「二等辺」のライヴ
「さあ残すところあと二組。六組目はスリーピースバンドの『二等辺』、オリジナル曲です。では、どうぞ。拍手!」
ステージに上がって来たのはギターを持った女性と、ベースの男性、ドラムの女性。ギターは一松人形のような髪型の黒に赤いメッシュが入っていて、衣装は真っ黒で爪も黒い。残りの二人も黒い。スタンバイをして、女性が何も言わずに会場を見渡す。何かやりそうだ。しんとなった空間が固唾を飲んでいるみたいだ。
ドラムがカウントを取って、曲が始まる。最初の一音から、これまでのバントとは違う。強引に引っ張られるように、音楽に意識が集中する。ギターの女性が歌を始める。噛み付くような、突き刺すような声。悲しい恋の歌。それでも空に昇る。力強い。ギターソロ。メロディアスで情熱的で、そこから曲の色味が変化する。悲しい恋は終わった。地面に足をつけて走る。
一気飲みをするみたいに曲を浴びて、そこに付いていくだけで全部になっていた。
「こんばんは。『二等辺』のコノです。ベースのヒサオとドラムのユーコ。一曲目『スミレ雲』どうだったかな」
コノは小さく笑う。じっと会場全体を見る。
「じゃあ、次行きます『ふつうの日』」
今度はベースのソロから始まる。そこにドラムがやさしく乗って、遊び場が完成したかのようにギターが踊り出す。演出された立体感に体を揺らしているところにコノの声が始まる。「サボテンの棘」「窓枠の向こうの空、ちぎった雲」「黒のペディキュア」「本棚の端に日記」。歌詞世界を構築する土台が音楽であり、同時に音楽の意味を支えるのが歌詞であり、二つが相補的でありながら互いを強化している。私はコノの部屋で、ふつうの日を送っている。そのふつうの中に小さく気持ちに触れるものたちがあって、それを丁寧に歌い上げる。ふつうの日は続くけど、歌は終わり、ギターが退き、ドラムが止み、最後にベースが少しだけ長くソロを終焉に、余韻のように弾いた。
また聴くことだけに集中していた。曲にくすぐられる心の感触の中に泳いでいた。
「うん。いい感じだね。みんないい顔してる。次の曲に行きます。『鍵』」
ドラムがごちゃごちゃっと鳴らす。ベースとギターが一緒に入って、うねりのあるリフ。「頬を張った、あなたは俯かない」と歌い出しのとき、コノと目が合った。コノは歌の勢いそのままに私に視線を突き刺した。鼓動が跳ねる。すぐに他のところを向いたコノを、私はじっと見続ける。そうしながらも曲を享受し続ける。私の頬がスッと上がった。きっと好戦的な顔、でもいい。この歌だって同じだ。「鍵はあるに決まってる」その通りだ。鍵はある。きっとある。私はこの歌を聴きにここに来たのかも知れない。コノと出会うために今日があるのかも知れない。曲の最後、もう一度コノが歌う「鍵はあるに決まってる」、そこで全パートが締めて終わる。
鳥肌が立っている。こんなこと一度だってなかった。自分の曲が生まれる瞬間を除いて。息が漏れる、胸が充溢したせいだ。
「じゃあ最後の曲『ラシャ』」
ギターのコード弾き。四つのコードを終えたらベースとドラムが重なる。バラードのテンポ。繰り返される四つのコードのその度に三人の生み出す音楽に引き込まれてゆく。十分に引き付けて、いや、引き入れてから、歌が始まる。私はコノ達の作った「場」の中にいる。コノの声は強い。でも、ここにいていいと、歌詞だけでなくメロディーだけでもなく、音楽の全部が伝えて来る。背負っている荷物を置きそうになる。私を開きそうになる。だけど堪える。そこまで許してはいけない。これは遅効性の猛毒だ。一度許してしまったら、永遠に求めることになる。本当に覚悟を決めた想い想われる相手とすべきことだ。だからここから出なくてはならない。出られない。逃げられない。私が溶けるのが先か、曲が終わるのが先か。……歌が終わり、四つのコードの繰り返しに戻る。曲も終わる。
汗びっしょりになっていた。呼吸が早い。鼓動はさらに早い。危うくコノに取り込まれるところだった。コノを見る。コノは薄く笑って、観客席を睥睨する。
「ありがとう。……ございました。みんなもっといい顔してる」
コノと目が合う。私は息を詰める。コノはゆっくり一回瞬きをする。
「『二等辺』でした」
三つの黒い服がステージの真ん中に並び、合わせて一礼する。会場から拍手が、こんなに音が出るのかと思うくらいに大きな拍手が鳴り止まない。「アンコール」の声も飛ぶ。でも三人はもう一度頭を下げたら、ステージの右側に去って行った。おにぎりがゆっくりとステージに上り、会場の熱気を宥めるように声を出す。
「素晴らしい演奏でした、『二等辺』。さて、次は本日最後の一組『チクタク』です。どうぞ。拍手!」
チクタクはパンクバンドで、勢いがあったけど、私の耳も体もスルーして行った。二等辺に捕らえられて、チクタクを聴きながら二等辺を反芻していた。
「以上で今日出演のバンドは全組になります。お気に入りのバンドが見付かっていたら、いいな、と思います。僕の役目もここでおしまい。お相手は、おにぎり、でした。では皆さんさようなら」
おにぎりは深々と礼をして、ステージの右側に踊りながら去ってゆく。小さく笑いが起きる。その笑いをキャッチしたぞと袖に消える直前におにぎりはポーズを決めてから出て行った。
会場が明るくなり、観客は席を立ったり喋り出したりする。私は大きく息を吸って、吐く。二等辺に刻まれたものが体の中でまだ鳴っている。目を瞑ればコノの姿が浮かぶ。これが音楽が届く、なのだ。今まで考えていた、作ると届けるは、本当の届けるを知らないままのものだった。今私に起きていることを他の誰かにする、それが届けるなんだ。コノの描く世界に漬かっていた。このレベルのことが出来るのなら――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます