第8話 品定め:1

 自分たちは全員が何かしらの形で情報の伝達を生業にしていた。リオはそう答えると、寝転がったまま輪に加わらない男の方を見た。彼はグラハムに職業を教えなかったらしい。もう一人、フィフィと呼ばれた若い女性も当てはまらないとグラハムは言っていたが、いったいどんな職業なのだろうか?面白い仮説だし、今は少しでも脳内の足場を固めたい。この狂った状況の何か一つでも理解しておくことがきっと大事だ。何が嘘で、何が現実で、何故こんな事になっているのか。一つでも良い、自分で納得できる取っ掛かりが欲しい。グラハムが何か見落とした可能性もあるから自分もフィフィに聞いてみよう。そう決めたリョウは体中の打撲を一つ一つ感じながら立ち上がると、アニータとフィフィの方に移動した。


 アニータが左手で自分の髪をぐいぐいと引っ張りながら何かをフィフィの耳元で囁いている。近くで見るとアニータの方はそんなに若くも無い事に気が付いた。他に女性が見当たらない中で自分より若いフィフィを放っておけなかったのか、半ば覆いかぶさるようにして座り、男連中とフィフィの間に自分を置くその姿はヒナを守る親鳥のように見えた。


「失礼、アニータさん、フィフィさん、でしたっけ?ちょっと良いですか?」


 警戒心を抱かれても困るので少し離れた位置から声をかける。リョウの後ろではフォーク中尉とグラハムが何か議論を始めており、それをケステスと呼ばれた少年が見守っている。


「何だい?何か聞きたいのかい?あたしたちはただの女さ、小難しい事は分からないよ。教授と気が合うみたいじゃないか、そっちに聞いたらどうだい?」


 やはり、警戒はされているようだ。リョウは内心ため息をつきながら、できるだけ優しい口調を意識して慎重に言葉を続けた。


「教授はフィフィさんの職業が仮説に当てはまらないと、そう言っていました。仮説が正しいなら、自分たちに何が期待されているかを考えて、それに即した行動を取れば、少なくとも、ここから出られる可能性だってあるはずだと思います。だからフィフィさんの職業を教えて頂けませんか?それだけです。自分でも確かめたいんです」


 言い終わるとリョウは腕を少し広げ、掌を相手に向けるようにして立ったまま返事を待った。


「別になんだって良いじゃないか。教授は知っているんだから、そっちに聞いても同じことじゃないのかい?この子は男連中に酷い事をされてきたんだよ。アンタに悪気は無くてもフィフィに嫌な事を思い出させないでおくれ」

「いいえ、良いんです、アニータ」

 か細い声でフィフィが割って入る。

「リオさん、ですね?身の振り方が分かるなら確かに、私も助かります。でも、教授の情報が何とかって、やっぱり私とは関係ないです。私は奴隷です。イスマイの抱擁と言う娼館で働いています。勝手に消えてからもう何日も経ちます。このまま帰れないと何をされるか……」


 現在進行形。リョウが真っ先に気になったのはそこだった。この人もフォーク中尉と同じで、ここを異世界だとは思っていない。いや、信じたくないだけなのかもしれない。二度と帰れないのなら置いてきた人たちに何かをされる心配もなかろうに、確かに酷い目にあわされていた事が伺える。それにしても、奴隷で娼館とは、情報伝達とは一見何の関係もなさそうだ。二人にお礼を言って、リョウは座っていたところに戻ると、議論がますます白熱してきているフォークとグラハムをBGM代わりに考えこみ始めた。


 仮説が正しいとしよう。それでフィフィの職業を説明できるのか?奴隷の部分は職業じゃない、社会的地位だ。となると、娼婦と情報の伝達の結びつきが必要だが、もしかしたら事は至極単純なのかもしれない。フィフィは客の情報なり、顧客から聞いた話なりを集めて誰かに報告していた可能性がある。そのために娼婦にさせられたとも考えられる。この場に居ない人間に対して怯えているし、身の振り方は気になるが自分の職業が仮説に当てはまらないと断固拒否している。本当に当てはまらないのかを皆で考えても良さそうなものではないのか?ここを異世界だと信じていないフィフィは自分の本当の仕事がバレる事を恐れているだけではないのか?


