第6話 血濡れの小人達

「おい、リーナ! リーナってば!」


 遠くから誰かに呼ばれている気がして、リゼナは重たくなった瞼を持ち上げる。


「リゼナ、目が覚めましたか?」


 顔を上げると、そこにいたのはルイと孤児院の院長先生だった。

 心配そうにリゼナの顔を覗き込む二人を見て、はっとする。


「あ、あれ? 私、寝てた?」


 キョロキョロと辺りを見渡すと、窓の外はすっかり暗くなっていて、読み聞かせを終えてからかなり時間が経過しているのが分かる。


「どうやら眠っていたようですね。気付かずに申し訳ありません」

「先生、謝ることないぞ。こんなところで居眠りするリーナが悪いんだ。風邪でも引いたらどうすんだよ」


 ぶっきらぼうな言い方だが、ルイも院長先生と一緒に心配してくれているようで、リゼナは温かい気持ちになる。


「ここにいた女の子に本を読むように頼まれて。でも、いつの間に眠っちゃったのかしら?」


「頼まれた? 誰にだ?」


 リゼナの言葉にルイは訝し気な表情をする。


「おかしいですね……子供達は全員広間にいたはずなんですけど……」


 院長先生も首を傾げる。


「寝ぼけてたんじゃないのか?」


 そう言われてみればどんな子に本を読むように頼まれたのか思い出せない。

 リゼナは自分の膝に視線を落とす。


 見覚えのある一冊の本があった。

 図書館で失くしたと思っていた『白雪の赤い心臓』である。


「この本って孤児院に置いてある本ですか?」

「いえいえ。子供達には少々刺激が強いので、そういった本は置いていませんよ」


 ということは、私はこの本を図書館でなくしたと思ったけど、実は鞄の中に入れて持って来てしまったってことよね……?


「……ルイの言う通りかもしれないわ。少し疲れたのかも……」


「やっぱりな。早く寝ろよ」


 

 誰にどんな風に頼まれたのか思い出せないのだ。

 だけど、読んだ本のタイトルも、内容も、どの場面がどのページに書かれていたのかも、いやに鮮明に覚えているのが不気味に思える。



 リゼナは院長先生とルイに見送られ、本を持って孤児院を出た。

 貸出記録も書かずに持って来てしまったことを明日の朝にでも謝りにいかなくてはならない。



 日は落ちて暗くなった空は曇っていて、星も月も見えない。

 いつもはもっと早い時間に帰宅するため、こんなに暗い中を一人で歩くのは久しぶりだった。


 リゼナは町の中心地にある職員寮に住んでいる。

 ここからはそんなに時間は掛からない。


 何だか不気味だわ。


 本当に寝ていたの? あれは夢?


 先ほどの出来事がどうにも引っ掛かり、リゼナは眉を顰めた。

 しかし、考えても仕方がない。


 早く帰ってご飯を食べて、お風呂に入って本を読んで寝よう!


 読むなら胸をときめかせる恋愛小説がいい。

 

 ふと、昼間に図書室で見かけて騎士様を思い出す。


 黒髪で素敵な騎士様が登場する女性向けの小説は何冊も持っている。

 中でも『黒騎士様の溺愛シリーズ』は最高なのだ。


 とある王国の黒騎士と呼ばれる騎士団長と不遇な令嬢が恋に落ちる物語で、ヒロインは黒騎士の愛に少しずつ溺れて行くのだ。


 誰にでも親切で優しく思いやりを持って接する黒騎士の好意はなかなかヒロインに伝わらず、ヒロインとのすれ違いが続く。


 何度もすれ違い、困難を乗り越え、気持ちが通じ合うと激しい溺愛が始まる。


 黒騎士に想いを寄せる令嬢の嫉妬や、ヒロインに言い寄る男達も物語を面白くするスパイスになっていて、見どころは満載。 


 見どころはたくさんあるが、リリアナのお気に入りはヒロインがパーティに参加し、美しく着飾った彼女にダンスを申し込む男達を追い払う場面だ。


 他の男にヒロインを奪われたくないと、黒騎士が独占欲を滲ませるシーンは堪らない。


 何度読んでも飽きることのない不朽の名作である。


 そういえば、図書館で見かけるあの騎士様……物語の黒騎士様に似ている気がする。

 

 ときめきを心の栄養剤に不気味な出来事は忘れてしまおう。


 リゼナはそう心に決めて、意気揚々と歩幅を大きくした。


 ぴちゃ、ぴちゃっと何かが滴り落ちるような音が響き、リゼナは空を見上げた。

 曇り空ではあるが、雨は降らない予報だったはず。


 それなのにこの水音はどこから聞こえてくるのだろうか。


 びちゃ、びちゃ、びちゃっと水溜まりに足を踏み入れた時のような音が次第に近づいてくるような気がしてリゼナは来た道を振り返る。


「ひっ……!!」


 言葉にならない悲鳴を上げ、リゼナは凍り付いた。

 足がガクガクと震え、息苦しくなるほど呼吸が浅くなり、地面に縫い付けられたかのように脚が動かない。


 そこにいたのは刃物を携えた七人の小さな男達だ。

 刃物にはたっぷりと鉄錆びのような匂いを纏わせ、液体が流れ落ちて赤い水溜まりを作っている。


「ま……まさかっ……」


 自分には関係ないと思っていた。


 しかし今、自分は迫りくる恐怖に身体を震わせている。


「あなた達……魔女狩りの……!」


 そう口にした時、リゼナ目掛けて一人が刃物を投げつけた。


「きゃあっ!」


 咄嗟に投げられた刃物を除け、リゼナは地面に転がった。

 顔のすぐ横を回転しながら通り過ぎたのは鋭利な鎌だ。


 ガシャンと鎌の特に鋭そうな先端部分が地面に突き刺さり、地面に向かって血が流れ落ちた。

そしてびちゃっと何かが顔にかかる。


 リゼナは頬に付着した冷たい液体に恐る恐る触れてみる。

 

「ひぃっ!!」


 ぬるりとした粘性を感じる液体からは鉄が錆びたような匂いがして、リゼナは恐怖で身体を竦ませる。


 血だわ……じゃあ、この小人達が?

 魔女達を襲っていた犯人なの⁉


 ガクガクと震える脚に何とか力を入れて立ち上がる。

 何とかしてここから逃げなければ。 


 リゼナは鞄をぎゅっと抱きしめて小人達から距離を取ろうと後退するが、足が動かない。


『捧げろ、捧げろ、赤い心臓。魔女の心臓。白雪に捧げる赤い心臓』


 小人が歌うように声を揃えて言った。


『赤い心臓。魔女の心臓。捧げろ、捧げろ、白雪に。待っている僕らの白雪に』


 まるで合唱のように彼らの言葉が響き渡る。


 路地に反響した言葉がいつまでも耳にこびりつき、恐怖を増大させた。


『次はナミトの番。魔女の心臓、捧げる』


 地面に刺さった鎌がナミトと名乗った小人の手元に戻る。

 そして再び鎌を大きく振り上げた。

 

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