第15話

 梅壺と弘徽殿のあからさまな寵愛争い。

 一人の男性を巡って対立して、悲しくなってしまう。

 こんな二人に、私が寵愛を受ける姉が入ったところで、どうなる?

(こんな美女と、あんな美女がいて、寵を争っている。ますます、姉には後宮が向かないと思えて来たわ)

 宴会前には、舞台で鍛錬する貴族の舞が見られたり、内裏専用の楽人が琴や笙を奏でたり、集った文人たちが、学府の優秀な人や博学多識の貴顕たちと和歌を披露したりすることが行われた。

 宴の始まる時刻。

(ああー、なんだか、よく分からないうちに、宴会の時間になってしまった)

 いっぱい怒られたし。

 珍しい書物を読めると思ったけど、今まで書物も触ってない。

(こうなったら、さっさと常盤御前見つけて、後宮から出なきゃだわ。久理子殿の言う通り。今は一瞬のことなの。いつか出る時を想定して、それまでのらりくらりと生き抜かなきゃ。若い身空を、帝のいる後宮などですり潰したくないもの)

 よーし。どんな人が宴会に来ているか見てみよう。

 仕事のことは、心配ない。

「そちはいても邪魔になるし、梅壺女御殿にも睨まれておる。今宵は政府高官、帝も来るのに、失態をしたら私もクビだ。大納言様も困ろう。大人しくどこかに引っ込んでおれーっ」

 幸いなことに、長池殿もそう言ってくれた。



 



(ああ、ここからなら、宴会の様子がよく見えるわ。ちょうど良い) 

 私は舞の舞台が見えるところを見つけて、今宵の宴会を隅っこから眺めさせてもらうことにした。

 常盤御前は?どこかにいるかしら?

 普段の宴会や雅楽、舞などが行われる殿舎で、対の屋構造になっていて、壁を外したら、柱だけになり、対面の部屋を通して、各部屋や庭などが眺められる。

 そこで、私は師匠の姿を探した。

 心から尊敬する師匠のことだから、姿を見たら一発で分かる。きっと誰よりも鋭い目をしていて、想像が豊かな人で、威厳がある。髪が豊かでかなりの美貌の持ち主で、御年があるから、ちょっと老けているけど、お、弟子か、よう来たな。なんて言ってくれるだろう。想像しただけで、楽しくなって来る。早く会いたい。会えたらもう、それだけで人生最大の瞬間に打ち震えるわ。

 日が落ちる頃には大勢人が集まって来て、かがり火が焚かれ、宴が始まった。

 中心の建物には帝がおり、大勢の政府高官、公卿たちに取り囲まれ、賑やかな笑い声や管弦楽の音が聞こえる。

(あ、父上もいる・・・・)

 政府高官と言えば、我が家もそうなのだ。

「都一の美女と噂される翠子殿の妹君なら、さぞ美しいのでしょうな。弘徽殿女御も忘れてはならぬ存在じゃが」

「梅壺女御様も、負けてはおりませぬぞ」

 右大臣とネチネチと言い合っているのは、左大臣だ。あちらでもやっているらしい。あれから始まって、後宮ではあのような喧嘩が日常的に行われているのだ。まったく。

 多くが黒衣の衣袍だ。帝の近くの座席の人たちは。

 皓々と明かりがつく灯火の高杯たかつきが室内のあちこちに置かれ、暗がりの中でも明々としている室内には、大勢の高官らが膳を前に座っている。帝と女御とその関連の位の高い者たちは御簾の中にいる。

「い、いえ、うちはそのような、跳ねっかえりばかりで」

(父上も一応、呼ばれたのね)

 姉のことで、帝から疎んじられてないか心配したけど、招待されたようで、私は安堵した。

「それにしても、大納言殿のところの姫君は変わり者で有名だとか」

 父の姿をもっとよく見ようと、身屋もやに近づいたら、帝の声も聞こえて、私は慌てて、思わず松によろけかかり、痛い先があたって、声を上げそうになって、口を自分で塞いだ。

「い、いえ、そのような。決して帝をないがしろにするわけがなく」

「私の熱心な思いを聞いてはくれず、桜の下で出会った姫君の妹も、どうやら言うこと聞かないね、二人ともそういうタイプだ」

「え、は、はあ」

「桜の君の姉と似たと言うか、知りたがりの椎の君と言われる、また一風変わった子だ。気が強いというか。大納言の家にはそんな子女しかいないのか?」

「あ、はあ」

 何やら・・・粘着質も、またネチネチと言っているみたいで・・・

 綾綺殿の本殿でそういうふうにやりとりされた自分の噂話など、聞いちゃいられない。すでに遠い場所にいた私には、人々の喧騒や楽の音が混じって、よく聞こえなかった。

 



 その時、わあっと歓声がした。

 殿閣の前に作られた舞台に、鮮やかな衣装をつけた舞人が現れた。

 格調高い楽曲が流れる舞楽は、鳥の帽子を被り、白色と赤の衣装を身につけたものだ。

 最初の二人組が左右から出てきて、中央で舞う。

(あ・・・あの人は)

 そこにいたのは・・・若竹の君。

 私はその鮮やかな舞に魅了された。

 ゆったりとした動きを機敏に果断に動き、しなやかにも大胆にも舞う。

 赤い大きな鳥のような帽子をつけて、残りの四人の舞人が出て来ると、さらに歓声は高くなる

「きゃああああ、あ、頭中将とうのちゅうじょうさまあああ、いいいいいい、きゃああああ、カッコいいいいい」

「きゃあああ、夕闇の皇子あうううう、こっち向いて」

「きゃああああ、月山様ああああああ」

 女たちが大声を上げている舞台の舞手は、朝廷でも有名な眉目秀麗、頭脳優秀な公達たちだ。

 あまりに大きな歓声と悲鳴で、私も一人に気を取られていたが、ようやく今をときめく人気の者たちと気づいた。

 若竹の君には黄色い声援はない。ほっとする。でも、大勢が注目していて、誰の声援とも判別しないから、中にはいるかもしれない。

(こうして、今をときめく公達たちと共に舞台に出るってことは、それなりにそれなりの若者として、呼ばれたのだろうし)

 こうして皆に見られたら、今から人気も出るかもしれない。もし、物語のモデルと広まったら、もっと・・・だからか、今は束の間、彼を見ていたい気分、雲の合間に出る月のように、少しの間だけ。

 舞が終わり、仮面を取って、帝に挨拶すると、ひときわ歓声が上がった。

「夕闇の綺羅、名の通り、大胆で、見事な舞であった」

「は、有難きお言葉」

 舞が終わると、帝からお褒めの言葉があった。ひときわ男らしく威厳のある男性が出てきて膝をついて礼を言ったと思ったら、夕闇のあの方だ。やはり誰よりも舞が上手だった。夕闇に輝く星のように、瞬き、ひらめき、人気を集める。仮面を取ると、光り輝くような美貌だ。舞の後でくったくなく微笑むと、意外と少年っぽい清々しさもある。

 内裏の御三家とも言われている、今をときめいている公達たち。

 きゃあああ、きゃあああと、御簾に隠れた女たちの悲鳴が上がる。私の耳をつんざき、地響きするほどだ。勢い余って御簾を揺らす女や楽人らがいた。彼らが手を振ったりすると、どよめいたりしている。

(すごいわね、すごい人気)

 お礼にと、夕闇の君が宴会場の人らに手を振る。と、さらに場内を揺らすほどのきゃああとか、わああという笑い声や嬌声で、場内が騒然となった。

(後宮は帝も女御もおわす失態が出来ないところって誰が言った?)

 呆れながら、耳をつんざく嬌声に、思わず私は耳を塞いだ。

(恐るべし、夕闇の君の人気)

 あの人と知り合いなの?私。一度は知ったと思った相手だけど、相当な距離感を感じる。やはり、手の届かぬ遠い世界の人だ。


「さて、今宵。幽玄の世界に連れていってみせましょう」

 次にまた、新しい人が出て来た。

「今日も雪風人が素敵ねえ」

「ほんに、見事な舞ですなあ」

 どうやら、舞台の上の白い衣服と白い仮面に身を包んだ男性も人気らしい。 

 内裏では人気絶頂の三人が話題をさらってしまうけど、他にも人気がある男性もいる。それが雪風という人だと、私は初めて知った。

 周りでは、青い鳥の衣装を着た男舞をする人が、左右で同時に同じ踊りを舞っている。

 なんだか、爽やかな踊りで、楽しくなって来る。

「今宵は、特に趣向を凝らしておりまする。今は暑月。暑気払いとなる先触れとなりますよう、帝はこのところ、桜への思いへ悩んでおりまするゆえ、憂さを思いっきり晴らしてもらいたく存じます」

 そう男が言って、手を上げると、上から何かが振り落ちて来た。

 桜の花だ。この季節に。

 わあっと歓声が上がった。


 きざし鳴く、高円たかまどに、桜花さくらばな、散りて流らふ、見む人もがも


「古の人は言います。忘れがたき人を、桜を見ながら、共に見ることが出来たら、昔の園にいた頃のように、いつまでもと・・・」

 雪風人と呼ばれる人気男性が舞台から下りて頭を下げる。

 端整な美貌で、微笑むと怜悧なものが漂う。さすが人気の男性だ。

 おそらく、雪風人というのは、何かのあだ名だろう。

 帝は舞台など目にしておらず、よろよろと立ち上がり、目を見張り、桜の散る様を眺める。

 歌の意味は、自然豊かで、キジも鳴く美しい野辺、高円で、桜の花が散っている。いっしょに見る人がいたら良いことよ。というものだ。

(振られっぱなしの帝にしたら、あまり良い演出でもないわね。余計にこれでは帝の胸を騒がすのでないかしら?)

 どうしてこの歌と桜を選んだのだろう。

(これも、おかしという演出のうちなのだろうか)

 私にはさっぱりわからない。都の流行も、雅も。

 主人公が遍歴を重ねるとか、恋物語なら好き。

(帝はこれで、姉を思い出すのかしら?)

 姉が桜の君と呼ばれるようになった由縁。

 私も実際、その場面にいた。

 あれは鴨川の桜の見事な満開の日だ。

 桜見物に出た姉が、ちょうどお忍びで来ていた帝と出会った。

 私達は知らなかったけど、大勢若者がいた中で、帝がいたのだと後で知った。運悪く、かも。

 その時から、帝は姉にぞっこんだったらしい。帝の手紙談だけど。

「わあっ・・・」

 無限に吹くかのような、桜の花の乱舞が、池や砂利石を引いた庭園に広がり、大きな欅の木の近くに立つ私の周りまで飛んで来た。

 不穏さを思い出させる桜の花の乱だったけど、花は花で罪はなく、単に眺めたら、とても綺麗だ。

 こういう幽玄の世界って、私、好き。

「桜の・・・散りて、流れむ」

 桜が散って行くさまを各地の庭にいる人が見て、めいめいに桜に陶酔して眺めた。

 その時、帝がくわっと目を見開き、私を見たのを私も気づいた。

 私は思わず、はっと身を固くした。遠くからでも、獲物を得るような目線で捕らえられたからだ。

「桜の・・・君?」

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