プロローグ(2)

 二一歳の誕生日。


 俺の足は、相も変わらず冒険者ギルドへと向かう。

 今日はギルドに行かずに、依頼を受けずに、露店でパンでも買おう、なんて考えていたのだけれど、何もしないでのんびりと一日を過ごすというのは、どうも慣れなかった。

 経済的には少し、いや、だいぶ余裕があるのだから、一日くらい休んでも問題はない。

 それでも焦燥感に駆られて、ギルドの掲示板から良さげな依頼を探す。


 探す、と言っても、別にじっくりと見ているわけではない。

 五年もCランクにいれば、勘で手頃な依頼を見つけることができる。

 手頃というのはつまり、Cランクの依頼の中では危険度が低く、また依頼達成までが短めであることだ。


「(今日は不作だな……『中魔石を十七個納品』これでいいか)」


 依頼を受け、王都を出て森を進む。

 中魔石というのは、魔物の体内にある、特殊な鉱物のことだ。

 この魔石を用いることで、初めて魔法を使うことができる。

 そのため魔法使いにとってこれは非常に大切な物で、いくらあっても困らない。


 茂みを木の棒で突き、おびき寄せ、魔物を見つけては殺し、死骸から魔石を回収する。

 中魔石を十六個集めた頃。


「(……また小魔石)」


 あと一つというところで、なかなか拾えない。

 早く王都に帰って、パンを買って、宿のベッドで横になりたい。

 その思考の中に、どこか引っかかりを覚えながら、森の奥で魔物を探す。


 ふと、規則性なく連なる木の幹の一つに、爪痕が彫られていることに気が付いた。


「(縄張り、か)」


 俺は仕方なく引き返す。

 帰り際に、運よく最後の中魔石を手に入れることができたのは、日ごろの行いによるものだろうか。

 王都の門をくぐり、納品のためにギルドへ向かう最中。


 雨が降ってきた。

 どうせなら宿に着くまで待ってくれよ、なんて思いながらギルドまでの道を走る。

 もう既に出来ていた大きな水たまりを避け、小さな水たまりをジャンプして飛び越える。

 そうしてギルドの前までたどりついて、ドアノブを掴む。

 開けようとしたその時、声が聞こえた。


「Aランク昇格、おめでとうございます!!」


 顔を見なくても、受付嬢が興奮していると、声色で十分伝わってきた。

 Aランク昇格?

 誰が?


 疑問符が止まない頭の中には、一人の少年の顔が浮かんでいた。

 かつて異例の早さで昇格し、伝説をいくつも作り続けている、類まれな才能の持ち主。

 忘れもしない、その名前は……。


「ルードさん、この昇格は、大陸中に轟くことになると思いますよ!」

「なんか照れくさいな……」


 彼は俺の目標であり、目的であり、そして、手の届かない存在であると、ようやく気が付いた。

 風が強くなる。

 俺の情けない背中を、雨が小突く。


 まあ、その、なんだ、あいつは特別なんだろう。

 彼と並ぼうなんて思っていたほうがおかしかったんだ。

 俺だって努力はしてたさ。

 それでも。


 天才と凡人。

 その差ってやつを、話半分にしか聞いてなかったその違いを、こうも実感すると、ああ、気付いてしまうと、苦しさすら感じない……わけがない。

 苦しくてしょうがない。

 それでも、悔しさというのは本当に沸かず、きっとこれは一種の諦めなのかもしれないなと、どこか客観的な思考に切り替わっていた。

 Cランク。

 凡人の限界は、ここまでか、と。


 雨風がさらに強くなる。

 露店なんて、とっくに店じまいだ。

 歩いて宿に向かう、その途中。


「おーい、そこの兄ちゃん。何やってんのさ!?」


 雨の中でもよく響く、力強い声だった。

 思わず声のほうを見ると、露店ではないパン屋の店先から、エプロンを着たおじさんが手を振っていた。


「風邪ひくよ。ほら、おいで」


 断ろうと思った。

 今はパンを食べたい気分じゃないんだ。

 悪いけど、俺は宿に帰る途中なんだ。


 けれど、ドアから漏れる店内の灯りが、あまりに暖かそうで、俺の足は一歩、また一歩と店に向かう。


「いらっしゃい。まあ適当なところに座りな」


 店は狭く、カウンター席が六つあるだけ。

 その中の一番端に腰かけ、辺りを見回す。


「いい店だろ」

「ええ」


 お世辞ではなかった。

 本当にここはいい店で、出てくるパンも美味しいのだろうと思った。


 綺麗に整頓された店内。

 手を拭くための小さな紙。

 子供のためであろう、足の長い椅子。


 随所にみられる何気ない気遣い一つ一つに、店主であろうおじさんの優しさというものがにじみ出ていた。


「ほい、おまたせ。野菜たっぷりサンドイッチだよ」


 先に断っておくが、別に俺は、涙もろいわけじゃない。

 直近で泣いたのは、多分、冒険者になったばかりの頃だ。

 村でも、滅多なことでは泣かなかったと記憶している。

 それなのに。

 店内が暖かくて、気が緩んだのだろうか。

 それとも、サンドイッチがよほど美味しかったのだろうか。


 視界がぐにゃりと歪んで、瞬きをしたら、水滴が頬をつたう。

 またすぐに視界が歪んで、瞬きして、水滴が落ちる。

 それはしばらく止まらなくて、近くにあった小さな紙で拭うことを繰り返した。



「今日、閉店したんだよ」


 サンドイッチを食べ終えると、そう告げられた。


「俺の持病が悪化して……というのは建前で、本当はやりたいことができたから」

「やりたいこと?」

「ああ、大陸を旅したくてね。娘も家を出るということで、この店は畳むことに決めたってわけだ」


 店主は、どこか楽しそうに続ける。


「なんて、もしかしたらこれも建前で、本当はただ商売に飽きただけなのかもしれない。いつの間にか、自分が何を思っているのかすらわからなくなっちまった。でも、考え始めると、やっぱ旅したいなって思ったんだ」


 なんて返事をすればいいのか思考を巡らせるが、どの言葉も当てはまらない気がして、口を開けずにいた。


「ところでお前さん、腕が立つ冒険者なんだろ?」

「……いいえ。本当に、呆れるほどに中途半端な冒険者ですよ。明日、冒険者ライセンスを返却して、引退しようと思っているくらいには」

「そうなのか」

「そうです」


 それから少し談笑し、店主に礼を言って、俺は店を出る。

 曇り空、雨は止んでいた。

 宿までの道のりを、サンドイッチの味を思い出しながら歩いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る