ソラと魔法の学校

4✩天空のナヴィスデア



 ソラ、ソラ…………



「ようこそ、王都ナヴィスデアへ」


 優しく目覚めさせる声が聞こえる。ハッとして、よだれが垂れていないかソラはさりげなく口元を拭った。ルキウス王子が見守るような優しい眼差しでいた。


「あ、ご、ご主人様は……?」

 

 が解けたとはいえ多少テンパってソラは辺りを見回す。


「ああ、入学案内状には直接学校に転移するよう追加魔法陣が組まれているんだ」


 言ってなかったかもしれない、とルキウス王子はいたずらげに笑う。


「君のご主人様が怖かったからさ……。まあ、君は僕が責任を持って学校に送り届けるよ」


 トゥル・レグルス と王子が口ずさむと、一瞬蜃気楼が生まれそこにあの、銀のグリフォンが現れた。喉を撫でられ気持ち良さげにすると、膝を折ってしゃがんだ。


「え、……え?」


 ソラは目を丸くして見比べる。王子はそこにいて、グリフォンもいる。


「僕の守護精霊がこのレグルスで、体を借りることもできるんだ。さぁレディ、」


 王子は手を差し伸べる。ソラは急にドギマギして、うつむいた。


「あの、で、殿下……あたし、歩いていきます。道を教えていただければ」


「入学式に間に合わないよ。最後の手段でお忍びの直談判をしに行ったんだから」


 おかげで君にも会えた、とウィンクする。神聖で彫像のように美しいと思ったその顔も、なんだか快活で都会的な印象に変わってくる。


「それから学校ではルキウスと呼んでくれ。君が行くのを決めたのは、全ての区別なく等しく学ぶやしろだ」


「はい、ルキウス様」

「ルキウスだ。ソラ」

「ルキウス……」

 

 ソラは言い慣れた「様」を加えるのをぐっと堪えた。その分口の中でもごもごと、甘酸っぱく残るのだった。ソラ。侮蔑を含まない響きはなんと自由で広がりがあるのだろう。地味で平凡でそれ以下のソラ。それが突然に別のソラのところに入り込んだような、こそばゆい気持ちになった。



 ぶわり、と銀のグリフォンが羽ばたき舞い上がる。とんがり耳や小さい人、二足で歩く獣たち。人々は見上げ、手を振り、ルキウスも返していた。その姿は、かつてのグリンデルフィルド伯をソラに思い出させた。


「高度を上げるから、しっかり捕まって。レグルスは君が落ちる速さより速いから安心していいけどね」


 ゴウゴウと滝を昇るかのように上へ飛翔していく。落ちてしまいそうでぎゅっと目を瞑りソラはしがみついていた。ようやく止まる。


「ソラ、ごらん。これがナヴィスデアだ」


 その声に目を開け、あっけに取られた。



「浮いている、の……?」



 眼下に望む国。更にその遥かどこまでも大地が広がっていた。 

 浮いているは、円の弧を左右対称に繋げたような、人工的で不思議な形。いいや知っている。泳ぐ魚、満ちていく月、湖に浮かぶ小舟……



「天空国家ナヴィスデア――世界を渡る船だ」


   

 声に誇りが満ちている。これが魔法。奇跡の結晶。何よりこここそが王子にとっての郷土なのだ。


「ここは世界の四辺の中心……ここより真北が君の故郷、“北の最果て”グリンデルフィルドだ」

  

 遥か遠くを真っ直ぐ指差す。遠すぎて見えなかった。

 この距離を移動したという《世界樹》。この光景を見るまでは信じられなかったに違いない。

 《日の沈まない帝国》ナヴィスデア。世界それらを理解するにはわからないことだらけだけど、わからないことを知らなかった時よりは、胸がいっぱいで笑みがこぼれてくる。


 ルキウス王子はソラが目を輝かせるのを見てにっこりと笑った。

「何より知識欲それが“魔力”さ」


「魔法は世界の法則オーダーを知る学問。知らないことは何も変えられない」

 



  ✩    




 万物と心交える月の精

 万物が技は星に刻まれ

 万物は体を太陽に倣う


 交え読め倣え この学舎まなびや

 極め合わせば 無限の扉は開かれる


 

