三色のストライプ
五時限目の終わりを先生が宣言すると教室は一気に弛緩した。温度も少し下がった。幾つかのグループが喋り始める声が聞こえる。他の人には見向きもせずにさっさと帰る一群もいる。千明は「また明日」と小さく手を振って素早く出て行った。反対の隣は今日は空いたままだった。ざわめきが消える頃には私一人になっていて、それでも授業のことをまとめ終えるまでは席から動かなかった。
書き上げて、改めて周囲を見渡す。さっきまで生きている人間がたくさんいたとは思えないくらいに息の冷たい空間になっている。落ち着かなさが迫って来たが、普通の速度で教室を出た。廊下も同じ気配がする。誰にも会わずに建物の外に至った。
傾いた太陽がオレンジの光となってキャンパス中に射していた。目を細め、息を吸って吐き出す。建物の中の空気と外の空気を入れ替えるように。
部活をしていたり、他の誰かとつるんで放課後を過ごすような人は、まだ今日の終わりを感じないのだろう。私は家に帰ってピアノを弾く。その時間を今日の後のように感じる。いや、今日の後でなければならない。そして明日の前だ。大学の時間とは明確に区別されなければならない。だが、だからと言って、ピアノを弾く時間が私にとって本物の時間で、大学が違うかと言えば、そうではない。二色のストライプの両方の色が偽物ではないように。
朝に登校した道をそのまま反対に進んで正門を出る。駅までの間にある古い橋を渡る。オレンジに染まる中を歩いている人の殆どが誰かと一緒ではなく、一人だ。
中学生の頃はつるむことがステータスだった。高校に上がってもそれは大して変わらず、大学になってやっとその価値観が緩んだ。中学高校では、一人でいることと孤独は違うのに、ただ一人でいるだけなのに蔑まれた。
私を下に見た人達は、何かを持っている訳でも、何かを成した訳でもなく、だから今思えばそうやって見下すことで自分に優位性を作っていたのだと思う。きっと人生のピークが中学高校で、その後は長い余生を生きるのだろう。大人になれば一人に対する偏見はもっと減るはずだ。一人でいることは普通で、だからと言って一人でいなければならない訳でもなく、人といることがもっと自由になる。今はまだそのはざまだから、少しだけ視線が痛い。今日を早く終わらせなくてはならないのは、そう言うことかも知れない。
駅の改札からは、一人であることに何も感じなくなる。たとえ、他のグループの子達が同じ車両でおしゃべりをしていても構わない。多分、十分に公共の場所になっているからなのだろう。だが、今は車両に知り合いはいない。イヤホンを付けて音楽を流す。私のじゃない音楽だ。今日はまだ当たりがないから、家に着くまでに一曲でもいいものがあればと思う。期待しても空振りになる日の方が多いが、それでも未知の感動のために時間と労力を投資する。
三駅進んだところで、ラインの新着の通知が来た。英太だった。何だろう。音楽を止めてラインを開く。聴きながらでは音楽に向き合うことも、英太に向き合うことも中途半端になる。
『ちょっと相談したいことがあるんだけど、今日会えない?』
今日じゃない。今日の後だ。だが、私ではない英太にとってはそれはどっちでもいいことだから、わざわざ訂正をするつもりはない。電車の進む音を聞く。英太がこんなことを言うのは、相当にピンチに違いない。最後に相談を受けたときは、片想いを告白するか否かの相談だった。私は気持ちは伝えるべきだと背中を押した。英太に最初の恋人が出来るのか、と保護者のような気持ちになっていたが、英太の恋は玉砕した。少なくともあのときと同程度かそれ以上の問題が英太の身に起きている。なんとなく、今回も恋愛絡みのような気がする。
『いつもの喫茶店で三十分後なら、いいよ』
それだけの文章なのに、送信する前に五回読み直した。読み直し終えて、そんな繊細な必要はないだろう、とため息が漏れた。ため息と同時に送信した。
返事が来るまでは音楽には戻らない。画面をじっと見詰めていたら、すぐに返信が来た。
『ありがとう。じゃあ三十分後に』
私は画面に頷いて、音楽を再開する。電車がトンネルに入る。
今日のストライプが三色になった。学校と家と、喫茶店。
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