その恋、上書きさせて下さい。

多田光里

第1話

お疲れ様でーす」

「あれ?竹中君?めずらしいね。お疲れ様」

山庄郵便局の局長が、竹中基樹が本局から持ってきた荷物を確認するのに、席を立つ。

「そうなんスよ。急に一人休んじゃって。あ、ここハンコお願いします。それと、ちょっと片瀬さんにお話があって」

「片瀬君に?」

自分の名前が会話に出て、片瀬渉流はゆっくりと竹中の方を見た。

「授受が終わってから、ちょっといいかな?」

その日に山庄郵便局でお客さんから引き受けた荷物や郵便物を竹中へと渡し、授受の確認用の帳簿に、双方の確認印を押すと、片瀬は竹中と一緒に十月の秋の空に広がる外へと出た。

「何か?」

片瀬は、綺麗に整った顔立ちの表情を一つ変えずに、今預かった荷物と郵便物を郵便局の赤車に詰め込んでいる竹中を見た。ポストの鍵を開け、郵便物を回収しながら、竹中が言った。

「いや、片瀬さんも結構遊んでるって聞いたからさ。男もイケるんでしょ?良かったら、今度相手してもらえないかなー、と思って。俺、絶対に損させないと思うよ?」

竹中が、片瀬を見て蔓延の笑みを浮かべる。

「その話、誰から聞いたんですか?」

「え?梶尾課長代理からだけど…」

しばらくの沈黙。

「悪いんですけど、俺は好きになった人としか、そういう事をしない主義なので。遊び相手が欲しいなら他を当たってもらえますか?」

「え?でも…」

「どうしてもって言うなら、あなたのことを好きにならせる事が出来たら、相手をしてあげてもいいですよ。絶対に無理だと思いますけど」

そして、片瀬は踵を返すと「最悪」と呟いて、局内へと戻って行ったのだった。


「片瀬渉流って、谷川郵便局の田鍋さんと同期のだろ?バカか、お前。しかも仕事中に」

本局の郵便課に戻った竹中が、同期の安永に呆れられる。

「だよなー」

竹中が片手で頭を抱え込み、その場にしゃがみ込む。

「だいたい、いくらそんな話を聞いたからって、本人に面と向かってそんな事を言いに行くなんて普通しないだろ。失礼すぎるぞ」

「すげぇ軽いノリのつもりだったんだ。課長代理が言うし、本当の事なんだろうな、と思ったのもあって。もっと、こう、軽いノリで返してくるかなーとも思ってたって言うか」

「とにかく、もう一度会って、ちゃんと顔見て謝ってこいよ」

「…ああ」

片瀬渉流。沈黙になった時に、一瞬表情が歪んで、泣くのかと思った。あんな悲しい顔をする奴がいるんだ…。とても悪い事を言ってしまったんだと、本当にそう思って胸が痛くなり、全く言葉が出なくなった。

「片瀬渉流って、田鍋ちゃんと仲良いの?」

「え?ああ。結構、仕事のことで電話したり、たまに一緒に飲みに行ったりしてるみたいだけど」

竹中の同期の安永は、片瀬の同期の田鍋と恋人関係にあった。

「そっか…。あいつ、笑ったりすんのかな…」

片瀬の淡々とした授受の業務をこなす態度や、竹中に対して一切の表情を変えないクールな振る舞い。竹中は、つい小さなため息を漏らしたのだった。


「お先に失礼します」

仕事を終え、ガチャリと職員出入口のドアを開けて、片瀬が出てくる。車へと向かおうとする片瀬の目の前に、突然現れた人影。ビクリと一瞬驚いて、立ち止まる。

「何ですか、突然。こんな暗い中、ビックリするじゃないですか」

片瀬が、淡々とした口調で話す。

「ごめん。今日のこと、どうしても謝りたくて。本当に悪かった」

竹中が言うと、

「…へぇ。竹中さんて、普段はおちゃらけてるって聞いてますけど、そういう面もあるんですね。まぁ、確かに今日は急にあんなことを言われて、一日中気分は悪かったですけど」

