第10話 お風呂と夜風と、星空と

「これは誰にも言ってないから、外に出しちゃダメよ。」

 と、注意してきた。

「あー、例の農場の?」

 とエレさんは聞く。どうやら彼女にだけは教えてあったらしい。

「そう」

 ティさんは肯定し、ふふふ~、とこちらをみて微笑んでいる。

 いずれ、見てのお楽しみ、ということだろうか。


 まだまだ話したいことや聞きたいことがあったが、……さすがにそろそろお開きにしないといけないだろう。

 しばらく前から、共同利用の湯場に鍵をかけて占有しているのだ。あまり好ましいことではない。

 本来は開放して使う共同浴場なのだから。


 …………………


 幸いなことに、誰かが来た気配は無かった。

 施術中の札を見て、引き返したり通りすぎた人はいるかもしれないが、時間も時間だし、何よりここはあまりに村外れにある穴場的な場所だ。

 そうでなければ、流石にこんな堂々と行為に及ぶことは考えなかっただろう。


 柄杓で洗い湯を掬って、身体にかける。

 汗や体液を洗い流していく。

 背中には彼女たちがかけてくれる。僕も、同様に二人にかけてあげた。


 タオルで身体を拭いてると、エレさんは、


「──ふたりとも、先に上がって待ってて…」


 そう言って、また洗い湯を掬い始めた。……なぜだか、ちょっと恥ずかしそうに。

「は~い、ごゆっくり~。」

 ティさんはそう言って、手荷物をまとめてさっさと出ていこうとしている。

「いきましょ。」

 促されるまま、彼女に付いて出口をくぐる。


 無意識に、ちらりとエレさんの方に視線を向けた、向けてしまった───。


 すぐに視線を戻し、心の中で詫びた。

 エレさんは、しゃがんで……洗い湯を使っていた──。


 ………………


 湯場の小屋の外に出ると、空は濃紺に染まっていた。

 無数の星が瞬いて、空の深さをどこまでも映し出していた。

 そしてその中には、人工の光も……いくつか混じっていた。


 ───10年ほど前から始まった、軌道エレベータ建設……。


 地球勢力との接触により計画は前倒しされ、建設開発の勢いは一段と増している。

 エレベータの基部は、ここより星の裏側に設置されているらしいが、未だに見たことは無い。


 仕事で行く機会があるだろうか。

 それともその前に、「あちらの勢力」と開戦するのが早いだろうか……。


 見つめる先で、建設資材を運搬しているであろう宇宙舟が、空を滑るように動いているのが分かる。

 ……裏側でさえこうなのだ。

 あちら側では、さぞなことだろう。


 相変わらず美しくある星空だが、同時に否応無く未来の不安をも掻き立ててしまう。

 星空を見上げながら……こんな気持ちになるとは、子供の頃には想像もしなかった。


 初夏の風はまだ涼しく、風呂上がりの火照った身体には格別だ。

「はぁ~……」

 思わず声が出る。

 不意に浮かんだ不安な気持ちをかき消すように、吐息とともにそれを意識の外へ追いやった。


 僕の横では、先に出ていたティさんが、……手水場で何かを洗っていた。

 何気なく、ひょいと覗いてみると、


 (……っ!!)


 鮮やかな紫色の、……例の道具だ。


 夜の空気と星空の余韻に浸っていたのに、変な方向性で現実に引きずり戻されてしまった。

 彼女はそれを、手でこしこしと大事そうに、擦っては水をかけている。そして乾いた布で拭き取り、布で丁寧にくるんで、巾着に仕舞った。


 声をかけるべきかどうか、少し迷ったが、

「……ず、ずいぶん丁寧なんですね?」

 なるべく、当たり障りのない言葉を選んで何気なさを装って、そう声をかけた。

 すると彼女は、間髪入れずに、

「だってコレ、すっ…ごく高かったんですもの~!!」

 少し憤慨したように、そう答えてきた。

「……温泉成分が付着したままだと、痛んじゃうんですって」


 ここの手水場の水は、温泉水ではなく別な井戸水で真水なのだ。もちろん飲料にも使える。

「買うときも色々面倒だったし……。しかもこれ!全額シガーなんですよ、どう思います?!ミールでしょふつう?!」


 ───────


 【シガー】と【ミール】というのは、我々ドルイド族が考案した社会通貨システムだ。


 ミールは、衣食住など、生活に必須とされる物やサービスを買ったり共したりするときに用いられる、いわゆる通常の通貨である。

 一方の、シガーはそれ以外の嗜好品や趣味性の強いもの、特殊な物品などに設定されている通貨単位だ。


 商品やサービスには、それぞれその物品の性質に合わせて、ミールかシガーで値段が設定されている。このミールとシガーの設定区分は、一族の評議会により厳密に管理されており、日々情勢に合わせて検討と変更が行われている。ものによっては、ミール、シガーどちらでも買えるものもあったり、両方使わないと買えないものもあったりする。