 姿なき妖精の合唱が反響するドーム型の天井に、雲のように三つの巨大なタペストリーがたゆたう。月と星と太陽がそれぞれ描かれ空を巡るように回っていた。

 その中央真下には純銀のゴブレットが置かれふちまで水をたたえている。

 水は霧もやのように白濁としていた。


 魔法学校の入学式が始まった。

 

 ゴブレットの前に、深緑のローブを纏った赤毛の男の子がいそいそと歩み出て、水に顔を写す。

 

「オタク・タク・タクティス」


 唱えるとシュウウと白い蒸気が上がり、触れてもいないのにゴブレットからチロチロと水が溢れる。


「太陽のクラス!」

 

 傍に立ったいかめしい灰色ローブの老人が声高く告げる。応えるように太陽のタペストリーがはためいた。その不思議な光景が次々と絶え間なく続いていく。《呪文》はそれぞれに違うようだった。


「名前だよ」


 とルキウスはソラに教える。

「“己を見つめ何者か告げれば銀の杯は指し示さん”ってね。まあ難しく考えなくていい、自動自己紹介器みたいなものさ」


 そのうちルキウスの目の前にパッとコマドリほどの小さな妖精が現れて、彼は頷き中央に進む。ざわめいていた音が、一瞬で静まり返って見守った。


「ルキウス・フォン・アーシス=ナヴィスデア」

 

  杯はもうもうと蒸気をあげ、水は七色に変化し神々しく煌めいた。

 おおお、きゃああと自然歓声が上がる。灰色ローブの老人も深く頷き、心なし声を張り上げて告げた。


「月のクラス!」


 ルキウス本人は驚きもせずソラを手招きした。最後の一人のようだ。


「水の色が変われば月のクラス、模様を描けば星のクラス、溢れ出したら太陽のクラスだ」


 にっこりと笑ってさあと促す。ソラはもやの水面を見つめ、名を告げる。


「ソラ」


 何も起こらなかった。途端、全身から嫌な汗が吹き出した。悟ったのだ。

 そうだ。そうだ、こんな、夢みたいなことが自分に起こるわけがない……

 ソラはソラだ。何もないただのソラなのだ……


「ソラ……落ち着いて、姓まで言い切るんだ」


 何も。何もわかっていない。姓なんてあるわけない。ソラは平民で、孤児なのだ。

 ここまで場違いな場所に辿り着いた者がいるだろうか。ほんの、偶然の重なりだけで……

 のこのこと壇上に上がった自分の愚かさに泣きたくなった。自分が何者か? 少なくとも自分を受け入れてくれたのはただ、


「……グリンデルフィルド」


「ソラ・グリンデルフィルド!」


 で、ソラは叫んだ。

 


 ダァン


 

 と、衝撃音に皆の目が向いたのは、扉の方向だった。両扉が弾けるように開き切り、そこを通す。カツカツと、平然と歩いてくるのはご主人様だった。


「どけ」


 冷たく言われソラはその通りにすごすごと下がろうとした。


「ジーク、まだ――おや、


 ソラと灰色ローブの老人がルキウスの声にゴブレットに目を戻すと、なるほど確かに、二粒ほどの水滴が器の彫刻の溝のところに溜まっていた。しかしそれは今の衝撃でだけなのでは――


「太陽のクラスだ。ね?」


 促され、なお灰色の賢人は迷ったようだが、にこやかな王子との間を持つように躊躇いがちに頷いた。きっとソラと同じ疑念を抱いていたに違いない。


「ソラ・グリンデルフィルド――太陽のクラス」


 楽観王子の気まぐれ――ソラはたちまち主人の言い分の方に天秤を傾けていた。 

 

 いい加減幕を下ろすように黒のローブが翻る。ソラはごくりと固唾を飲んだ。一連の流れのせいで今やルキウス王子よりもその注目を浴びている。もしも自分のようなあるまじき恥をかくことになったら。

 主人は水面の影を睨みつけ低く呟く。


「ジーク・ヴァルヴァラン・ローディス」


( え ) 


 白いもやはたちまち黒く染まり流れ出でて、そして絵画のように克明な影絵を描いた。

 それまでに《星》で出た紋様といえばまだらが浮くか、せいぜいが歪な円程度のものだ。この水盆に映るものが異様なことくらい賢人の顔を見ずともソラにだってはっきり判った。  