片瀬は足早に歩くと、車の鍵をリモコンで開けた。

「本当に、マジでごめん。無神経すぎた」

「もういいです。別に」

そう言って車に乗り込むと、片瀬はすぐに車のエンジンをかけ、暖気運転することもなく車を発進させ、あっという間に見えなくなった。

「絶対、まだ怒ってるよな…」

竹中はその場にしばらく佇み、そしてため息を吐くと、郵便局の赤車に乗り込んで配達業務へと戻ったのだった。


「らしくないな」

翌日、赤車に配達分の荷物を載せようと、台車で運んでいる竹中に、安永が声を掛けてきた。

「何が?」

「いや。お前が悩んでるところ、あんまり見たことないから。今回はやけに悩んでるな、と思って」

「…俺さ、今まで真剣に恋愛ってしたことないから、何か、あいつの言葉が胸に刺さったって言うか。まぁ、あんな風に人に冷たくあしらわれたっていうのも初めてだったし。このまま気まずいままで、いたくないんだよな。傷付けてしまったのは事実だし、もう許してもらえないかもしれないけど…。最悪って言われたし」

「最悪なのは、今に始まったことじゃないだろ?手癖が悪すぎるんだよ。俺の彼女、何人に手を出したと思って。挙げ句の果てに、田鍋さんが俺のこと好きなの知ってて、口説くし、手を出そうとするし」

「本当だよなー。でも、もうお前と田鍋ちゃんの邪魔する気はないぜ?お前を純粋に愛する田鍋ちゃんに、心打たれちゃったから。田鍋ちゃんにちょっかいかけると、お前、本気で怒ったし。あんなお前見たの、初めてだったからな」

「あの人だけは、本当に誰にも渡したくないって思ったんだよ」

「ラブラブで羨ましいよ。でも、ノーマルのお前が男の田鍋ちゃんと付き合うと思わなかったなぁ」

「純粋に俺を愛する気持ちに、心打たれたんだよ、マジで」

「ふざけんなよ。俺が今言ったこと真似しただけじゃねーか。だいだい、ノロケすぎなんだよ。俺が真剣に悩んでんのに」

安永が笑う。

「恋愛について真剣に考える、いい機会なんじゃないか?何か、態度は冷たいのかもしれないけど、貞操観念は田鍋さんに似てるな。好きな人としかしたくないっていう、一途なところとか」

「それだよ!」

「え?」

「俺が田鍋ちゃんに惹かれたのは、その純粋さなんだよな。絶対に手に入れたい!って思った」

「恋人を前にして、そんなこと良く言うな。お前は一生悩んでろ」

そう言って、安永は赤車に乗り込み、そして少しだけ笑みをこぼした。

「もしかして、片瀬渉流のこと、本気で好きになりかけてるのかもな…」

と、呟きながら。


それから何日間か、竹中は山庄郵便局に行くことが続いた。山庄郵便局の局長は、以前、郵便課にいたこともあり、竹中が荷物を取りに行くと、話をしたいのか自らが率先して前に出てしまう。

竹中は、片瀬のことがどうしても気になり、局長と話しながらも視線を片瀬へと向ける毎日だったが、片瀬は全く竹中の方を見ようともせず、パソコンに向かって何か業務をしているか、窓口で接客をしているかの、どちらかだった。


「ヤバい。めっちゃ緊張する」

竹中が赤車の中で呟く。最近、毎日こうだ。

対応は局長がすると分かっていても、片瀬がいると思うだけで呼吸がうまくできなくなるのだ。

竹中は、深く深呼吸して、そして山庄郵便局の荷物を確認しながら、車から下ろした。

「お疲れ様でーす」

普段通りにと心がけながら、竹中が山庄郵便局宛の荷物と郵便を持って局内に足を踏み入れる。

「お疲れ様です」

片瀬がハンコを持って席を立ち、竹中へと歩み寄る。突然のいつもと違う状況に、竹中はひどく動揺した。

「あ…、えと、局長は?」

竹中の鼓動が明らかに早くなった。

「いますよ。後ろの倉庫に。呼びますか?」

「いや、いい。いいよ。片瀬さんと話したかったし…」

「何を?」

「何って…。何か、いろいろと…。その、この前のこと、まだ怒ってる?」

竹中が尋ねたが、片瀬は返事をしなかった。気まずくなって、すぐに、

「あ、これ、山庄郵便局宛の書留が一通と、ゆうパックが二つあるから、ハンコお願いします」

と、話を仕事のことに戻した。

片瀬は無言で書留とゆうパックの分の受領のハンコを押した。そして、

「はい」

と、三枚の受領証を竹中に渡すと、

「今日はゆうパックが六個と、速達が二通と、あとは普通郵便です」

そう言って、授受の帳簿にハンコを押すと、片瀬は素っ気なく自分の席へとすぐに戻った。

竹中は黙って受領証を書留用のカバンにしまうと、授受の帳簿に自分のハンコを押し、

「また夕方の授受に来るんで、お願いします」

と言って、山庄郵便局の郵便と荷物を預かって、山庄郵便局をあとにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る