第13話

(仕方ない、宴会の用意でも、各部屋の女房方が来るから、探してみようか)

 唐の花瓶を置いたり、日当たりの良さが各段上の格調高くしつらえられた室で、大勢の女房が集まっているのを見たら、久理子は蒼白になって、がたがた震えた。

 それでも無理に笑顔を取り繕って言った。

「わ、私もまた、ここらへんで働き出すわ。北川殿に見つかっても、ここにいましたって言うから」

 久理子はそう言って、私から離れて、綾綺殿の下のほうへ同じような下級の女官たちの列について行った。

(ありゃあ、相当怒られそうだけど、働かないと、夕ご飯も出されないし、そろそろ働いているフリでもしとかないと、まずいね)

 賢い子だから、自分でやり通すだろう。本当に駄目な時は、助けるけど、下手に関わって、久理子の立場を危うくすれば、久理子がここにいられなくなる。

 私は手を振って見送ってから、宴会場をつぶさに見ることにした。

(帝の催す宴会だもの。もしかしたら、師匠も宴会には出るかもしれない。もし、来なくても、各部屋の大勢の女房が来る。かつての常盤御前を知る女房からも話を聞くことが出来る)

 私はそう考え、長池殿の命令通り、綾綺殿りょうきでんという殿閣で、女御方の部屋の用意をしたり、膳の用意をしたりして立ち働く、女官がたの仕事を手伝った。そして合間に、何となく、常盤御前のことを聞こうとしたのだが・・・

 そんな間はなかった。

「ちょっとあんた、これじゃない。西の収蔵から壁代かべしろを取って来てと言ったのよ、ついでに円座も。高貴な方用と、楽人用よ」

 残念なことに、(自分のことだけど)几帳たって、円座だって、箸だって、何か一つとっても違いがある。さすが古来から伝統のある内裏。高貴な人用、その次の人用、その次、その次、その次、文人用、学者、その他特別お招き待遇などなど。室内のしつらえ、素材の違う皿や敷物、装飾の違いとか、なんと、ご丁寧に接待するように出来ているのか。

 女御の部屋には花は最大多数。その他の妃たちの花は次に見劣りがするものを出せとか、意外と難しい問題だ。実家にいる時は、西松がやってくれていたし、後宮を甘く見ていた。 

 おまけに、各部屋を用意している貞観殿じょうがんでんの先輩女官らがとても厳しい。

 貞観殿ってのは、後宮のさまざまな女房らが集まる職場。後宮の主な部署で、妃たちの部屋に侍る女房は別格で、こちらはその他大勢の後宮の権力ある女たちとでも言おうか。



「はいっええと、円座、高貴な方って、白い縁がついたものなの、それとも、こっち?」

「あんた、そんなのも分からないの?こんなの持って来て、この水鳥の壁代なんて、死んだ尚侍のものじゃない。どこから持って来たの?こんなの見つけるほうが難しいわよ。この円座も違う、神職はあっち持って行ってって。こっちは冬用の茣蓙じゃないの」

 と言われていることすら私には分からなく、何が何やら。

(えーと、えーと、あれ、何をしてたんだっけ・・・)

 常盤御前を探すことなど、探すどころでない。 言われたことをこなすのに精一杯。

「ちょっとあんた、この部屋には御簾持って来てって言ってるのに、まだやってないのかえ」

 途中、私はとんでもないカナキリ声にぶち当たった。

 走り回っていた私はぜえはあと息荒くなって振り返る。

 すると、御簾の中からでも分かるびりびりとする威圧感を放つ、ほっそりとした女性が立っていた。

 問答無用の威厳とあたりをはばからぬ気の強さ、着ている上等な唐衣を見ると、後宮の高貴な妃だ。

「これ、貴様、梅壺女御様がそう言っておろう。さっさとせい」

「は、はは、はい」

(この人が、梅壺女御?)

