ボート

ラブムー

「ボート」①

 9月のよく晴れた日曜日、私は小豆島の沖合でボートを漕いでいた。31歳の妻と7歳の子、食料と飲みものが入った黒のデイパックを乗せて。

 そのボートは私が1ヶ月かけて組み上げたものだった。私は高校を卒業してから数年のフリーター生活の後、老舗の家具会社で職人見習いとして31歳まで働いた。だからプリントアウトした設計図を元に、一隻の手漕ぎボートを作ることにそれほどの苦労はなかった(2本のオールは自分で糸杉の木を切り抜いて作った)。

 

 妻と子はボートの両端に腰を下ろし、白い陽光が点滅する瀬戸内海を、幾分緊張した表情で眺めていた。


「水、いい?」と私は言った。背後の妻に言ったのだ。

 妻がバックパックのサイドポケットに入れていたペットボトルの水からキャップを取ったのがわかった。

 私は「振り向いている余裕はない」というように、ぞんざいに左手を後ろに伸ばして受け取った。やけに改まったペットボトルの渡し方から、妻の複雑な心持ちが伝わってきたような気がした。


 2本重ねたオールの持ち手を右手で握ったまま、左手で受け取った水を飲んだ。ひどく喉が渇いていた。9月になっても午後の陽射しは強烈で、身体から知らず知らずのうちに水分を奪っていたようだ。私は半分以上残っていた水を飲み干すと、つぶしたペットボトルを傍らに置いた。


 休日、妻と子をボートに乗せて漕いでみようという思いつきは、大学時代の友人に「家族間の気まずい空気」についてやんわり相談したことに端をはっしている。

「やっぱさ、何か一緒にやれることがあるといいんじゃん? うちは息子が大きくなって、家族で釣りに行くようになってからだいぶ変わったわ」高松の居酒屋(釜揚げうどんが群を抜いて旨い店だった)で、芋焼酎で顔を赤らめていた友人は嬉しそうに私に語った。な意見だが、たしかにそうかもしれないと思った。

 生魚と甲殻類が大の苦手な私は釣りをしたことがない(大学生の頃、サークル仲間に無理矢理連れていかれたことは数回あったが)。釣った魚を捌いて食べたいとも思わない。山登りやキャンプの類いも全く好きではない。重たいナップサックを背負って歩き続けることで腰をやられたら仕事に響くし、テントを張ったり焚き火を熾すことはひたすら疲れるし、翌日片づけをしている時にも空しさを覚える。

 でも海や川に行ったりボートに乗ったりすることは幼少期から好きだったから、ピクニックや山登りの代わりに、ボートの上で昼食を取るのはそこそこ良い思いつきであるように思えたのだった。

 

 妻と息子は、私が何の予告もなしに、庭でボートを作り始めたことに驚いていたようだった。でも、少なくとも文句は言わなかった。息子は私がボートに釘を打ったり、内側に防水加工を施しているのを興味深そうに眺めていた。やがて歯止めやカンナを手にして「これは何に使うの?」とか、「色は塗らないの?」などと素朴に質問してきた。

 それに対して毎回丁寧に答えていると、私は自分がこの子の父親なのだという実感が久方ぶりに蘇ってくるのを感じた。妻も、私と息子がやり取りしている姿を見て、少し意外そうな、ときに微笑ましそうな微笑さえ浮かべていた。そう、我々は「家族」だ。どういう星の巡り合わせかは知らないが、とにかく今生においてはそうなのだ。


***


 水を飲み終えると、私は再びオールでゆっくりと海水を掻いた。潮の流れは穏やかで、漕いだ表面は細かな泡でにごり酒のようにぷつぷつ白濁していた。

 我が子——孝之という名の7歳の男の子だ——は、水の表面に右手を沈めさせて、「お魚、つかまえられるかな」と妻に真剣な顔で訊ねた。

 妻は何も言わず、力なく孝之に笑いかけた。私はオールで水を掻きながら、そんな妻の横顔を横目で見ていた。

 

 妻の右目の端は陽の光の下で見ると、やけに黒ずんで見えた。それがオールを握っている、この自分の右手の甲が十六日前につけた「あざ」なのだということを、私は意識のどこかで否定していた。しかし、過去が直線的に現在に繋がっているなら、そのあざはまったき私の行為を表象している。

「あざ」というのは不思議なものだ。それは身体的傷害であると同時に、それが浮かんだ者の人生に起こった「事態」のサインでもある。そしてまた「予言」でもあるかもしれない。

 結婚してから、自分が妻に三度も手を上げたことは認めたくないことだが、事実だ。一度は数年前、妻が私に「ずいぶんお母さんに甘やかされて育ったのね」と言った時、思わずその小さな顔、頬を平手打ちした。孝之が毎日学校を遅刻している件で学校に呼び出された日の晩、「あなたに父親面する資格はない」と言われた時、妻に向かってハイネケンのロゴが入ったプラスチックのコースターを投げつけた(ビールグラスを投げようとして思い直した)。

 そして3週間前には——いや、やめよう。今はそうしたことをすっかり忘れて、家族一人一人が少しでも快い気分になるために、三人、わざわざ狭いボートで瀬戸内海にぷかぷか浮かんでいるのだから……。


 私は「そろそろ何か食べようか」と言った。物分かりのよい父親であり、心根の優しい夫らしい声で。

 振り返ると、妻は私の声が聴こえなかったのか、無視しているのかわからないが——目を閉じていた。

 その代わり、孝之が私の目をじっと見つめていた。右手を海に浸して、怯えと懇願と何らかの感情が分け難く入り混じった瞳で。

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