 この通貨システムは、元々は生活水準の保証と、娯楽や賭け事、異常な浪費を抑制する目的のもと、この星に移り住む以前から母星で運用されていたらしいが、現在の星に来てからは、社会インフラ維持と、人々へ労働の指針を示す役割を担ってる。


 我々一族では、必要な働き手の投入先を緻密に管理しなければ、文明レベルを維持することができない。……それほどまでに、人的リソースに乏しいのである。持っている技術レベルと、それを運用する人口のバランスが絶望的なまでに取れていないのだ。


 元々の出生率の異常な低さ、母なる星からの大脱出によるさらなる疲弊と人口減少……。それらを克服するため、我々ドルイド族は起死回生の一手として、全女性人妻化(正しくは全女性母産化政策)を行った。


 ──────


 我々は、一族の存続のために新たな概念に活路を見いだすことを決定したのだ。


 かつて一族は、出生率の危機的な低下を鑑みて、旧来からの親子という枠組みをすでに解体し再構築を行っていた。


 ───それに伴い、血縁や家族の概念も再構築。


 ワーキングファミリーという新たな枠組みも加えつつ、我々ドルイド族は、生まれてくる子供を家族ではなく社会で育てるという、新たな方法を選んだ。


 それでも、人口は減少の一途をたどる。


 大脱出の原因となった、母なる星での一族への迫害と搾取……。

 我々の先人は、女神の教義に沿って、自衛の為の戦いではなく新天地への開拓移民となることを選択した。


 その後、この星にたどり着いて、60年余……。


 ようやく、安住の地を得たと思っていたが、終わりの危機は内側から起こっていた。


 とどまることのない……さらなる人口減少と出生率の低下。


 我々を束ねる評議会は、一つの決断をする。

 女性は15歳から19歳の時期に全て巫女の妻となる──。


 平等を守るがゆえに、全女性に負担を強いるこの政策は、各方面からの厳しい批判に晒された。


 卵子提供、人工受精、人工保育

 ───これら、強制人口増加政策


 批判の多かった政策ではあったが、人口問題に対する成果は大きく、変更を受けながらも20年ほど続けられた。


 しかし、人工子宮により生まれた子供は体内の【I-tail】バランスが崩れている割合が通常よりも遥かに多く、人工子宮数も足りなかったため、この人工子宮生殖はわずか2年ほどで廃止となり、その後は『巫女の妻となる』──(人工授精による代理出産なのだが、評議会は便宜上『女神の子を宿す』という言い方をした)という名の全員出産という方針へと移行していった。


 当時は管理受胎年齢が来ることを、冗談めかして「人妻になる」という呼び合い方をしていたのが、いつの間にか……これが普通に使われるようになってしまったのだ。


 ………………


 そこまでしてもなお、我々は人手が足りていない。

 ……圧倒的に。


 必要な業種、必要な現場へ必要な人員を確実に送り込むため、人手が必要な仕事には報酬にシガーが上乗せされる。基本的にシガーは奨励業種への従事以外ではなかなか手に入らないのだ。そのため、シガー給与の仕事は見つけたら即、参加希望しないとなかなかシガーは貯まらない。


 しかし、この地方では例外的に、飛行関係や軍需関係の業務によりシガーが給付される制度がまかり通っている。


 ───この地方特有の【I-tail特異体質】の出現とその活用。

 そこに目を付けた一派(ドルイド族の一部とも、地球勢力とも言われている)による、扇動と活動がこのような形となって、緩やかな破滅を呼び込もうとしている。


 通貨システムは国家の根幹に関わる部分だ。一部の経済活動の乱れからでも容易に国家は存亡の危機に追い込まれる。


 そして、……いずれ評議会から異端認定されるのではないか、そういった噂が政治にまで影響を及ぼし地方を覆い始めた。戦争へ向かうのではないか……、人々がそう思い始めた頃には情勢はすでに動きはじめていた。


 男たちが、飛ぶことに魅入られている──


 それにようやく気づき始めたのは、そんな時だった。

 事の始まりは、いったいどちらが先なのか………。今となっては知る由もないが、戦争に向かう空気は、ここに集約していると感じている者は多い。


 人為的なものか、それとも神の意思か……


 ─────────


 彼女は、これを必需品だと思っているのだ。

 確かに、男性力が当てにできない現在では、必須の道具と言っていいかもしれない。

 しかし、我々の文化圏ではこれらを考案したり生産したりできていない。娯楽や享楽、芸能や芸術など、生きるための優先順位が低いものは、母星を脱出するときにその大部分を失ってしまったと聞く。


 生きるので精一杯……。

 今のドルイド族は、そのくらいの生産力しか持っていないのだ。


「……舶来品でしょうし、すぐにミールで、っていう訳には……いかないんじゃないですか。」


「これ、作れないのかなぁ?結構、単純そうだけど?」

 ティさんは、紫の物体を再び取り出しながらそんな事を言いだした。


 いや、それは違うと思う──。


 確かに極限まで合理的にシンプルな造形に作られているが、だからこそ奥が深いと思うのだ。


 飛行舟の翼形状も、門外漢が見ればただの板だが、あの形状にたどり着くまでに、誇張ではなく何百通りもの形状が試されたという。さらに、材質、面積、厚さ、運用される気象状況…。気の遠くなるような試験と試作を経て今がある。