 あまりにはっきりした物言いと、御簾越しでも分かる細面の美貌、錦繍で取り繕った豪華な美しさに、私は呆然と見惚れた。

「何をしておる、さっさとするのじゃ。お前、もう良い、他の者にやらすから、とりあえず、お前もこちらに来い」

 その辺の仕事は、他の女房方がははーっと言いながらてきぱきしてっくれて助かった。

 それは良かったけど、何か部下らしき人が私の腕を掴んで離さず、よく分からないけど、梅壺女御がいる部屋に引っ張って行かれた。


 内裏では季節や年始の公式行事がある。

「のう、美濃、帝には葵祭にはわらわと共に行ってくれると言ってくれたかえ?」

 後宮は内裏とはまったく違う日常が繰り返されている。すなわち妃の日常と嫉妬だ。

「えーとそれが、葵祭には部下たちと共に行くと言われ」

「なぜじゃ、お主にはあれほど便宜を図らってやったのに。何をしておるのじゃ」

「申し訳ありませぬ」

「次の祇園祭は共に行くように手はずの整えよ」

「は」

「この役立たずが」

 けっと言って、次に梅壺女御は、御簾の中で、部下たちに向き直る。部下たちは一瞬でびくっとなり、ははっと一斉に、平伏する。

「ものども、この後宮で一番、美しいのは誰じゃ?」

「それは、梅壺女御様でございます」

「ほっほっほ、分かっておる、わらわも」

 後宮一の権力者と言われている梅壺女御。

 梅壺女御という方は、御年は帝と同じぐらいの古参の妃と言われているが、可愛らしい顔立ちで、御年二十代後半にはとても見えない。童顔で気の強さがあって、そこが都一と言われている麗人弘徽殿女御とは違った美しさだ。

 己でも権勢ぶりに自信があり、美しさも鼻にかけている自信っぷりだ。

「さあ、お前たち、この後宮で一番美しいのは、梅壺女御様だ、そうだろ?皆でそう唱えるのじゃ」

「はい、この世で一番美しくて賢明であらせられるのは、梅壺女御様でございます」

 用意でまだばたばたしている中、私も部屋の中に座らされ、他の侍女や采女たちと一緒に賛辞させられた。

(なんで私まで、絶賛を?)

「梅壺女御様、こやつがあの花を用意した采女です」

「こやつか、帝の面前で、いけしゃあしゃあと、花が綺麗だからと花瓶に飾りおった女は」

「違います。梔子の花が良い匂いだったので、梅壺女御様に気分を明るくしてもらおうと思ったのです」

「バカにするな。良い匂いをさせて、帝の気を引くつもりじゃったのだろう。この梅壺をバカにするな。クビじゃ。そちのような女子は許せん。クビじゃ。ああ、なんと忌ま忌ましい。外へ放り出せ」

「そんな、梅壺女御様。どうかお許しを。ここの仕事がなければ、家族に仕送りが出来なくなります。お助けを、お許しを、どうか、女御様」

「厚かましいわ。とっとと失せろ」

 女官というのはこの時代、上の者には逆らえない。その娘は梅壺女御の手下に抱えらえて、外に引っ張っていかれた。

(え、えらい、お人ですがな。私がもしも、姉の妹って知ったら、どうなるの、これ)


「これ、皆の者、この世で一番かわいいのは誰じゃ?正しく申してみよ」

「それは、梅壺女御様にあらせられます」

 少しのミスでも許されない。ミスったらやられる。そういう緊張感のある賛美斉唱は、皆、声が高い。

「では、この世で一番賢いのは?」

「それは梅壺女御様でございます」

「ふふふ、お主らは正しい。そうよの。この世で一番美しく、可愛らしく、そして賢い。それがわらわ。そういうことじゃ。後宮で一番の権力を持ち、一番人を従え、一番、帝の寵愛を得ている。それがわらわ。のう、小田巻おだまき

「その通りでございます」

「よろしい。ふふははは。のう、小田巻。この膳をじゃな。ここに置いて、それから酒と器を載せよ」

「は。しかし、何使われます?」

「この酒瓶にじゃな、痺れ薬を入れるのじゃ。それを弘徽殿に飲ませてやるのじゃ。そうすりゃ、弘徽殿は帝の前で、体を痺らせて転がる。そうしたら、帝とわらわが面白がれるであろう?」

「さようで」

「ふーふっふふ」

「ぷっぷぷ、へえっふほっほ」

「ほっほっほ、はーっはっは」

(何というか、明るい。ある意味、うん、明るい)

 このような計略を大っぴらにやるものではないが、上司も部下も揃ってわきあいあいと無邪気に語らい合うのは、明るい。うん。隠れて影でねっとりするより、明るい、うん。

「何やら、お忙しいそうで。明日の宴に手落ちがないか、手伝いに参りましたぞ」

 そこへ、弘徽殿女御が来た。

(どこから来たの?どこにもいなかったのに。狙って駆けつけて来たの?)

 おそらく不穏な匂いを嗅ぎつけ、疾風のごとくやって来たのだ。その早耳。なんか、周囲にいる?

 確かに、陰謀や計略のあるところ、未然にその芽を摘んでしまわねば己の身に災厄が降り注ぐ。対応が早いのだ、弘徽殿女御は。

 陰謀を画策していた梅壺一派らが当然だが、一変して、殺気立つ。 

 綺麗な唐衣を来て、髪を床まで垂らし、いつに増して美しいのは、宴会の用意で張り切っているからか。前は山姥だったのに、今は見違えるようだ。

 わざとらしくどかどかとやって来て、梅壺女御の前に用意した痺れ薬が入った膳を蹴っ飛ばす。

(ああ、蹴ったー)

 わざとではないと見せかけ、計略を見事にぶっ潰すとは、さすが弘徽殿女御だ。もう何度もやって、手慣れている感じだ。


「ほほほほ、あらあ、散らかっているから、分からなかった。今日の用意であちこち散らかってやだわあ。ごめんあーそばせ。とはいえ、梅壺女御様のお部屋で無作法なことですわ。誰です、このようなところに膳を置いたのは、これ、片付けなさい」

 しれっと弘徽殿は室内の用意をした下の者たちのせいにしてしまう。

「忙しいのに、ご苦労よの。弘徽殿の」

 梅壺女御は弘徽殿女御と対面し、ぴっと眉間に青筋を立て、威嚇する。

「こんなところで、うろうろしおって、暇をもてあましとるようじゃの。少しは上達したのかえ?わらわが教えた和琴の曲は、前は出雲にいるという沙魚サメとかいうものが鳴いたような音じゃったの。舞人が舞うのに苦労していたよの」

「まあ、お気遣いしてくれるとは、お優しいこと。今度こそ、あなたより上手いと言ってもらいますわ。お上は雅楽の上手い方を好まれる。帝に気に入られるように、たっぷり練習しましたわ」

「ほう。和琴で帝の心を掴もうとするとは、小魚の身を得るのに骨を食らうようなものじゃの。出来るならやってみたらいい。だが、帝から褒美を得るのは、此度もわらわじゃ。お主ごときが、主上の寵愛を得られると思うな」

「我が先にと目当てにもされてないのに、厚かましいですわ。世間と対面する主上も迷惑ですわ」

「お主こそ出しゃばるな。お上の寵愛を奪う者は、わらわが後宮から追放してくれる」

「残念なことに、そのようにはなりませぬ。帝が与える最上の寵愛は、私が頂きますから」

「ほう。わらわに寵愛を挑むとは愚かな。前から言っておる。今すぐ、宿下がりの書面を書いて、実家に帰れとな」

「それはあまりに言い過ぎでは?」

「わらわしか、お上は相手はしてはならぬのじゃ。お上はわらわのもの」

「お上は梅壺女御様だけのものではありませぬ」

(な・・・なんか)

 このままでは、殴り合いのケンカしそう。

 これが寵愛争い?

 これ、絶対姉上には無理よ。あの人、意外と気が弱いの。


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