第28話
「ちょ、それ、どういう……」
飲み込めない。全然飲み込めない。付き合えることになったとはどういうことだろうか。私の予想する答えではないことを願うしか……
「先輩と恋人同士になれたの、私!」
「っ…………」
後ろから通り魔に刺されたくらいの衝撃に襲われると同時に、じわじわと心が痛みだす。
ああ……
こんな日がいつか来ると分かっていた。そもそも日和に好きな人がいる時点でこうなる可能性は高かったわけで。
先輩と付き合えたとき、日和が好きな人と両想いになれたとき、笑顔で祝福する準備はしていたはずなのに。はずなのに……
「お、おめでと……う!」
声が震えて、スマホを持つ手の力がギリギリまで弱まっていく。
実際にその事実に直面すると、表情筋が固まったかのように口角が上に動かない。
もっと日和に言ってあげたい言葉が口から出てこない。
「今日はとりあえず早くそれを伝えたかっただけだから! 明日学校で詳しく話すね!」
「あ、う、うん……!」
ちゃんと明るく話せているだろうか。私が今、どんな気持ちであろうと、日和を心配させることだけはしたくない。
「じゃあまた明日ね!」
「はーい」
そう言うと、電話は切れ、夢から覚めるように現実が徐々に私を襲ってくる。
そっか。そうなんだ。日和、先輩と付き合えたんだ。うん、おめでたいことだよね。
「椿ちゃん?」
そう何度も自分に言い聞かせるけど、私の心はなかなか納得してくれない。頭では現実を理解しているはずなのに、心だけが事実から目を背けている。
「椿ちゃん」
日和の幸せを心から祝えない私は友達どころか人として失格だろうか。
「ねえ、椿ちゃんってば」
「あっ……」
「どうしたの?」
「いや…… すみません……」
私ははっとする。
世莉さんがいることを忘れていた。いや、正確には忘れていたわけではないが、今はっきりと世莉さんがここにいることを脳が認識した気がする。
先程から何度も声をかけられていたのは分かっていたはずなのに、反応できなかったのはなぜだろうか。
「な、なんでもないですよ、別に」
「……なんでもない人がそんな顔しないよ」
「っ……」
私は今、どんな顔をしているのだろうか。想定では笑っているはずだったけど、そうなっていないことだけは分かる。
「何があったの?」
「………………」
言いたくない。言ってしまうと、本当に日和に彼氏ができたんだと、どうやっても分かってしまう。
だけど、この悲しみを一人で抱えきることもできそうになくて。
「ひ、日和が、せ、先輩と……」
ヤバい。視界がぼやける。世莉さんの前で泣くわけには……
私は唇を一度ギュッと強く噛み締める。
「好きな人と付き合えたって……」
しかし、そんな我慢もむなしく、目から一つ、また一つと涙が頬を伝ってこぼれ落ちていってしまう。
「あれ…… は、ははっ……」
「椿ちゃん……」
こんな弱みを見せるようなところ、世莉さんには見られたくなかった。
ただでさえ、私の方が条件下の弱い立場にいるのに、これ以上自分の弱さを晒すようなことはしたくない。
私はなかなか止まらない涙を服の袖で拭う。
「別に…… 大丈夫ですよ、はい。いつかこうなるって分かってました……から」
そう言って笑ってみせた。涙は止まっていないけれど。
こうやって笑うことが、世莉さんに大丈夫だとアピールし、私の正常を取り戻す一番の方法だった。
「……やめてよ」
「え?」
「私の前では無理して笑わないでよ」
「無理してなんか……」
「つらいんでしょ? 無理に笑うのはもっとつらくなっちゃうよ」
…………じゃあどうすればいいんだ。
世莉さんの前でだけでなく、人前でこんなふうに泣いたことなんて今までにない。そんなのは恥ずかしいことだから。だから無理にでも笑ってやろうとしてるのに。
こんな醜態を晒しておいて、さらに私に恥ずかしくあれと言っているのだろうか。もしそうだと言うなら、酷い人だ。
「泣いてもいいんだよ」
……でも、それが世莉さんだ。
性格が悪くて、人をからかうのが好きで、しかも何を考えているのか分からなくて。そんな人にどう思われても、失うものなんてないのかもしれない。
そう思えたとき、いろんな感情が自分の中でぐちゃぐちゃになって、気がつけば私は声をあげて泣いていた。
自分がどんな顔になっているかなんて気にもせず、世莉さんがいるからなんて気にもせず、とにかく声をあげて泣き続けた。
世莉さんは何も言わず、ただ泣いている私の手を握っているだけで。
その手は世莉さんに似合わず、とても温かい手だった。
──ひとしきり全てを受け止めきった次の日、私は先生に進路希望を文系でお願いしますと告げた。
私は日和と別の進路を選択することとなったのだった。
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