 そこまで考えてリョウはため息をついた。自分は仮説に本当であって欲しいと思うが故に、無理にでも納得しようとしている気がし始めていた。仮説にエビデンスを当てはめたり、仮定ばかり並べてみたり。再び後悔の念が彼の胸を刺す。大学に行っておけばよかった、と。そうしたらちゃんと論理を学べただろうに。グラハムなら正しく自分の考えを評価できるかも知れないが、もう頭が沸騰しそうだ。フィフィに一つだけ聞こう。高級娼館に勤めていたかどうか、だ。もしそうなら、彼女は顧客の情報を集めて誰かに伝えるのが本当の仕事だったと、そう決めつけよう。違ったら……その時は例外が法則を証明しているとしよう。目覚めてから色々あり過ぎてリョウは疲れ切っていた。これ以上はもう何も考えたくもない程に。


 老人みたいなうめき声と共に立ち上がると、再びアニータたちの所に向かったリョウだったが、鉄格子の向こう側にある扉が開く音でその足を止めた。


「ダエモンども!全員壁ぇ向いて、腕を後ろにまわせぇ!」


 扉が開ききる前からそう叫んだマーズがもう二人の完全武装した男を引き連れて入ってきた。何やら慌てている様子だ。この不運な状況を共にする人たちはマーズの声でビクンとなって、こちらも慌てながら全員が壁の方に移動した。リョウは寝転がっていた男でさえ飛び上がるように起きて指示に従ったのが気になった。隣に立ったグラハムに聞くと納得した。自分が連れて来られる前はもう3人いたが、全員一人ずつ連れ出され、その時に暴れた一人はその場でマーズに突き殺されている。移動を嫌がったもう二人はマーズとその仲間に意識がなくなるまで暴行を受け、無造作に引きずり出されたそうだ。そう考えるとガズンは優しい方だったのかも知れない。マーズに嫌われている自分は本気で命の心配がある。リョウの中で、一刻も早く自由になりたい決意がさらに固まった。


 リョウが『巨匠とマルガリータ』の一節である「確かに人は死ぬのですが、それはまだ序の口です。まずいのは、人は時として急死すること、それこそが大問題です!」を思い出し、人生の儚さをしみじみと実感している間にもマーズたちはテキパキと動き続けた。囚われていた全員を後ろ手に縛り、それぞれの首にも輪をかけて一本の縄でつなぐと一列に並べて外に追いやり始めた。


 駆け足で扉や廊下を抜け、アマネウスと通ったホールを突っ切り、また扉と廊下を抜けていく。年長者のグラハムは直ぐに息が切れ、とても苦しそうだったが、マーズたちは彼がつまずく度に悪態をつき、グラハムも槍で小突いて立たせると先を急がせた。


 他の者にとっても腕を縛られ、素足で小走りをやらされるのは辛いものがあり、ようやく一団が目的地に着く頃には全員の息が上がっていた。マーズが「止まれい!」と号令をかけるとたまらずに全員がその場に座り込んだ。リョウも息を落ち着かせながら座り込み、周りを見渡した。本日幾度目のキョロキョロなのかを数えてはいないが、またしても中庭の様な所だった。自分が通ったのよりも広く、木々が壁に沿って生えており、離れた所には池もあった。だが、至って平和な自然よりも中庭の真ん中に立っている集団が目を引いた。


 20人ほどの男女が一人の人物を半ば囲うようにしている。その人はリョウの位置からだと背中しか見えなかったが、腰まで伸びる艶やかな黒髪、華奢な体形、男性陣より頭一つ分低い事から女性であると想像がついた。彼女の周りは誰もが金銀細工を散りばめた、見るからに高そうな服を着ていたが、その人だけは飾りっ気のない恰好であった。膝までのブーツにぴったりとしたズボン、長袖のシャツの上からベストを着ていて、どれも高そうな生地で作られているようには見受けられるが、派手な飾りは無かった。腰から細身の剣を下げており、柄に左手を置いたまま右手でしきりに何かのジェスチャーをしている。遠すぎて何を言っているのかは聞き取れない。周りの連中は皆畏まっているように見える事から彼女が一番偉いのだろうとリョウは思った。これから何が始まるのだろうか?奴隷市を開くには客も商品も少ないだろう。自分なんか痣だらけで、見られたものじゃない。明るい所で改めて自分の体を見渡したリョウがそう自嘲気味に考えながら頭を上げると、丁度話が付いたのか、簡素な服装の女性がこちらに振り向いたところだった。二人の目線が合う。

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