宝飾店の他人情事

町田まるひこ

第1話 本物と偽物

 夜の都心はいつまでも昼のように明るく、人々の話し声も止まない。

 そんなところの一角に宝飾店を構える俺は、いつでもお客様を受け入れられるように準備しておかなくてはならない。


 残業…?


 俺の店なんだからそんな言葉は不要だ。お客様が訪れる時間は営業時間だ。そうでない時間が閉店時間だ。


 チリチリン♪


 ほらみろ。夜ふけだろうと人は来るのだ。

 ちなみにこの呼び鈴は自動ドアの開閉に合わせて俺のところに通知が飛んでなるシステムなので、お客様には聞こえない。

 ただ、お客様以外のでドアが開いても鳴るので紛らわしいこともある。


「いらっしゃいませ」


 背筋を伸ばし、声のトーンを落として、できるだけリラックスしていただけるよう迎え入れる。今回は女性一人である。

 ふむ、おそらく初めて来た方だな。入るなりキョロキョロしているし、妙に落ち着きがない。


「お困りのことがありましたら、どうぞお声がけください」

「あ…はぃ」


 たしかに、宝飾店とは緊張する場所だろう。ディスプレイされている物の値段が高いし、宝石が希少なものだと頭でわかっている。だから、気軽に触ってとは無意識にできないと思い込んでしまうものだ。ましてや傷なんてつけようものなら、いくら弁償金をとられるか考えるだけでも恐ろしい。結果として腫れ物を触るように強張ってしまう人は多い。


 彼女は数分店内をうろついた後、俺の前に来た。


「あの…すみません。こちら鑑定もできると伺ったのですが……」

「ええ、可能ですよ」


 鑑定。いわゆる宝石や金属細工が本物の素材であるかどうか判別することである。ただし、鑑定士単体でできることは、そう多くはない。本当に持っている宝飾品の隅々まで調べて鑑定書も付けてほしいとなれば、専門機関に送ることになる。だが、鑑定士でも本物と偽物の区別なら問題なく可能である。というより、それができないと鑑定士とは呼べない。


 本来、宝石商が鑑定士である必要はない。宝石商は販売が仕事なので、宝石を見る目がなくても値段通り品物を売ればよい。

 しかし、俺はそうは思わない。宝石商が宝石を知らずして何の価値があるというのだろう。なんとなく叩き込まれた知識でやりくりできるほど甘い世界ではない。何よりお客様の信用が得られないではないか。さらに言えば、何かの間違いで宝石商自身が偽物をつかまされたとあれば、笑い話にもならんだろう。

 だから俺は鑑定できるようになった。単に資格を取得したというだけでなく、俺が鑑定士としてできるだけのことは詰めてきたつもりだ。そんなこともあってか、こういう依頼は意外と多い。


「こちらなんですが…」


 と、目の前に置かれたのは赤い石の付いた指輪だった。宝飾業界ではいちいち宝石とは呼ばず、『石』と呼ぶ。そして、指輪にしてもただのリングではなく、部位によっていろいろ名称がつけられている。しかし、そのような細かいことは一般的に知られていないので、お客様と話すときは指輪としか言わないのが普通だ。


「ほう。素敵な指輪ですね」


 とりあえず、どんなものでも褒めるところから始めるのが営業の定石だ。


「プロポーズの時にもらったものなんです」

「ははあ、それは素晴らしい。ロマンチックですね」


 相手への告白には、人によってやり方が違うだろうが、最近は指輪を使ったプロポーズは減ってきている。しかし逆に、プロポーズリングと婚約指輪を別々に贈る人もいる。相手への気持ちを形にするのは、なかなかどうして難しいものだ。


「その時はうれしかったんですけど、その後の進展がなくて…。彼にも会える回数が減って、おかしいと思っていたんです。そのことを言っても『指輪に誓って嘘はない』とか言うので……」


 なるほど。何かにつけて指輪のことを持ち出すのは不自然だ。だが、俺にとってはそのような話はどうでもいい。


「それで、指輪これを見てほしいというわけですか」

「そ、そうなんです」

「わかりました。場合によっては、お時間とそれなりの費用がかかりますが、大丈夫ですか?」

「あ、はい。大丈夫です」


 では、と持ち上げて即座に違和感に気づく。石にペンライトで光を当てて、ルーペで覗く。


「……ふむ」


 ものの数分でわかる代物だった。


「お客様。失礼ですが、この宝石の名前はご存じですか?」

「え? ルビーって聞いていますけど…」

「ルビーではありませんね。これはガーネットです」

「ええっ!?」

「ルビーとガーネットは確かに同じ赤色の宝石で間違えやすいものです。しかし、その色合いは全く違います。一般的にルビーは明るい赤、ガーネットは濃赤と言われますね」

「しかしお客様。この宝石、確かに赤いんですが、妙に黒っぽいと思いませんか?」

「そ、そうですね…。私の知るルビーとも違うような気がしていました」

「この指輪の宝石をはめる部分、我々は石座と呼ぶんですが、そこは宝石に入ってきた光を反射させて、複雑な屈折を生み出し宝石の魅力を高める工夫がなされます」

「しかし、この石座は光を全く反射していない。だから宝石は黒っぽいし、輝きもありません。これは粗悪な石をわかりにくくする加工です。つまり、最初から騙すつもりで作られた指輪だと思われます」

「そんな…」


 絶句して青ざめているお客様には申し訳ないが、鑑定士の仕事とはこうした残酷な結果を伝えねばならないときもある。ただ、俺としては他にも気になるところはあるのだが、これ以上追い詰めて倒れられても困る。


「気をしっかり持ってください。お客様はお一人で鑑定にいらっしゃった。覚悟もおありでしたでしょう。私としても、このような指輪が出回ることは許せません。よく勇気を出してお持ちくださいました。ありがとうございます」

「この鑑定のお代は要りません。手間賃をいただくほどではありませんから」


 言い換えれば、その程度の劣悪な指輪ということだが、これ以上言うまい。


「またいつでもお越しください。お待ちしております」


 礼儀正しく頭を下げて見送ったが、がっくりと腰を落として出ていくお客様を送り出すのはつらい。


 宝石とは幸せの象徴であるべきである。


 高額だからとか、きれいだからとかそういう単純な話ではない。古来から宝石には何かのパワーが込められていると信じられてきた。科学的に成分が解析され、そのような効果などないとされても、人々は宝石の魅力に取り憑かれ続ける。そこに安易な理由付けなど意味を成さない。人が人に贈る最上級の愛と信頼の証といってもいいだろう。


 だから俺たち宝石商は、贈り贈られ続ける幸せの証人で在らねばならない。


 嘘、偽りなど持ち出してはならぬのだ。


 たとえそれが残酷な結果を招こうとも、お客様の幸せの邪魔になってしまわぬよう、心を鬼にして排除すべきなのだ。


 今日はもう閉店だな。

 彼女には悪いことをしたかもしれないが、前を向いて歩んでいけるように祈ろう。

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