英太のやりたいこと

 英太はいた。目玉が飛び出しそうなくらいに大きく見開いて、膝に手を突いている。

「どう、だったかな?」

 英太は私を見る、そのままの顔で。

「すごかった」

「本当に?」

「これ、多分、感動って言う状態だと思う」

 張り付けにされたみたいに見える。小さく頷いて促す。

「感動って、すると、拍手とか忘れる。言葉も上手く出て来ない。初めてだよ、こんなの。これまで感動したと思っていたものが、全部ちっぽけに感じる」

「ごめん。無理にでも言葉にして欲しい」

 英太は目玉を元に戻す。「無理にでもって」と圧力に抵抗するように笑う。

「曲がよかった。歌詞がよかった。声がよかった。ソロがよかった。……全部よかった。一曲目、俺の話だよね? インパクト、ドカンとあった」

 バレたか。

「でもその先に進んでた。月に恋って、すごいこと言ってる。結局理性で諦めるのだけど、これは悲恋の歌だよね?」

「そうだよ」

「曲調と歌詞が合ってる。だから俺は悲しい気持ちになった」

 英太は視線を一度私から外す。手に力を入れてからまた私を見る。

「二曲目は信念の歌だった。俺もがんばろうって思った。三曲目は愛の歌だと俺は思った。本当のところは愛ってまだよく分からないんだけど、きっとこう言うのが愛なんだな、って思った」

 英太の目にまた力が入る。

「四曲目だよ、この曲は今の夏夜の歌だった。俺はあの歌から、夏夜が歌がどれだけ大事かを知ったし、届かせることは必要なことだって確信した」

 英太は立ち上がる。

「俺に夏夜の歌、届いた」

 私は頷く。

「言葉にした。今度は夏夜が言葉にする番だよ」

 英太の興奮が部屋中に満ちている。それは私の演奏と混じり合って膨らむ。激しく膨らんで、この部屋では収まり切らなくなって外に漏れている。

 英太に届いた。英太が感動した。言われても、すぐに信じられない。だけど、英太の言葉は興奮はそれを証明している。きっと本当にそうなんだ。少しずつ事実が腑に落ちていく。

 体の底の方に、蠢きが始まる。それは今まで感じたことのないシャープな熱と、ギラギラの快が濃く混ざっている。それ以外にも安堵とか自らへの労いとかがあるけど、主成分はこの二つだ。この部屋に充満しているものとよく似ている。

 私は目を瞑る。ずっとうるさい心臓に手を当てる。すみずみまで自分の体を検索する。

 目を開ける。英太は変わらずにそこにいる。

「ごめん。言葉には出来ない」

「どうして?」

「言葉にすると、今胸の中で生きているものが、殺されちゃうから」

「俺は言葉にしたよ?」

「いつかきっと、歌にするから。英太は、もっと言葉にして」

 英太は声を上げて笑う。張り詰めていたものが解ける。私も一緒に笑った。

「俺が感動したもう一つのポイントは、一人の人間がこんなこと出来るんだ、ってところ。ピアノを弾いて、歌を歌って、しかもその歌を作って。シンプルにすごい。そう思わない?」

「ふつうのことだよ」

「多分その過小評価が、届けることへの恐れの一因だと思う。もっと自信持っていい」

 そうなのかな。誰でもやれば出来ると思う。出来るまでの時間はそれぞれだとしても。だが、出来るようになるまでの努力は買ってもいいのかも知れない。

「分かった。努力分は自信にする」

「出来上がりも自信にしなよ。いい曲だったよ、四曲とも」

 私が笑顔になる。

「ありがとう」

「あと、選曲って言うのかな、四曲の流れがよかった」

「そこは工夫したよ。二等辺のライヴを参考にして」

 英太は頷いて、両腕を大きく広げる。

「届ける準備はもう出来てると思う」

「英太の理論によれば、慣れだけが必要」

「少しずつ広げてみようよ」

 届かない人の方が多いのかも知れない。でも、英太に届いた。いつも感動が起きるなんてことはないだろう。だけど、感動した人が目の前に存在する。

「やってみる。……私、もしかしたらちょっとすごいのかもって、思い始めた」

「そうだよ。夏夜はすごい。これは事実」

 英太の声に気配に勢いがある。

「どこでどうやるか、だよね」

「それなんだけど」

 英太は胸をドンと叩く。

「俺も一緒に考えたり、手伝ったり、したい」

 私がその意味を咀嚼している間に英太は続きを語る。

「人生に意味があるとしたら、自分が主人公だってずっと思って来た。だけど、俺が感動して、俺が世に出したいと思えば、夏夜が主人公であったとしても、俺も第二の主人公なんじゃないかって思った。もちろん、夏夜が嫌だったらいい。それを無理矢理させるのは間違ってる。でも、夏夜は届けたいと思い始めてる。だったら、俺がそれをサポートするのは、やらせて貰えるんじゃないか。俺、今までいろんなことして来たけど、今ほどこれがやりたい、って思えることはなかった。……夏夜」

 英太は気を付けの姿勢を取る。

「俺に曲を届けるサポートをさせて下さい」

 頭を下げる。英太の申し入れを受け入れると言うことは、私も曲を届ける努力をすると言うことだ。……英太は曲の価値を絶対的なものとして扱っている。一人でやる筈だった未来だけど、一人だったら選ばなかったかも知れない。

「条件」

 英太は顔を上げる。

「何?」

「条件がある。サポートしても、これまで通りの英太でいること。敬語とかやめて」

「分かった。いや、決めるところは決めようと思っただけだよ」

「だとしても。……それじゃあ、サポート、よろしく」

 私は右手を差し出す。英太の右手がそれを掴む。英太の手は思っていたより大きかった。

「がんばる」

 お互いに力を入れてから離す。私達は新しく向き合う。

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