第2話 実家に帰らせていただきます

 コンビニでトイレを済ませた孝が帰って来て、寝室の扉を荒々しく閉めてとっとと寝てしまった。


 ヤツが寝たのを確認してからトイレから出てくる。はぁ……ため息しか出ない。


 よくタイムリープしたサレ妻が復讐を計画する小説やドラマがあるが、あの人たちはなんであんなに元気なんだろう。


 何かいいことでもあったんだろうか……私は一生添い遂げるつもりだった男のメッキがはがれてただのくず鉄だったことを知ってガッカリしてどうでもよくなってしまっているのに。


 怒りはあるよ。でも私はさっきも言ったがぽっちゃり好きなのだ。筋トレにハマってムキムキマッチョのシュッとした好青年風になった孝になどあまり興味がなかった。


 ああ、そうか。孝の見た目が変わったから急にモテるようになって勘違いした孝が不倫なんてしてしまったのか……本当に筋トレ糞だな!


 3年前の結婚式に戻れれば筋トレしないでって話せたかもしれないのに筋トレの成果が出終わっている3か月前に戻っても何の意味もない。

 はぁ……やる気も出ないから別々にされた私の寝室で寝よう。




 ……夜しっかり寝れなかったので昼寝をしようと思っていると孝の言葉を思い出した。


『僕が遅く帰って来て筋トレしてると涼子はゆっくり寝られないだろう? そのことが気になっちゃって僕も落ち着かないから』


 一見思いやりに溢れたその言葉の後で今年に入ってから私たち2人の寝室が別になった。


 ひょっとしたらその頃から不倫が始まっていたのかもしれないけど私は孝の筋トレをするのに君の邪魔になりたくないからという言葉を信じてあっさりと寝室を別にしてしまった。


 その後は見事なセックスレスに、セックスにありついてもゴムありで子作りなんて全くなかった。


『今の時代、先行き不安定すぎて子供を産んで育てるのは大変でしょ? せめてこの円安が落ち着いて物価高が終わるまでは子作りを控えよう』


 なんだろう、生まれてくる子供へのやさしさだと思っていたが子供が欲しくない理由を適当に作っていただけだったんだな。


 不倫相手とは子作りして愛に満ちた家庭を作ろうって言ってるわけだし。理屈と軟膏はどこにでもつくというのはよく言ったものだ。


 結婚当初の巣ごもり中はエッチしまくりで、リモート会議の最中も机の下で私にお口でさせたりしてたのに……ぷにぷにのお腹を揉みながら硬くなったのをしゃぶってあげたらすごく喜んでくれていたのに……いや、失われたお腹のことを考えるはもうやめよう。


