1.自らを天才だと宣う天才

 青空にいくつかの雲が浮かぶ朝。

 俺は少し早く宿を出て、いつものようにギルドを目指して歩く。

 見慣れたこの道も、今日限りで通らなくなると思うと、ちょっと名残惜しい。


 ギルドの扉の前で、深呼吸なのか、それともため息なのか、自分でもわからないが、とにかく、自分に最後の確認をする。

 本当にいいんだな? と。


「おはようございます! 今日は早いですね、ロウさん」


 受付嬢の元気な声に軽く返事して「今日はどの依頼を?」という彼女からの問いかけに対し、俺は冒険者ライセンスと呼ばれているカードを差し出した。


「引退申請を」


 何となく、ギルド内が凍り付いたような、そんな風に思ったのは、自意識過剰だろうか。

 受付嬢は少々お待ちくださいとだけ言って、職員専用の二階へと上っていった。

 途中、階段でコケていた。


 立って待っていてもしょうがないので、待合席に座る。

 周りからの視線がどうも痛かったので、目を瞑った。


 なんだか眠くなってきたな。

 このまま眠ってしまおうか。

 そんな沈みかけた俺の意識を引っこ抜くように、勢いよく扉が開いた。


「お、ロウじゃねぇか。どうした、神妙な顔して」


 その大男、ハントは髭をさすりながら、聞いてる側が気持ちよくなるくらい、豪快に笑った。

 彼とはギルドで依頼達成の手続きを待っている間、よく喋ったものだ。

 基本的には俺をいじるような会話であったが、不思議と不快感はなく、図体のわりには礼節を弁えている、非常に器用な男だ。


 冒険者を引退することを彼に伝えると、少しの間無言になって、それからいきなり深呼吸をし始めて、こちらを真っすぐに見つめ、


「マジ?」


 と返してきた。

 彼の狼狽えるところを初めて見た気がする。

 表情から、本気で困惑し、そして心配してくれているのが分かった。


「まあ、別にお前が決めたことなら止めはしないが、ただ……」


 何か言い淀む様子の彼の後ろからゆっくりと、腰の曲がった老人が歩いてくる。

 黒く上品な服を着て杖を持つその姿は、どことなく貫禄というものを感じさせ、自然と肩に力が入った。

 その佇まいと穏やかな目つきが不釣り合いで、不気味さすら感じさせる。


 老人は俺の前で止まり、一枚の紙を渡してきた。


「ロウ。お前さん宛てだ」

「え、あ、どうも?」


 手紙だろうか。

 そう思いながらも、別に手紙をよこしてくれるような知り合いに心当たりがあるわけでもない。

 まあ、とりあえずこの手紙を読めばわかるのだろう。


『ロウ殿。

 あなたの活躍と才能を評価し、我々冒険者ギルド東門支部はあなたに依頼を要請する』


 ……もしかしなくても、これは指名依頼というやつではないだろうか。

 特定の冒険者に直接依頼をするという、極めて珍しいもの。

 本来Cランクはおろか、Bランクの冒険者ですら受ける機会がない。


『依頼内容は、あなたの目の前にいるギルド長に聞くといい』


 最後の一文を読んで、俺はバッと、手紙から老人へと視線を移す。


「うん。私がギルド長だ」


 その場にいた冒険者たちがどよめく。

 かくいう俺も驚いた。

 五年以上毎日のようにギルドに通っていたのにも関わらず、一度だって見たことがないギルド長。

 本当にいるのかすらあやふやだった存在が、目の前にいて、しかも俺に依頼を出している。


「依頼の内容だけどね」


 ごくり、唾を飲む。

 ギルド長はさらりと話を進める。


「新人冒険者たちを、鍛えてほしい」


 ……もともと、どんな依頼かなんて見当もつかなかった。

 だから、言ってしまえばどんな内容だとしても予想外だったのだけれど。

 それにしても、これは頭の片隅にもなかった。


 聞きたいことは山ほどある。

 それでも、諸々を差し置いて、まず尋ねたいことがあった。


「なんで俺なんですか?」


 心からの疑問。

 五年間Cランクで停滞していて、実力に限界感じて、引退しようとした俺に。

 どうしてそんな依頼を。


「君は、君以外の冒険者のことを、あまり知らないだろう?」


 ギルド長は、先ほどまでと同じように、静かに語り始めた。


「君以外の冒険者は、問題が起きてもセンスで解決しようとする、これからだってそうするだろう。あえて断言するが、君にはセンスがない」


 そんなの、自分が一番よくわかっている。

 五年前、自惚れていた俺に嫌というほど現実を見せた、あの少年に教えられたことだ。

 俺には、才能がない。

 わざわざ言われるまでもないことだ。


「センスはないが、君、知識があるだろう? 魔法の理論と魔物の生態について、学者にも匹敵するほどの知識量を誇るだろうと、受付嬢から聞いた」


 確かに話し相手がいない時、たまに暇そうにしてる受付嬢と世間話をしていたことがあった。

 その時に、魔法や魔物の、他愛もない、そう、雑学とでも言うべきことを語っていたと思う。


「結局、相手に伝わらなければ意味がない。他人にモノを教えるには、知識が必要だ。その点、君の説明は非常にわかりやすく、困ったことがあったらとりあえず君に聞くべきだと、受付の間で評判だそうな」


 俺はそんな評判聞いたこともない。

 が、よくよく思い返すと、二年ほど前から、受付に顔を出すと妙に質問されることが多いなあとは感じていた。

 そんなものかな、と気にしていなかったけど、そういう背景があったのか。


「君の引退申請は今保留にしてある。もし『新人冒険者たちを鍛える』という依頼を断るのなら、このあと引退を承認する。こちらとしては、引退を撤回して、依頼を受けてくれるとありがたいのだが」


 頭の中では、昨日のパン屋の店主を思い浮かべていた。

 彼の言葉を。


『いつの間にか、自分が何を思っているのかすらわからなくなった。それでも、やっぱ旅したいなって思った』


 俺は、冒険者を引退して、その後、したいことがあったのだろうか。

 そんなものはなかった。

 何も考えていなかった。

 ただ、現状から逃げたかっただけだ。

 目的を無くし、目標を見失い、モチベーションもなくなって、自棄になった俺に何ができる?


 ああ、俺は、何ができるんだ、誰か教えてくれ。

 俺が思考の出口を見つけられないでいると、


「この人が私の師匠になるんですか?」


 突然のことだった。

 その冷ややかな声は、ギルド内によく響いた。

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