 少しの間のあと賢人は厳かに述べた。


「星のクラス」


 三十三人三クラス――不思議に毎年必ずそうなるが、今年は百名。ともかくとうとう新入生全員のクラス分けの儀式は終わった。

 賢人はコホンと咳払いをする。


「各々の魔法を極め、極限魔法に至った者は例外なく大魔法使いとして王城の永遠とわの石板にその名を刻む。魔法使い、魔法騎士の小惑星達プラネテスよ、励め」



 

「三人とも別のクラスかぁ」


 ルキウスは残念そうに、しかし呑気な声でいう。ソラはいたたまれなかった。

 全方位から刺すような視線を浴びていたし、ご主人様は一言も口をきいてくれない。何かしら怒っているに違いない――

 主人を差し置きその“主君”と呑気に市街観光を楽しんでいたことがまざまざと思い出された。


「ジーク、不機嫌でソラを怯えさせるのはやめたまえ。

 君にも言うが、ここは皆平等な学びの舎だ。僕と君も、君とソラも、主従関係は一切ない。同級生だ」


 最後の方の声が弾んでいる。ルキウスは握手を求めるように手を差し伸べた。


「平等?」

 

 ジークは鼻で笑い、その手を払う。背を向けてそのまま去ってしまった。しかし王子は気を害した様子もない。むしろ面白げな笑みを浮かべていた。


「彼のああいうところが好きなんだ」


 不遜なところ? ソラはまだそんな大層な口をきけず、ただ口をつぐんでいた。


   

  ✩  



「“死の森グリンデルフィルド”のソラ! だ!」


 クラスごとに分かれているという寮の、指定された扉を開けるとそんな第一声を浴びた。ソラが面食らっていると、赤毛の短髪に黒い丸メガネ、深緑のローブをまとったソラと同じ程の背丈の少年が駆け寄る。「ボクはオタク」と早口で名乗ると矢継ぎばやに続けた。


「ねぇねぇ、君って何者? ルキウス殿下や《最後のあの人》とはどういう関係?」


「ええと、ええと……」


 ソラは戸惑い、言葉が出なかった。


「死の森……?」


 初っ端から疑問符だらけで脳みその回路が渋滞を起こしていた。

 疑問形で返すと、少年はキラキラと目を輝かせて続ける。


「南の泉から生まれ出で、北の森には死者が行く。西の岩は過去に通じ、東の砂は未来に続く」


「地理を知らない? なるほど下界から来たんだね!」


 そうしてローブのポケットから羊皮紙のメモ帳と羽ペンを取り出した。

 先ずひし形を描き、その四隅をくるくる塗り潰す。中央にマルをつけ、“ココ”と記した。


「これが世界地図。外側は魚も棲まない“死海”で囲まれ果てがない」


 と波とドクロの絵を描く。

 それからひし形に戻って、その内側に角が接するよう四角をかき、また更に内側に小さな菱形を書く。中央のマルはそこに収まった。九つに割れた図形のそれぞれに、黒い点を加える。


「九つの大地のそれぞれに世界樹がある。それはこの天空国家ナヴィスデアと繋がっていて、中でも四隅の大樹は世界の次元を保っているんだ」


(“帝国”はつまり……この世界の全てということなの?)


 ソラが漠然と考えていたより遥かに巨大なスケールの話に、思わず目眩がした。上空から見た大地は果てがなく、なるほどこの浮島を船と例えることも分かる。世界がその掌中にあるというのなら確かに“神”と言わずしてなんと言おう。


「この魔法騎士学校の生徒の殆どは天空出身なんだ。地上からは高い魔力を有した人だけがスカウトされて、でも地力で世界樹まで辿り着かなきゃいけない。『果て』の世界樹に辿り着くのは大魔法使いでも難しいというから、君が相当にスゴ腕なのは間違いない。《最後のあの人》も凄かったけど――なんて前代未聞だよ!」


 でしょうね! ソラは嘆き悲しんだ。北の森そこに住んでいただけであり、《ついで》で連れてきてもらえたただの無能だと知られたら袋叩きに合うのではないだろうか? あの天空から突き落とされるかもしれない。ソラはぶるりと震えた。 


 ――グリンデルフィルドの誇りを忘れるな――


 ソラを奮い立たせたそれは、今逆に矛先を彼女に向けて突き刺そうとしていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る