「私のぷにぷに、なくなってしもうたん……」


 死んだ子の歳を数えるみたいなものだ。あんなシックスパックは触ってもつまらない。


 はぁ……実家に帰ろうかな。実家はこの賃貸マンションから電車で3駅だ。


 実家の黒猫のきょん介に癒されたい。きょん介も10歳、そろそろ老描と言ってもよいだろう。実家のでは黒猫は縁起がいいって言われていて街に黒猫がいっぱいいる。

 お隣のおばあちゃんが飼っていたというちょっとやさぐれたネコも黒猫だったなぁ。


 あ、そうだ。私は裏紙入れ(孝のパソコンのミスプリントやもういらない用紙の裏を使うために溜めている)からA4の紙を1枚取り出して大きな文字でこう書いた。


________________

| きょん介の体調が悪いので  |

| 実家に帰らせていただきます |

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


 これで良し。孝は猫アレルギーなのでうちの家にやってこない。両親と妹の瞳子とうこに口止めしてしばらく距離を置いてその間に対策を練ろう。


 いや、距離を置いたら好きなように不倫できるって喜ばれる可能性が高いな。その分ぼろを出しやすくなるかもしれない。尾行を……ってやっぱり面倒くさくてやる気が出ない。


 慰謝料とか今後の生活を考えるとちゃんと相手の非で別れたと分かるだけの不倫の証拠を押さえてしっかりと離婚するべきなんだろうけど。


 やる気が出るまで実家でゴロゴロすることにしよう。だってまだ離婚を切り出されるまで3ヵ月もあるし……





「ふぁぁぁぁぁ~いい匂いだよ~」


 実家に帰って3日目、今私はきょん介のお腹に顔を埋めてきょん介成分を補給している。いわゆる猫吸いというやつだ。


 きょん介はお腹にたぷんと素敵なお肉がついていて日の当たる出窓でいつも寝ているので捕まえてお腹に顔を埋めるとおひさまの匂いがするのだ。


 去勢されているのでたまたまの匂いは多分あんまりしないんだと思うが、孝の次に好きな匂いだ。


 いや、孝が浮気夫になってランキングが地球の裏側まで急降下した今、世界一好きなのはきょん介の去勢たまたまの匂いということが出来そうだ。


 すんすん……ああ……落ち着く。今日もこうやってゴロゴロ過ごしたい。


「掃除の邪魔よ! 涼子っ! もう3日間もゴロゴロゴロゴロゴロ……ネコじゃないんだから毎日に毎日ゴロゴロしていてもしょうがないでしょ?

 何かやることはないの? 瞳子みたいに一人暮らしでもちゃんと部屋の片づけまでしてる妹がいるんだからアンタも孝さんが出張中でも家で掃除でもしてたらいいんじゃないの?」


 掃除機をかけるお母さんに邪険にされる。まるで休日のお父さんのようだ。


「え~、毎日ちゃんと掃除洗濯お料理してるんだから孝くんの出張中くらいのんびりさせてよ~」


 嘘だけど。


「いいけどね、アンタたちのところはそれで仲いいんだから。瞳子の方はいつになったら結婚するのかねぇ。アンタ、何か瞳子から聞いてないの?」


 妹と私は男の好みから味の好みまで何もかも違うから何を考えているのかよく分からん。


「まあ、あの子のことだから母さんたちが満足するようなのを連れてくるでしょ?」


「そうかねぇ。あ、明日瞳子が帰ってくるから無駄にケンカするんじゃやないよ」


 縄張り争いするネコじゃないんだからケンカなんてしないって。




 あの日から孝が出張しているということにして実家でゴロゴロさせて貰っている。


 あ~、孝のマンションはどうなってるんだろうなぁ~、自力じゃ部屋を片付けられないからそろそろ不倫相手を部屋に呼んで頼ってるかもなぁ。いきなり帰ってみるかなぁ。


 不倫相手とバッタリなんて笑えないけど正体は一発で分かるし写真撮ったら証拠にもなるよなぁ。


 それとも会社の同僚で私の友人でもある美津子とか奈緒に会って情報収集するか。


 だけど……この世界ではNTRされてショックを受けた男や女が失意のまま死んだ場合、その後悔や怒りといった後ろ向きの想いが切っ掛けになってアルツェンメルグ不連続線という時空のはざまを飛び越えて過去に精神が戻る現象が知られている。


 これをNTRタイムリープと呼ぶわけだが、このアドバンテージは自分がタイムリープをしていると気付かれた時点で失われるのだ。


 相手の不倫をタイムリープのおかげで一方的に知っているというこの優位性は、逆に相手に探りを入れることで一発で失われる可能性がある。


 自分達が浮気をしていることを知っているシタ夫や間女はサレ妻から探りを入れられた時点で「あ、こいつひょっとして自分たちの浮気を知って死んでタイムリープしたんじゃ」と疑ってくるのだ。


 これだけNTRタイムリープが日常的に存在していてその存在を前提にしたコミックやドラマがどんどん作られている昨今、シタ夫や間女もその対策方法を知っている。


 こちらが情報を得られないように口裏を合わせたり不倫の証拠を隠滅したりする程度ならともかく、一番の証拠であるタイムリープしたサレ妻本人を亡き者にしようと画策する場合さえあるのだ……くわばらくわばら。


 つまり、調べるなら絶対にから聞き込みをしたり直接孝本人を尾行するほかないのだ。


 美津子や奈緒が浮気相手でないという確証がない以上、探りの入れ方も考えないとなぁ。地元の幼馴染で一つ年下の美津子と大学の同期で親友の奈緒が不倫相手だなんて思いたくないけど。


 やっぱりこっそり家に帰って隠しカメラでも仕掛けて不倫相手を家に連れ込むのを待つか……はぁ、面倒くさいなぁ。


 シタ夫や間女の浮気を阻止するためにタイムリープ後に頑張ったり、ざまぁするために執念深く罠をかける主人公のことを本気で尊敬するよ。私には無理だなぁ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る