 あの道具の……、一見、玉を繋げただけと思われる形状も、たどり着くまでには膨大な試行試作があったに違いない。特に、玉の数と直径と隣との距離(ピッチ)、それに組み合わせられる凹凸の段差の高さとの関係性…。何千何万通りともなる無数のパズルを解き明かし、あの形状にたどり着いたのだろう。


 エレさんの痴態を思い出してみても明らかだ──。


 人体の生理をここまで読みきった設計の巧みさは、改めて驚異的と言わざるを得ない。さらに材質、そして……恐らくはあの特徴的な色でさえも、緻密な理論に基づいて出来上がっているに違いないのだ。


「……基礎となる設計理論からして、ドルイド族には存在しないでしょうし、あったとしても製造リソースに割けるほどの人員は、当分は無理なんじゃないでしょうか…」


 僕は、……思わず空を見上げてしまう。


 彼女の、こんなささやかな喜びさえも、叶えることは簡単ではない。

 彼女だけではない。……きっと多くの女性が、こんな言い出せない悩みを抱えながら、今を生きている。


 魅入られたのは男の筈なのに、実際に苦労するのは女性の方が多いのではないか。

 男は空に焦がれて女を忘れ、通り過ぎていってしまった──。


 取り残された片割れは……、女の欲は、一体何処にけばいいのだろうか…。


 濃紺の星空に瞬く人工の光を見つめながら、戦争なんか来なければいい……

 そう、思わずにはいられなかった。




「お待たせ、ごめんね。」


 エレさんが、ようやく中から出てきた。

 彼女はレバーを引いて、湯場の灯りを落とす。

 施術中の札も忘れずにはずしておく。


 うん…よし。


 明かりを落としたので、辺りはほぼ真っ暗だ。この辺りは街灯もまばらで、足元も見えないくらいだ。


「ちょっと待っててね」


 エレさんはそう言って、手荷物の中から灯りを取り出した。

 手提げ型の照明で、辺りを広めに照らすものだ。置いても使える。頭の部分のつまみを回して、傘を開くと光が漏れ出す。中には【I-Tail】反応式の発光体が入れられている。

 道具としてはよく見る物だが、形状が妙に凝っていて、可愛らしい。そして、光がとても柔らかい。まるで焚き火が照らしているような揺らめきを感じる。今までは、とにかく明るさだけを重視した照明具ばかり見てきたので、新鮮な感動を覚えた。


「綺麗ですね…」

 僕は、思わずそんな感想を漏らした。

「そうでしょう?ようやくここまで育てたの」

 エレさんが嬉しそうに答える。


 育てた?


 するとティさんが、

「発光体を湧き水に沈めて置いたの。そうすると、中の四元素のバランスが片寄ってこういう面白い光り方をするようになるのよ。」

 と教えてくれた。


 なるほど、I-tailバランスをわざと崩すと、こんな不思議な光り方になるのか。

 ……普段から、その不思議な力に触れている癒し手だからこそ、気づいた発見かもしれない。


 ……………


「──車は裏だっけ?」

 エレさんが聞くと、ティさんが、うんそう、と答える。

 三人で湯場の小屋の裏に回る。裏は駐車スペースになっているのだ。


 その時、ガタガタっと物音がした。何か視界の隅で動いた気がする。


「あら、動物かしら……?」

 ティさんが言うと、


「……あ!荷台に干物置いたままだったー!」


 と、エレさんが慌てて車のそばまで駆け寄る。

 小さな運搬車の荷台を灯りで照らしながら、確認していると、


「あーー!盗られたかも……」

 エレさんが落胆した声で報告する。


「あなたに渡そうと思って、仕事場から持ってきてたのに…」


「なんの干物だったんです?」

 と聞くと、

「冬駆魚よ、……寒干しにしてたの。診療所で配ろうと思って持ってきてたんだけど、せっかくだからあなたにも、って……。」


 なんと……、それは惜しいことをした。

 僕の大好物なのだ。


 冬駆魚は、川から海に下り、数年後戻ってくるという、珍しい生態の魚だ。煮て良し焼いて良し、加工食品の材料としてもお馴染みだ。

 細長く裂いて寒干しにすると味わい深く、軽く炙ると最高のおやつになる。お酒と合わせても美味しいのだ。

 しかし、年々漁獲量が減っているらしく、市場で見かけても高いことが多いのだ。おまけに大抵の場合、ミールの他にシガーもいくらか要求される。食べ物だが嗜好品扱いなのだ。


「あぁ…それは、残念です。あれ、大好きなんですよ僕……。」


「ううぅ…あー!!もう~…!」

 エレさんは今日一番の大きな声を響かせた。

 よほど悔しかったのだろう。

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