等を約束する」
「反吐が出る。王妃の立場を得ていずれ王鍵への接触を図る為近づいたが、その必要はもうなくなった。“礼”に宝剣を見せたことまでは笑うまい。百重の結界が解けるとは私も思わなかった。眠れる獅子を起こしたな、愚かな王子よ」
「ジーク・V・ローディスは、かつて天空に反旗を翻し英雄に討たれた『大罪人』にして偉大なる地上の王、《ヴァルヴァラン》の子――“
「教えてやろう、甘い王子には隠された《秘予言》を。“
「“全民族”は魔力を残した赤の民だけか? 舐めるなよ。我らは同胞を見捨てない。方舟に選ばれる筋合いはない」
ズグズグと次第に大きくなる地響きに、ニィとヴィシュラは笑んだ。
「神よ、我ら赤き血の民――“
ざくり、とルキウスは地に剣を突き立て体を支える。顔は蒼白だった。
そもそも生死を彷徨ったばかりなのだ――友の裏切りによって。
「ルキウス……」ソラは駆け寄ろうとした。友達に。辛い時に背をさすってくれたのがどんなに救われたか覚えていた。
「ソラ、」しかしジークの横を過ぎることはなく腕を掴まれ止められる。
「残る八つの柱も解錠する必要がある」
ジークは知っていたのだ。
「天空の国を崩落させるということ……? 学校も、友達も、ここで出会った人たち、ここで生まれた何も知らない人たちも一緒に――地上に、降りるだけ?」
「墜落だ。大部分は死ぬだろう」
どうして――どうして、そんなに冷静に言うのか分からなかった。
『災害』を見殺しにされるから、だから同じことをしてもいいのだろうか?
金の瞳を見つめても変わらず静まっている。きっと、違う。
「いいえ、ご主人様。――できません」
ソラは首を振った。ジークはヴィシュラのように地上の民を思っているのではない。
ソラ一人が助かればいいと思っているのだ。
ソラもそうだ。赤の民に青の民。天秤に量ることはできない。
ただ、ジークにそうさせたくなかった。
『父上のようになる』
英雄の子――それがジークの誇りであり、願いだった。
奪えなかった。
「そうか」
ジークは手を離した。
「ジーク、
「力は解放した。冥界の森への道は
地鳴りの他に、バタバタと大勢の足音が遠くに聞こえる。
ジークは王剣を鞘に戻した。
「脱出が優先ということね。時間切れだわ」
「主にはお前が解錠後悦に入って演説していたからだと思うが」
「チッ……申し訳ございません、“ご主人様”」
ヴィシュラはジークの肩に手をかける。
「や、やだ。行かないで」
ソラも手を掴んで止めた。ヴィシュラは唇に意地悪な弧を描く。
「悪いわね、ソラ。どうやら
「
ソラもジークもグリンデルフィルドに生まれたのではなかった。
(それでも)
ソラはジークの胸に抱きついた。
「あたしは天使なんかじゃないし、ご主人様は
頬に手が触れる。
「もう違う」
ソラは見上げた。
「お前が死にルキウスを殺して気が付いた。もう遅い。俺はお前以外の全てがいらない。お前を愛する者もお前が愛する者も全て壊して俺だけのものにしたい。お前を奪う世界はいらない」
――凶星。金色の瞳に紅い灯火が揺れるのをソラは見た。
ズガガンン
と衝撃音と共に土壁が破られ勲章を付けた騎士達がなだれ込む。
「ルキウス殿下! ――そこを動くな、咎の血ども!」
青い閃光が何十も重なって走り薄暗かった神殿は眩い光に満ちた。
――――極限魔法、“
低い呟きと共に、一点の光も無い暗闇に落ちた。恐ろしく、けれど頭が撫でられた気がした。
「空に神はいらない」
明けた時、ジークとヴィシュラの姿だけが消えていた。
ソラは泣いた。
切り離された黒革の首輪――
翼を広げた鷹の紋章が、ただ地に落ちていた。
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